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四島トイさん

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銃口は誰に向く

17/01/16 コンテスト(テーマ):第125回時空モノガタリ文学賞【優しさ】 コメント:0件 四島トイ 閲覧数:305

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 男が一人、革張りの椅子に身を沈めている。
 呼吸はゆっくりと、長く、深い。
 閉じていた瞼が、億劫そうに動き、僕を見つめる。口ひげが僅かに震え、笑ったようにも見えた。やあ、という吐息のような声が、一昔前の衛星通信のような速度で耳に届く。
「そろそろ来ると思っていました」
「ただいま」
「私はご覧のとおりおじいさんになってしまいました」
「僕は一人前になった」
「それは何より。元気そうですね」
「そっちは……大変そうだ」
「そう、見えますか」
 少なく見積もって、と僕は男の全身に視線を巡らせる。大きな窓から差し込む陽光は居間を照らし、目の前の人物を立体感を持って浮き上がらせていた。
「満身創痍」
「難しい言葉を覚えたんですね」
「大人だから」
「ここに来た頃は小さな子どもでした」
「昔語りをしたがるのは大人の悪い癖だ」
「大人は君でしょう」
 男は痙攣するように笑った。感情の起伏が見え隠れする。男のその変容に戸惑っている自分に、いっそう戸惑いたくなる。
 大人の君の昔話を是非聞きたいものです、と男は続けた。短く吐き出した息が、木枯らしのように声を掠らせる。
 骨張った手が背に回る。取り出された「それ」に視線が吸い寄せられた。
 男の目が、十数年前と同じように、静かに僕を見つめている。


 これが拳銃です、と下手な翻訳のような言葉と、銃口を、僕に向ける。
「銃弾が入っています。見えますか」
「見える」
「撃鉄を倒して、銃口を向け、引き金を引くと」
「引くと」
「君が死にます」
 その坦々とした説明は明瞭で、子どもの自分にも理解は容易だった。
 公営団地の一室。奥の六畳間で折り重なるように伏せた母親とその恋人。それを指差して、二人は死んじゃったの、と問うと、そうです、と男は短く応じた。
 向けられた銃口が揺らぐことはなかった。
 長い沈黙があった。
 顔を上げると、男の頬を涙がつたっていた。
「泣いてる」
 ええ、と鼻声で男が応じた。「悲しくていけませんね」と。
「二人も死んでしまいました」
 男の言葉には後悔や懺悔の重みは全くなかった。ただ、泣くことを隠そうともせず、人が死ぬのは悲しいと繰り返した。じゃあ、と幼い僕はつい口を挟んだ。
「僕は死んじゃうのやめとく」
 そうすれば悲しくないんじゃないかな、と続けると男は涙を拭って顔を上げた。
 名案です、という生真面目な声調が、銃口を引き下げた。
 そうして僕は、殺し屋のウチの子になった。


 男の稼業は物騒ではあったが、現場ですぐに泣き出すので、同業者にはナキと呼ばれていた。
 なぜ泣くのかと訊ねたことがある。
「人が死ぬからです」
 簡潔な答えだった。
 なら殺さなければいい、と提案したこともある。
「しかし依頼がきます。君のお母さんを殺すように言った恋人も、恋人を殺して自分も死ぬといった君のお母さんもです。余程の理由があるのでしょう」
 でもナキがやる理由にはならない、と問い詰めたこともある。
 この回答にはナキは少しだけ時間を要した。ただそれは、回答を持っていないというよりも、子どもである僕にわかりやすく説明しようという配慮であったのかもしれない。
「私は人のためになることがしたかったんです。では、人が必ず経験することは何か。誕生と死です。十月十日かけて母親は子どもを産みます。素晴らしい。ただ、私は母親になれません。あるいは怪我人や病人から死を遠ざけるために医者や薬屋がいます。憧れます。ただ、私はこれらにもなれませんでした。難しすぎたんです」
 そうして、膝に置いた拳銃をゆっくりと撫でた。
「ただ、引き金は引けました」
 その歪んだ理屈はナキの指針であり、僕の指針であった。


 そう、ただ引き金は引けた。
 老いたナキは懐かしそうに手の中の拳銃を差し出した。それを手に取る。
「銃弾はどうですか」
「こもってる」
「撃鉄は」
「倒れてる」
「銃口は」
「ナキに向いている」
「どうして泣くんですか」
 血まみれの育て親が笑いながら問う。依頼先で返り討ちに合うなど、老いた証拠だと笑い飛ばしてやろうと思ったのに。目の前の老人が、まるで真っ当な人間であるかのように見える。それに怯えている自分を感じる。
 育ての親譲りなんですよ、とかろうじて声を出す。
「人が死ぬのが悲しいんだ」
 そうですね、とナキは微笑んだ。でも、と息を漏らす。
「私は死んじゃうの、やめておけないんです」
 弱々しく片目をつぶる仕草がまるで似合っていない。
 拳銃をまっすぐ構える。
 引き金を引く。
 涙が一粒、温度と速度を伝えて落ちた。


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