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笹峰霧子さん

今年は投稿できるテーマがあればいいな。

出没地
趣味 俳句 写真 
職業 自由業
性別 女性
将来の夢 認知症にならず最後まで自分で歩けること
座右の銘 自分の意思は伝える 物腰は丁寧に

投稿済みの記事一覧

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三匹の猫

17/06/20 コメント:1件 笹峰霧子 閲覧数:80

猫は一度目を付けると執念深くいじめを繰り返すものだ。あの赤猫の襲撃はすごかった。
毎日やってきて猫の尻を噛むのでうちのキジ猫の臀部は抉られてどろどろになっていた。

一日中憎い赤猫を見張っているわけにはいかず、又うちの猫も家に閉じこもってはいないので外に出て行く度にやられて帰ってきた。キジ猫はそんな状態のまま居なくなった。
猫は人目に付かない場所で死ぬと聞いている。よって代・・・

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海を愛した男

17/06/07 コメント:0件 笹峰霧子 閲覧数:81

 加奈子の住む町は海と山に囲まれていてレジャーといえば西方面の山か南方面の海へのドライブ。西方面と南方面では行く方向は違っても、行き着く先の県は同じというのが面白い。
海で思い出すのは一昔前は海水浴のこと。子供時代に加えてわが子が幼い時海に連れて行って泳がせたことだ。
 
 その頃の海は海水がとてもきれいだったが、現在は海水の悪化が影響しているのか海水浴場は閉鎖され、海岸へ降りて・・・

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思春期の挫折

17/05/22 コメント:1件 笹峰霧子 閲覧数:136

 音楽とは私にとっては愛着でもあり、悔しさでもある。幼い時からピアノを習い、自己主張をすることもなくそれが自分に与えられた道だと思って音楽大学を受験すべく、青春を犠牲にして猛練習をしていた。
 今になって思えば、たかが四年制の音大を卒業したとしても、田舎の音楽の先生かピアノ教室を開くぐらいしか能はなかったと思う。それならば、塾を経営していたのだから良いではないかと言われても、高校卒業後晴れて・・・

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あの子と僕

17/05/09 コメント:3件 笹峰霧子 閲覧数:162


 僕これからは少し休めるようになったんだ。
 あの子が圧力をかけて来ない限り、僕寝てても良いんだもん。
 うれしくてたまんないよ。

 あの子も僕にお休みをくれてから体の調子が良いそうだよ。お休みするって良いよね。長生きできるもん。

 僕お休みしてる間、今までと少し変わった気分になるんだ。僕の同類だって楽だから声かけてくるんだよ。
 その時みんな・・・

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古衛門の龍宮

17/03/27 コメント:0件 笹峰霧子 閲覧数:164

 この世の中に本当に浦島太郎のような経験をする人間がいるのだろうか、と思うだろう。
 でも確かにいるのだ。
 脳の中が現実離れして別の実在しない場所で暮らし始めたら、そこがいわば龍宮であり、楽しければ現実を忘れて何年も暮らせるのである。何年か後に現実に戻った感覚を意識するなら、それまでの脳の存在は浦島太郎の感覚といえよう。

 山彦三太はそのような経験をした。
 

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汽車の時代を経て電車へ

17/03/14 コメント:0件 笹峰霧子 閲覧数:231

 私は現在地元でレールの上を走っている乗り物を電車と呼ぶことに抵抗を感じ、かつ照れくさいという思いを持っている。なぜなら物心ついた時点で乗っていたものは汽車という名前でインプットされているからです。汽車を電車と呼ぶようになったのはいつ頃なのか定かではありません。
 汽車には沢山の思い出があるけれど電車は都会を走る交通機関として理解してきたので、大人になるまで滅多に行かない都会の電車は他所様の・・・

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神様の眼力なんていらない

17/02/28 コメント:0件 笹峰霧子 閲覧数:233

 人は他人の心の中を見ることはできない。顔とか声とか、自分に向けられる表面的な好意とか、他人にしている行為などを通して相手の人となりを推察するのである。
先ず顔を見る。顔の中でも眼を見ることが多い。そして風貌に眼を配る。

