1. トップページ
  2. B面に指紋あり

入江弥彦さん

入江です。狐がすきです。コンコン。 Twitter:@ir__yahiko

性別
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

2

B面に指紋あり

17/01/27 コンテスト(テーマ):第126回 時空モノガタリ文学賞 【 304号室 】 コメント:0件 入江弥彦 閲覧数:629

この作品を評価する

 出会い系サイトに本気になるやつなんて、よほど頭が悪いか寂しい人間なのだと思っていた。つい、半年ほど前までは。
 今では出会い系で出会った五つ下の女性にぞっこんだ。派手そうな見た目とは裏腹に丁寧で穏やかな彼女に惹かれたのだ。案外しっかりしていて、頼りにもなる。口も堅くて誠実だ。
 彼女の名前は美紀と言った。独身の会社員。小柄で控えめな笑顔が魅力的な女性だ。少し化粧が濃いようにも思えるが、彼女にはよく似合っていた。ほんの少し、妻に似ている。うちの妻はと言えば、年がら年中部屋着ですっぴん。化粧のけの字も知らないのではないかと思うほど、自分の身なりに頓着ない人だ。
 大学の先輩だった妻には感謝している。嫌々結婚したわけではないのだからもちろん愛はあるのだが、毎日そばにいるのが当たり前で、もう昔のようなときめきはなかった。息子ももう高校生になる。妻の女としての顔はいつから見ていないだろうか。まるで自分の母親が増えたようにさえ思う。
 妻への罪悪感からか、俺は本当の名前を使わずに隆宏、と名乗っていた。
「隆宏さん? どうしたんですか?」
 美紀は不安そうに俺の顔を見上げた。鉛筆が乗せられそうなほど長いまつげがぱちぱちと動く。なんでもないよと告げて、いつものホテルに入る。美紀と会うのは毎週木曜日の夜と決まっていた。妻には、木曜日は会議があると言っているので、これまで疑われたことはない。お疲れさまと言って出迎えてくれる彼女のことは、今は考えないようにした。
 いつも、三〇四号室。一番高い部屋だ。俺の見栄のようなものだが、安ホテルなのでたかが知れている。
 美紀が俺に、何かをねだることはなかった。ホテルが安くても、食事が貧相でも、文句は言わない。心底楽しそうにニコニコしてくれるのだ。そういえば、妻もそのあたりで文句を言う女ではなかった。それどころか、私が先輩だから、と奢らせてもくれなかった。
 今日はやたらと妻のことを考えてしまう。それが伝わったのか、いつもより早く、美紀は帰る準備を始めた。
「来週も今日と同じ時間でいいですか?」
 美紀は、私より早くホテルをでる。美紀が帰ってからシャワーを浴びて、念入りに身なりをチェックしてから家に向かうのが、暗黙の了解というような感じだった。
 いつも通りで、と返事をしようとしてはたと大事なことを思い出す。
「いや、来週は用事があって会えない」
「そうなんですか? 寂しいけど、我慢しますね!」
 美紀の健気な様子に胸を打たれ、抱き寄せて唇をついばむ。照れくさそうにしながらも応えてくれる美紀の体を優しくはがし、部屋の入口まで送り届けた。
 来週は、結婚記念日だ。
 さすがに、結婚記念日までよその女と会っているわけにはいかない。なけなしの誠意だ。どっちつかずな自分の気持ちはシャワーで洗い流した。今日もまた、いつもみたいにお疲れさまと言って料理を温めてくれるのだろう。清潔なシャンプーの匂いを誤魔化すために、あえて飲み屋街を通って帰る。まとわりつく煙にホッと息をついた。


 妻にしては珍しく、行きたい場所があるという。予約はしておいたから、と待ち合わせ場所を指定された。こういうところが彼女らしい。美紀だったら、予約お願いしてもいいですか? なんて頼ってくれるのだろう。
 会社を出て、花屋による。行くところがあるのなら邪魔にならないサイズが良い。枯れてしまうのが悲しいよね、なんて言っていたのを思い出して、小さなプリザーブドフラワーを購入した。
 スーツのまま紙袋を下げて待ち合わせ場所に向かう。きょろきょろとあたりを見回したが、妻はまだついていないらしい。人の行きかう駅。銅像の前に立って妻を待った。隣の女性が、遅れてきた彼氏に遅いよと文句を言っている。仕方ないなとでもいいたげな表情から、彼女の気持ちがうかがえた。
 携帯が震え、妻から駅に着いたという連絡がきた。
 きょろきょろしていると、ちょんっと控えめに袖が引っ張られる。可愛いことをするじゃないか、とそちらを向いた私の心臓は大きく跳ねた。嫌な意味で。
「なっ、どうして、美紀っ?」
 美紀が、不思議そうにこちらを見上げている。
 まずい。とてもまずい。早く彼女をここから遠ざけねば妻が来てしまう。彼女に既婚者だとバレて、妻には不倫がバレて、俺は二人とも失ってしまう。
 俺の慌てている様子が伝わったのか、美紀がクスリと笑った。
「お待たせっ」
 美紀はいつもの笑顔でそう言った。今日は彼女と会う日ではない。
 なぜ? まさか。
 美紀は俺の腕に自分の腕を絡め、無理やり俺を歩かせる。冷汗が背中を伝い、鼓動が早くなる。
「三〇四号室、予約しておいたわよ。裕太くん」
 それから彼女は、いつもの美紀より低い、いつも聞いている声で、いつもとは違って、俺の本名を呼んだ。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン