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クナリさん

小説が出版されることになりました。 『黒手毬珈琲館に灯はともる 〜優しい雨と、オレンジ・カプチーノ〜』 マイナビ出版ファン文庫より、平成28年5月20日発売です(表紙:六七質 様)。 http://www.amazon.co.jp/dp/4839958211

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将来の夢 絵本作家
座右の銘 明日の自分がきっとがんばる。

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褐色のアギス――あの日座り心地の悪いベンチでぼくら

17/01/31 コンテスト(テーマ):第128回 時空モノガタリ文学賞 【 自転車 】 コメント:9件 クナリ 閲覧数:647

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 北条アギスは、私と同い年の、褐色の痩せた少年だった。
 私と同じ古くて汚い団地の、向かいの棟に住んでいた。
 最初に知り合ったきっかけは忘れてしまった。中学生の今では、休日の昼間や、休日ではない日の昼間に、こっそりと会う仲になっていた。
 夜は、一人ずつでいた方がいいような気がしたので、会わないでいた。
 アギスには、夜が似合いすぎる。それが少し怖い。

 アギスはあまり学校に行っていないようだった。
 彼が家にいる時は、私への目印に、彼の棟の壁に自転車を立てかけてくれていた。これがない時は、自転車でどこかへ出かけている時らしい。
 ある雨の六月、水曜日の午後、自転車があったので、私は四階にあるアギスの部屋を訪ねた。私たちは、いつも三階と四階の間の踊り場で会う。お互いの部屋には上がったことがない。
「よウ。お早う」
「お昼過ぎてるよ」
 アギスは部屋から出ると、いつもの踊り場へ私と降りた。昼間はほとんど無人になる団地では、他の人と会うことは稀だった。アギスの親は、いたりいなかったり。顔も知らないけれど。
 私たちは少しキスをする。アギスはタバコは吸わないけど、お酒は少し飲むことがある。
 そしてくだらない話をする。
 人と会わない私たちは、話題も多くないので、すぐに静かになる。
 そういう時は、キスしない。ごまかしのようなそれは、二人とも嫌だったから。話したいことを思いつくまで、ただ静かにしている。
 この狭い踊り場が、学校より家より、私を落ち着かせてくれる居場所だった。

 次の日の午後、また学校に行かずに、「起きてからどこまで水を飲まないでいられるかチャレンジ」に飽きた私は、水道水を痛みと共に飲み込みながら、窓からアギスの棟を見た。
 自転車がある。よし、行こう。
 そう思った時、アギスが団地から出てきた。
 そして、自転車を物陰に片づけて、自分は団地の玄関に身を潜めた。アギスは私の部屋を知らないから、あの位置がうちから見えることも知らない。
 私は、胸を棘で突かれるような痛みを覚えていた。アギスが、家にいるのに自転車を隠すということは、私に来てほしくないということだ。
 今日が初めて? それとも、まさか――今までもずっとそうだった?
 アギスは人待ち顔だ。
 誰が来るの? 誰と会うの? 私の、知らない人?
 やがて団地の入口にやって来たのは、サラリーマン風の小太りのおじさんだった。愛想笑いを浮かべたアギスは、その人の手を取って団地の中に消えた。
 気がついた時には、私は自分の棟の階段を駆け下りていた。
 アギスは、今、私に来てほしくないだろう。それが分かっているのに来る女を、アギスは嫌いだろう。
 なのに、足が止まらない。アギスの棟の階段を駆け上がる。
 四階に到達。
 私が階段を上がりきるのと、アギスが家のドアを後ろ手に閉めて出てくるのは、同時だった。
「うわ、びッくりした」
「あ、アギス? え、今の人は?」
「見てたのか……。今、俺ン家で、親ト商談中。『葉っぱ』の」
 アギスはがりがりと頭をかいた。
「下まで降りヨう。こんな処に、今、お前いさせたくないから」

「この団地、座れる処がないンだよな。でも外うろついてると補導さレるし」
 棟から出ると、アギスはさっき隠した自転車を引っ張り出した。
 私は、サドルの上に、わざと前後逆に座った。座り心地は、もちろん恐ろしく悪い。
 アギスは荷台に座った。明るいけど人気のない団地の陰で、向かい合わせになった私たちは、頭の位置がほとんど同じになった。
「親の仕事、隠してて、悪かッた。俺……」
「私こそ、ごめん……。驚いたけど、想像してたとっても最悪のことと比べたら、全然」
「何考えてたンだよ」
「それは、言えないでありますっス」
 変な日本語だな日本人、とアギスは笑う。
 そして、静かになった。
 私たちは、必然性のあるキスを、静かにした。
 アギスと、キスの先をはっきりと意識したのは、この時が初めてだったと思う。

