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かるりさん

のんびりきままなやつです。 2回読みたくなる短編が目標。がんばります。

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腐るボタン

17/01/10 コンテスト(テーマ):第125回時空モノガタリ文学賞【優しさ】 コメント:3件 かるり 閲覧数:439

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「腐りますか?」
 案内人を名乗る男が取り出したのは、怪しげな装置だった。
 装置はたばこの箱と同じぐらいの大きさで、中央に赤いボタンがついている。ポチッと押したくなるデザインだが、その気になれないのはボタンの下にDANGERと書かれているからだ。
「危険と書いてあるぞ」
「教えて頂きありがとうございます。英語が苦手なものでして」
 恭しく頭を下げた後、案内人が言った。
「これは腐るボタンです」
「なんだそりゃ」
「このボタンを押すと対象が腐り始めます。外気に触れる部分から腐敗し、瞬く間に全体へ広がります。一度腐敗すると止める術はありません。液状化するまで腐り続けます。まあドロッドロのグチャグチャになるボタンと覚えていただければ」
 ぞっとした。シンプルなこの装置は異常な力を秘めているらしい。うっかり押してしまわなくてよかった。
 この恐ろしいボタンを押したい気持ちはまったくないのだが、一体何が腐るのかと好奇心が口を出た。
「腐る対象は何だ?」
「優しさです。優しさが腐ります」
 案内人の返答は想像を超えていた。
 優しさは感情、気持ちであり形ないもの。それがどうやってドロドロ腐り溶けるというのか。
 眉を顰める僕に案内人は「安心してください」と続けた。
「視認できる腐り方ですから」
「でも優しさは見えないだろ」
「仰るとおり」
 大きく頷いてから案内人が取り出したのはセロファンに包まれた飴だった。
「この部屋が乾燥しているからでしょうか、声が枯れ気味です。のど飴をどうぞ」
 流れるように差し出されて受け取る。ごく普通の飴だ。腐ってはいない。
「この飴が優しさですよ」
 案内人に言われてもう一度飴を見るが、やはりただの飴で、優しさとわかるものは見当たらない。
「この飴は、あなたの体調を案じた私が送ったもの。飴に私の優しさが宿っています。だからこの飴は腐敗対象になるのです」
 愛情を込めた料理という言葉があるように、この飴にも見えない優しさが込められているのかもしれない。案内人の説明はすんなりと胸に落ちた。
「このボタンは優しさとそれに関わるものを腐らせます。優しさであるこの飴はもちろん、飴に関わるもの、つまり飴を渡した私も腐りますね」
「人も腐敗対象なのか?」
「優しさ、優しさに関わるものであれば人間も腐りますよ。でも安心してください。その飴はサンプルですから。中身は毒です」
 説明のためとはいえ毒入りを渡さないでくれ。恨めしく睨むも、案内人の飄々とした態度は崩れなかった。
「注意事項がありまして。このボタンはこの地球に存在する全ての優しさに作用します」
「世界から優しさが消えるのか」
「正解です。聡明な方でしたら押さないでしょうね。あと気を付けることは、」
 ここまで聞いてもボタンの魅力をまったく感じない。世界中の優しさを腐らせるボタンなんて、製作者は相当な優しさ嫌いなのだろう。まったく悪趣味な話だ。
「もういい。僕は押さないぞ」
「残念です」
 案内人は寂しげに頷き、それから、細い声でぽそりと呟いた。
「優しい人なら腐ってしまいますからね。ボタンを押してしまうほど優しくない人なら腐らないでしょうけど」
 嫌な予感がした。ボタンを押す人が優しくない人ならば、押さなかった人はどうなるのか。
 案内人は腕時計を確認して立ち上がった。
「次のところへ行かないと。今度こそ優しくない方だといいのですが」
 不安が加速する。
 案内人は僕以外の誰かに腐りますかと聞くのだ。誰かがボタンを押してしまえば優しさが腐る。ここでボタンを押さなかった優しい僕は――
「待ってくれ」
 呼び止めるのを待っていたかのように。にやりと笑みを浮かべた案内人が、あの装置を差し出して言う。
「腐りますか?」

 僕がボタンを押してすぐに腐敗が始まった。
 食品、衣類、家具……有機物無機物問わずあらゆるものからポタリ腐った汁が垂れる。
 足元がぐらりと揺れた。床も腐っている。天井も溶け、溶けた穴から腐臭を孕んだ液体が雨のように降り注ぐ。
 どうやらこの世界は僕の想像以上に優しさで溢れていたらしい。
 あっという間に室内も室外もまぜこぜの海に変わっていた。
 街が、世界が、優しさに沈んでいく。
「ああ残念ですよ。英語が読めたからですかねぇ」
 液体を浴びても案内人は腐らなかった。腐った海に立ち、僕を見下ろしている。
 耳元で焼ける音がした。手を伸ばして探ろうとしたが出来なかった。動くはずもない、もう手は腐ってしまったのだ。
 どうして僕が腐るのか。僕がボタンを押したのに。
「私は腐りませんよ。だって、」
 腐敗が僕の意識を絡めとる直前、案内人は微笑んでいた。
「このボタンは押してから5分後に腐り出します」
 それは僕と真逆の笑みだった。


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このストーリーに関するコメント

17/01/15 あずみの白馬

拝読させていただきました。
この世は確かに優しさで出来ています。それを見事に表現した良作だと思います。

17/01/15 あずみの白馬

拝読させていただきました。
この世は確かに優しさで出来ています。それを見事に表現した良作だと思います。

17/01/17 かるり

>あずみの白馬様
コメントありがとうございます。
この世界に優しさがたくさんあると思っていますし、これからもそうであってほしいと願うばかりです。
良作とのお言葉、ありがとうございます。励みにがんばります!

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