判断力が疎い人間は、最も薄っぺらな相手の取り繕ったうわべを見て相手を判断するのだ。

 何年間にわたって良い人と思って付き合い、十年あまり経ってよ・・・

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私の中の自転車

17/02/12 コメント:1件 笹峰霧子 閲覧数:258

 ここ数年足腰が弱くなったので小型の自転車を買った。
近くの広場で毎日練習しようと思ったのだが、三日坊主でやめて今は車庫に置いてある。
子供の頃からずっと自転車には乗り慣れていたのに、30代半ばに車の運転をするようになってから自転車には乗らなくなっていた。足腰が弱ったのも車ばかりで移動していたせいだと思う。
自転車はジムの自転車こぎにも取り入れられているぐらいだから、運動機能にも・・・

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たった一度の祭りの夜

15/08/11 コメント:1件 笹峰霧子 閲覧数:736

 あの時はうれしかったなぁ、なんて思い出す。
あまり馴染みはなかったのだけど、たまたま教育実習を一緒にすることになった年下の男子。私はもうかなりの年齢になっていたけど祭りに行く相手などいなかった。うちの町には大きな夏祭りが物心ついてからずっとあったはずなのに私は誰かと行った記憶がないのだ。

 教育実習は四週間あるがその内の二週間は大学の近くの中学校で済ませて、あとの二週間を・・・

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友という意識の変化

15/07/30 コメント:0件 笹峰霧子 閲覧数:928

 一人っ子の私は他の人より「友」というものにやたら執着していた。そのくせ自分の満足のいく友は一人もいない気がしていたのである。
他の人たちが友との距離をどのように捉えているのかもよくわからなかったが、なんだかつるんで仲良くしているように思えて仕方がなかった。
現在住んでいる住居よりもっと田舎に住んでいたころは各年代に於いて私はそのような感じをずっと持っていた。


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幸せという落し穴

15/07/13 コメント:1件 笹峰霧子 閲覧数:815

 人は自分の判断力を越えた先は見えにくいものだ。当たり前に暮らしているように思ってこそいても、もしかして自分は間違った道へ踏み込もうとしているのではないかなどとはさらさら思わない。
 
 伸一は正統派の人間ではあったがまさしくその例に漏れない人物だった。ふつうの何の非もない両親の元で成長し 思春期に入っても反抗期さえなくて有名大学を難なく卒業した。
 飴と鞭をもって生きるすべを方・・・

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掃除のできる人は

15/06/21 コメント:0件 笹峰霧子 閲覧数:815

 三十を過ぎたとき夫の計らいで、なけなしの貯金を使って借家を建てることになった。 子供が幼稚園に通っていた時である。安く建ててくれる大工さんを紹介してもらい15坪の二階建が二軒建った。

 同級生のしている不動産に依頼して入居者を募ることになった。様々なタイプの家族がわが家まで来て、私と夫はいわば面接みたいなことをした。最後に決めたのは私だった。

 二軒の内の一つに入居し・・・

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海に抱かれて

15/04/20 コメント:0件 笹峰霧子 閲覧数:746

 今年の春、克子は独りであの海へ行った。あれから一年経っていた。50年ぶりに秀樹と再会して三度目のドライブ。今まで家族ともドライブなどしたことがないという彼は、かつて住んでいた勤務先の病院に近いその海岸のことはあまり知らないらしかった。
 ふたりは駐車場に車を停めて、柔らかい草の生えた広場を通り抜け、海へ通じる細い道を歩いた。舗装がしてない道にはいつかの雨のぬかるみがそのまま残っている。

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楽しかった通学路

15/03/11 コメント:3件 笹峰霧子 閲覧数:874

 私は小学四年生に進級した春、田舎の小学校から兵庫県鳴尾村の小学校へ転校した。我が家は母子家庭で、母は田舎村で内科小児科耳鼻科の医院を開業していた。三年生の一年間だけ私を祖母の元に残して私達親子は離ればなれの生活をしていたが、翌年の春に母は私を自分の元に呼び寄せた。
 
