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吉岡 幸一さん

性別 男性
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304号室の見える部屋

17/01/15 コンテスト(テーマ):第126回 時空モノガタリ文学賞 【 304号室 】 コメント:0件 吉岡 幸一 閲覧数:517

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「止みそうにないわね」
 窓の外をながめる夫の横から妻は声をかけた。ふたつ握られたコーヒーカップの片方を夫に渡し、唇で熱さを確かめながら少しだけ舌を湿らせた。
 窓の外は雪が降っている。昨夜から降り出した雪は今朝になっても止むことがない。マンションの下にある駐車場の車の屋根には雪が積もり、木々の枝も白くなっていた。
 夫婦の暮らすマンションは二棟建てになっていて、同じ敷地内の目の前に同じ形のマンションが建っている。百メートル先にはマンションの壁があり、たくさんの窓が見えている。向こう側のマンションの住人にしても同じで、窓の先にはこちら側のさまざまな世帯の窓が見えた。
多くの部屋は向かいから覗かれないようにカーテンを閉めていた。たまに閉め忘れた部屋があれば、向こうが気付いて閉めるまでなかを覗くことができた。覗けるといっても、ソファに腰かけてテレビを見ている様子や食事をとっている姿などが見えるに過ぎなかったが。
夫婦の部屋はA棟301号室、真正面の部屋はB棟304号室であった。窓辺に立ってまっすぐに見ると、そこは304号室の部屋にあたる。
「お向かいの部屋っていつもカーテンを開けているわね。」
 夫の顔色を伺いながら妻は呟くように聞く。
 向かいの304号室はカーテンを閉めることがないので、窓辺に立つと部屋のなかが丸見えだった。
「見られても気にしない性格なんだろう」
 夫はコーヒーに口をつけることもなく、まっすぐに前を向いている。雪を眺めているのか、向かいの部屋を見ているのかわからない。
 304号室はまるで見せつけるようにカーテンが開けられている。夫婦と同年代と思われる三十代の女が一人ソファに腰かけて雑誌をめくっている。部屋着ではなく外出着のようだ。赤いスカートの上で猫が丸まっていて、ときどき女は猫の背中を撫でている。
「女の一人暮らしなのかしら。カーテンを閉めないなんて不用心だと思うの。どこから覗かれるかわからないっていうのにね」
「俺は覗いてなんかいないぞ。興味ないし」
 思いのほか夫が強く否定したことに、妻は驚きよりも悲しみがわいてきた。
 301号室に引っ越してきて一カ月、結婚して一カ月、このマンションに暮らしたいと言ったのは夫だった。引っ越しを決める前、このマンションは301号室の他にも504号室が空いていた。同じ家賃なら専有面積がより広く日当たりも良い504号室の方がどう考えてもよかったのだが、夫は妻の意見も聞かず301号室に決めてしまった。妻が理由を聞くと「なんとなく」と言うだけで口籠ってしまった。
 夫が選んだ部屋に文句をいうことはなかったが、何かを隠しているような夫の態度に妻は甘い心をざわつかせた。
「とてもきれいな方ね。私なんかよりもあんな方と結婚したかったんじゃないの」
「馬鹿言うなよ」
 夫はあきらかな作り笑いを浮かべて妻の肩をたたいたが、その手には力がなかった。
「ごめんなさい。冗談だから……」
 妻は半分残した夫のコーヒーカップを受け取ると、足音を殺してキッチンへ向かった。
 妻が知っていることを夫は知らない。向かいの304号室に暮らす女はかつて夫の恋人だ。引っ越してきて一週間後に夫の携帯電話のアルバムの中に女の写真が幾枚も保存されているのを発見した。
漠然とした女の感が疼いた妻は、夫が風呂に入っている隙に携帯電話をひらいて見つけたのだ。パスワードが誕生日なのは知っていた。一緒に楽しそうに写った写真、手をつないだ写真、妻とは行ったことの場所で撮った写真、こんな笑顔の夫は見たことがない。
「牛乳が切れたみたいだから買ってくるね」
 妻はキッチンから声をかけると、夫の返事も聞かず外へでた。傘も持たずコートも羽織らず財布すら握っていなかった。
 外を見ている夫は不自然な妻の姿に気づかない。
綿のような雪が304号室から漏れる明かりに輝いて美しかった。304号室の女は見られていることを知っている。見ている相手が夫であることも知っている。着飾った姿をわざと見せつけているとしか思えない。
夫が304号室の女を見ていると、ふいに女は立ちあがり姿を消した。玄関方向に向かったところをみると宅配便でもきたのかもしれない。だが夫の予想はすぐに裏切られた。女の後ろから妻が入ってくるではないか。
女はソファに座るように手で差しているが妻は首を振っている。まっすぐに窓辺までやってくると夫に顔を向けて笑った。笑い声は聞こえない。夫の驚いた顔をからかうような笑い顔だった。妻の後ろで女は助けを求めるような顔をしてかつての恋人を見ている。
雪は激しくなるばかりで止む気配をみせない。世界は乳のような白さを増している。
夫は静かにカーテンをしめると床にしゃがみ込んだ。頭を抱え、低いうなり声をあげた。


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