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笹岡 拓也さん

文章で笹岡 拓也の世界を伝えられたらいいなと考えてます。 キャラクターたちがイキイキとした物語を書いて、読んだあと何か残れるような作品にしていきます。

性別 男性
将来の夢 自分の作品を多くの人に読んでもらうこと
座右の銘 生きているだけで幸せ

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二輪車の発明から数十年

17/02/04 コンテスト(テーマ):第128回 時空モノガタリ文学賞 【 自転車 】 コメント:0件 笹岡 拓也 閲覧数:685

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「こんなことできるってすごいね!」
小さな子どもは目を輝かせてその姿を見つめている。

立ち乗り自動二輪車が発明されてから数十年が経ち、街中でも乗っていない人がいないほどの乗り物となった。ついに人間は歩かなくても行動できる生物となった。
朝起きると同時に二輪車に乗る。昔で言うならスリッパの役目を二輪車が果たしている。そして会社に向かう時は外出用の二輪車に乗り換える。最近の二輪車は革張りで出来ていたり、ポップなカラーで作られていたりと見た目から楽しめるようになっている。無機質なデザインからファッションへと変わったのである。
会社に向かうまでの間も当然二輪車に乗っている。電車に乗るときもバスに乗るときも一歩も二輪車から降りることはない。数十年掛けて二輪車は大きな段差も乗り越えることができるようなった。二輪車の進化があったからこそ、世界の使用率98%を誇ることが出来たのかもしれない。
もちろん子どもたちも二輪車に乗る。学校に行くときも、授業中だって二輪車から降りることはない。当たり前だが、体育の授業だって二輪車の上で授業をする。子どもたちの中で流行っている遊びは鬼ごっこ。この鬼ごっこも二輪車に乗って行う遊びだ。二輪車の速度は統一されているため、鬼ごっこをしていても足が遅いという理由で狙われる心配がない。
二輪車がなければ生きていけないほど、文明は進化した。それによって昔多くの人が使用していた乗り物は廃れてしまう。その代表的な乗り物が自転車だ。
自転車と聞いて今の時代ピンと来るものはほとんどいない。ご年配の人が子どもの頃に乗ったことがある程度の認知だ。つまりこの時代の若者は自転車など乗ったこともなければ見たこともない乗り物だった。
そんな廃れてしまった自転車を少しでも多くの人に知ってもらいたいと自転車資料館を建てた人が現れた。
その人もご年配で子どもの頃、自転車に乗ったことがあった。それだけではない。昔はよくあった自転車屋の子どもだった。しかし時代ともに自転車屋は廃業になり、苦しい時代を過ごされた。その経験から自転車のことを忘れて欲しくない想いで自転車資料館を建てたのである。

「こんなことできるってすごいね!」
小さな子どもは目を輝かせてその姿を見つめている。子どもが見ているのは自転車資料館で流している飼料映像だった。その映像には自転車に乗っている人々の姿が映し出されていた。
この映像を見て驚いているのは子どもだけではなかった。大人もまた自転車に乗っている人々の姿を見て驚いている。
二輪車と違い自転車のタイヤは異常に細い。またタイヤの並び方も二輪車は横並びだが、自転車は縦並びだ。とにかくバランスの取り方が分からない。極め付けは自分で漕がないと前に進まないということだ。二輪車は体の重心を少しだけ手前にすれば勝手に進む。しかし自転車はペダルを漕がないと進まない。これが現代の人には到底考えられないことだった。
この時代に生まれた人はみんな下り坂を自転車で駆け抜ける感覚を味わったことがない。
向かい風に立ち向かう経験もなければ、追い風に吹かれてペダルが軽く感じる経験も味わったことがない。


昔電話を持ち歩く人間はいなかった。しかし文明とともに電話は携帯化し、誰もが持ち歩くようになった。そして電話はあらゆる機能を搭載し、無くてはならない時代へと変わっていった。
立ち乗り自動二輪車もさらなる進歩を成し遂げたなら、近い将来、自転車に乗れない、見たこともないという人で溢れる時代が訪れるかもしれない。


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