 田舎の学校への通学路は田や畑の中の細い道を通って、子供の足で30分ほどで学校に着いた。途中の道々、四季折々の野草や・・・

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三人の将軍の性格

15/03/06 コメント:2件 笹峰霧子 閲覧数:888

「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」は織田信長。
「泣かぬなら鳴かせてみようホトトギス」は豊臣秀吉。
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」は徳川家康。

三人三様だが、一人の人間であってもその時々の環境の変化で、この三通りの心模様に変わるものだと思うこのごろだ。


私ことでいえば、40歳ぐらいまでは畏れ多くも気の短い信長か。なにかにつけてすぐかっ・・・

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東京の電車

15/02/21 コメント:3件 笹峰霧子 閲覧数:1044

 今からもう20年も前になろうか、あの時のことは――。
 
 千代は電車の乗り換えのことで頭がいっぱいでおどおどしていた。東京駅で環状線に乗リ込み新宿駅で降りて、ひしめき合う人込みの中、重い荷物を提げて石段を一段ずつ丁寧に上がって行った。
 待ち合わせの場所で暫く待っていると、道路を隔てた向こう側から背の高い若者がこちらに向かって歩いて来るのが見えた。

「母さん!・・・

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天野月代の生涯

15/02/13 コメント:0件 笹峰霧子 閲覧数:876

 今になって思えば私には別の人生があったかもしれない。
別の親に育てられ、別の学校に通い、別の男と結婚し別の子がいる…なんてことだって想定できるな。そんなことありえないとは絶対思えない。その岐路すれすれを通って今の道を生きてきたのだもの。
 でももういいや、あとすこしで死ぬかもしれないのだからね。あんたはどうだったかね。

 月代はいつも隣にいる男に問いかける。姿は見えない・・・

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つぐない

14/12/28 コメント:3件 笹峰霧子 閲覧数:877

 俺の寝室の隣の部屋をクローゼットにすると先に言ったのは俺だった。
 妻の部屋をクローゼットの向こう側にしたのは、夜なべをするミシンの音が煩くて眠りを妨げるからという理由だけのことだ。
 俺は今妻のことを思うと実に可哀そうなことをしたと悔やむ気持が少しはある。
 
 その夜俺は別の女とスマホで話していた。
 その女というのは俺にとってかけがえのない大事な存在で、その彼・・・

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思い出したくっくっくっ

14/10/22 コメント:0件 笹峰霧子 閲覧数:695

 もう何十年も経っているのに、ふとあの方のくっくっくっと笑われた顔が浮かんだ。お世話になった先生の、あのときの幸せそうな顔だ。
 先生は私の娘の自立の第一歩を助けて下さった方。今は音信はないけれど感謝している。
 私が娘を連れてK市に赴いたのは今から20年あまり前……。本格的に登校拒否が始まったばかりの中二の娘を連れて、私はフェリーに乗り見知らぬ大都会へ――。先生の経営されるフリースク・・・

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聖羅の夢

14/09/30 コメント:1件 笹峰霧子 閲覧数:1253

 一樹は自分の胸の内を誰かに話したくて仕方がなかった。聖羅と高原へドライブした帰りに立ち寄った道の駅で、「誰か知ってる人に会わないかな」とぽつりと呟き聖羅を驚かせたことがある。
 あれからふたりは行く先々でも顔見知りの誰にも会わず、ドライブを楽しんでいた。
人目に付かぬ場所を選んで出かけはしたものの、そのことが一樹にはちょっと物足りなく思えた。

「多分いつかは洋介の耳に入・・・

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足かせ

14/04/25 コメント:5件 笹峰霧子 閲覧数:797

「願えるものなら・・」日出男の独り言のような呟きが裏山の草叢にちょこんとふたりで並んで座った慶子の記憶からいつまでも消えることはなかった。その年の夏休みは思いがけない出来事で終始したのだ。

 慶子21歳。高校を卒業と同時に入学した大学へ通学することもなく退学を余儀なくされた。母の希世子は慶子が毎日家でぶらぶらしていることに焦りを感じていた。
「新しい専門学校ができたそうよ。受験・・・