 母さんが昔、「女は一度別れた男のことなんて、思い出しもしないよ」と言っていたのを覚えている。
 でも私は、たとえば十年後にもアギスと一緒にいるかは分からないけど、別れたとしても、きっと一生この人のことを好きなんじゃないかと思ってる。

 お尻が痛い。泣きたいほどに。
 唇が甘い。しびれるほどに。
 最悪で最高のベンチ。
 今この時の、私たちだけの居場所。
 また唇を合わせて、そのまま、私は少しだけ目を開けた。
 アギスの肩越しに、あの踊り場よりも、ずっと広くて明るい世界が続いていた。
 そこで誰よりも傍にいるのは、褐色の肌のアギス。
 きっともう、夜でも会える。
 アギスも少し目を開けた。
 目が合った。
 恥ずかしくなって、すぐに、一緒にまぶたを閉じた。


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このストーリーに関するコメント

17/02/01 白沢二背

相変わらずクナリさんらしい湿度のこもった良作だと思います。それでいて文章はすっきりとしていて読みやすかったです。


17/02/02 クナリ

白沢二背さん>
ありがとうございます!
部隊が現代でも、ファンタジーなどでも、物語を伝えるためには読みやすさがなくてはならないと思って書いていますので、とてもうれしいです。

17/02/20 あずみの白馬

拝読させていただきました。
明るい未来は見えないけれど、みんな必死に生きている。
そういうメッセージが込められているように感じました。

17/02/20 冬垣ひなた

クナリさん、拝読しました。

最小限の言葉での、巧みな構成と描写は感服する思いがします。逃げ出したい世界の中で、最後まで走り出すことのない自転車の存在感と走り出した恋心がひときわ印象的でした。甘酸っぱさの感じるラストが素敵だと思います。

17/02/25 クナリ

あずみの白馬さん>
ありがとうございます。
悲しいことは悲しいことで、降りかかるときは容赦なく降りかかるものなのでしょうが、それを当たり前のように受け入れるのも、理不尽さから暴走するのも、やはり好ましくないわけで……。
よい繋がりがひとつあれば多くのリスクから逃れうるのではないかと信じたいです。

冬垣ひなたさん>
自転車は動かないまま、想いは疾走を始めるのでした。
座る場所もなかなか見つからない世界の中で、ひどく不安定なところに二人で座った思い出は、これからどれだけ彼らを助けてくれるのかな……などと思いながら書きました。
そんな巧みじゃないっすよ(^^;)。

17/03/14 光石七

物語全体に漂う湿った空気感、不安定なサドル。でも二人の間には確かなつながりができて、それは初々しく甘酸っぱくて……
少しはみ出したような少年少女(語弊がある言い方かもしれませんが)を書かせたら、クナリさんの右に出る者はいないかもしれませんね。
素晴らしかったです!

17/03/16 クナリ

光石七さん>
ありがとうございます!
あくまで全体化できる話ではないので、主人公を取り巻く当事者たちの話と、主人公の
個人的な考察によるものに終始しましたが、読み物として仕上がっていれば嬉しいです。
自分は優しくないっすねえ…(^^;)。
むしろ、かなり冷たいと思いますヨ。。。

17/03/16 クナリ

光石さん>
ありがとうございます!
いえもう、右どころか上にたーくさんおられますからッ。
二千字の中で、なんとかひとまずの着地地点までたどりついてもらえることを目標にして書く時は、
上手くいくととてもやったぜ感なのです。
…た、たまに、着地しないで落ち続けて行くことを書くこともありますが…。
一番書きがいのある年代なので、もっと個性のバリエーションを増やしたいですね。
はすっぱな女子が主人公の話ばっかりなので(^^;)。

17/03/16 クナリ

光石さん>
ありがとうございます!
いえもう、右どころか上にたーくさんおられますからッ。
二千字の中で、なんとかひとまずの着地地点までたどりついてもらえることを目標にして書く時は、
上手くいくととてもやったぜ感なのです。
…た、たまに、着地しないで落ち続けて行くことを書くこともありますが…。
一番書きがいのある年代なので、もっと個性のバリエーションを増やしたいですね。
はすっぱな女子が主人公の話ばっかりなので(^^;)。

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