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光さす未来へ

14/03/11 コメント:11件 笹峰霧子 閲覧数:1162

 一年あまり篭っていた子が少しずつ動き始めた。
カウンセラーの「あと三か月もすれば動きが出ますよ」という励ましとも思える言葉に引っ張られここまできたが、あれから随分月日が経ったもんだ……。

 茂美はトンネルの向こうに灯りが見えない日々を送っていた。
「この子がこうなったのはおまえのせいだ」と、父親の責任を逃れようとする夫の暴言に責められながらの毎日だった。

・・・

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夢子の居場所

14/02/28 コメント:8件 笹峰霧子 閲覧数:884

「このあいだのことなんだけどね」
沙織は思い出したように唐突に言い、更に続けた。
「あのとき明ちゃんが言ったじゃない?独りっ子は人間じゃないって。私、そういうこと平気で言う者のほうがおかしいと思うのよ」

「そうねぇ。彼女は自分の旦那さんのことを言ったつもりだって後から慌ててフォローしてたみたいだけど」
 夢子は沙織の言葉に同意して頷きながら、あのとき明ちゃんが言った・・・

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乙女心は悩ましい

14/02/01 コメント:8件 笹峰霧子 閲覧数:1181

 人間の付き合いで三角関係というと嫌な予感がする。
 なぜかといえば、そういう関係にかなり遭遇して、はじき飛ばされる側になったからだ。
 自我が芽生え始める思春期の頃の交友関係から始まって、大学時代、結婚して子供ができてママ友との付き合い……、その辺りまでは、そうそうあるある、そんなこと、と思ってもらえるかもしれないが、人の気持はどうも年齢には関係なさそうだ。
 
   ▽・・・

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いのち

14/01/21 コメント:13件 笹峰霧子 閲覧数:1031

 彼は生きることに絶望していたのか、それとも自分で決めた命の限界を見極め、それまで生きることができたことに満足していたのか。
 
 加奈子が病室に行ったとき、「自分は思うのだけど……」と話しを切り出した。
「もう生きていることもないと思うんだ」
そんなことないでしょ。元気になったらどこへでも連れてってあげるから。しっかり食べてもう一度元気になろうよ。
元気づけようとす・・・

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昭和の映画を観て

14/01/15 コメント:6件 笹峰霧子 閲覧数:829

スカパーで有料の邦画チャンネルを受信している。毎月お金を払っている割にはあまり観ないのだが、今日は録画していたものを見た。

山村ソウという俳優が主演で、若い時からえぐいおじさんという感じが嫌いだったが、今見ても同じ感覚になった。
主人公を取りまくのは、今はかなり年をとっているがそのごく若い頃の有名な女優さんだ。
たいして興味もないまま観ていたら、いつの間にか昭和に返っ・・・

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遠いひと

13/12/18 コメント:8件 笹峰霧子 閲覧数:1015

 武子がその電話を受けたのは平成24年の七月のことだった。
事は、同級生の冨士夫が君の家に行ってもいいかとメールが来て、その日の午後立ち寄ったことに始まる。
 
 冨士夫はこれまで二年毎に催される同級会で顔を合わせても、兄貴に悪いからと武子に近づいてこなかったが、武子の夫が亡くなってからは時々メールをしてくるようになっていた。
「兄貴が病院に入院してるんだ。武子の家と近いと・・・

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不確かなもの

13/06/20 コメント:3件 笹峰霧子 閲覧数:1443


人が迷うとすれば、それは不確かなものの中から自分が納得できる確かなことを探し当てる過程の戸惑いのようなもの。

やってみようか、やめとこうかとか、
このままでいようか、きっぱりやめてしまおうかとか……。


いつも両者の間をうろうろして模索しているその心は、『迷い』とはいえ、探究心か向上心の表れだというふうに自分を納得させている昨今――。

・・・

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再会

13/04/13 コメント:10件 笹峰霧子 閲覧数:1500

思い起こせば、昔はよく手紙を書いたものだ。

私は中学生の時、憧れの一学年上の女の子と文通をしていた。その相手はピアノ教室で顔を合わせていた背の高い女の子だった。

文通のきっかけは、ピアノ教室で発表会があったとき、初めてその女の子と話しをすることができて、その晩、私は思い切ってその子に宛てて、――好きです…とストレートに自分の思いを伝えた手紙を書いたことを覚えている。

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メジロが来る窓辺

13/01/30 コメント:10件 笹峰霧子 閲覧数:1413

あの時のことを思い出すと辛くなる。
小夜福子はペンを持ち、かといって書くことを躊躇いながら、あの頃のことを考えていた。

雪の多い地方の、冬の受験を迎える日々は身を切られる思いがするほど辛いのだ。かじかんだ手に息をホッと吹きかけながら、毎晩遅くまで机に向かう。
 前の年まで夜食を運んでくれていた母は持病の喘息を患って、福子が高校三年生になったばかりの春に死んだ。母の死・・・

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贈るよろこび

13/01/15 コメント:4件 笹峰霧子 閲覧数:1527

 星子は自分以外の人間と心を通わせることなく生きていた。
 家族もいたし友人もそれなりにいた。日々の家事をこなし、友人とおしゃべりもした。星子を知る人はみな、星子のことをふつうの人間だと思い、相対していたのだ。

 けれど、星子にはもう一つの心があった。その心で生きている星子は他人から見える星子より、脆く純真で温かいこころを持ち合わせていた。星子のこころの世界には穢れがなく、優し・・・

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船の旅

13/01/12 コメント:2件 笹峰霧子 閲覧数:1312

 一度くらい楽しい気分で船に乗りたいとこのごろ思う。船に乗った回数は人並み以上に多いけれど、それは真剣勝負のような気持ちであった。


乗った船は二つある。
 その一つは松山の観光港から神戸に着く『ダイヤモンドフェリー』。

 最初に乗ったのは団体で毎月通った法座に参加する為だった。一か月に一度、たしか月の8日だったと思う。

 物怖じして親も子も家・・・

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わたしの中のチベット寺院

12/12/28 コメント:8件 笹峰霧子 閲覧数:1566

 私がチベット人の坊さんと馴染みができたのは、大学でインド哲学を専攻していたからだった。

 ゼミの先輩がチベット語が堪能で、現地人と日常会話ができるほどの実力があったので、サンスクリット語の講義を受けている私は、次第に先輩とその奥さんの家に出入りするようになった。

 先輩はチベットの寺院からの依頼で、若い坊さんを世話していた。
 若い坊さんは僧侶の恰好をしていなが・・・

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自分とつながるもの

12/12/24 コメント:4件 笹峰霧子 閲覧数:1679

 数年前まで、携帯電話は私にとって無縁のものだった。
環境が変わると、必要とする物も変わる。

 家の電話機に電話がかかり、それだけの情報のやりとりで何の不自由もない気がしていた。
 その内時代の流れで、周辺の者が携帯電話を持っていると、ちらほら言い始めたけど、私は必要としていなかった。
 
 携帯電話は極、秘密の持ち物だという意識が皆の中にあったように思う。<・・・

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我が家のお正月

12/12/18 コメント:6件 笹峰霧子 閲覧数:1906

 お正月は、年をさかのぼるほど懐かしい。
第一、周りにたくさんの人がいた。子供の頃は親や親族に囲まれていたし、友達もいて、風習も今とは全く違っていた。
 
 お正月には着物を着せてもらって、羽子板で羽根を付いて遊ぶものだと思っていた。男の子は凧をあげるものだとも。だから私は自分も凧をあげてみたいなどと憧れていた。
 
 あまり風習に囚われない母だったので、きちんとお雑・・・

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わたしの学校生活

12/12/16 コメント:10件 笹峰霧子 閲覧数:1788

 学校のことはそれぞれにかなり覚えているが、中でも小学校のことは低学年の時からずっと、鮮明な記憶の中にある。
 
 私の通っていた小学校へは、後に自分の娘二人も通学することになったが、その時にはもうすっかりイメージが変わっていた。
 
 自分が通っていた頃の校舎は木造で、本館とその両側に二つの別棟が、屋根付きの渡り廊下で繋がれていた。子供達はその渡り廊下をガタガタと音を立て・・・

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