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八王子さん

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言えないこと

17/01/08 コンテスト(テーマ):第125回時空モノガタリ文学賞【優しさ】 コメント:0件 八王子 閲覧数:311

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 仕事から帰ると温かい夕飯ができていたりはしない。
 それどころかどこの部屋も真っ暗で電気のひとつも点いていない。
「ただいま」
 壁のスイッチを押して電気を点けても、その返事が返ってこない。
 いつもより広く感じる物静かなリビング、大きなソファーは冷たく、大きなテレビも静寂を保っている。
「まずい、洗濯物干しっぱなしだ」
 買ってきたスーパーの買い物袋をキッチンに置いて、すっかり太陽のぬくもりを失って冷たくなった洗濯物を取り込む。
「もう七時か……」
 寂しさを紛らわすために点けたテレビからはニュースが流れ、今日一日の出来事を報じている。
 キッチンに戻り、ワイシャツの手首のボタンを外して腕まくりをしてピンク色のエプロンを身に纏う。
「米は三合でいいか」
 わざわざ自分の思考を言葉に出して自分の行動と照らし合わせる確認作業をしながら、カップで丁寧に測り、神経まで冷たく冷える流水で米を研ぐ。
 零さないようにと意識すればするほど指の隙間から米が零れ落ちる。
 炊飯器にセットして、冷蔵庫から昨日の晩からつけおきしておいたからあげ用の鶏肉が入ったボウルを取り出す。
「揚げ物なんて久しぶりだ」
 油の入った揚げ物用の鍋を火にかけて、じっと睨み付ける。
 テレビでやっているのを思い出しながら四苦八苦しつつ鶏肉を投入する。
 すべての鶏肉が油の中を通った頃には、黒くなってしまったもの、中が生っぽいものと体に悪そうなものもいくつかできたが、後半は割とまともなものができていた。
 誰にも誇れない達成感に満たされていると玄関が開く音がする。
 エプロン姿のまま迎えに行くと、ブーツを脱ぐのに手こずっている娘がいた。
「おかえり。夕飯できたぞ」
 そのタイミングを見計らっていたかのように、炊飯器が米が炊けたことを報せる大きな音を静かな家中に響かせる。
「手洗いとうがいをしてきなさい」
 娘は無言のまま洗面所へと向かう。
 キッチンに戻り炊飯器のフタを開ければ、白く艶やかで綺麗な米が炊き上がっている。
「……しまった、ちょっと水が多かったか」
 しゃもじでかき混ぜた感触で失敗だとわかる。
 誰だったか、馬鹿でも米ぐらい炊けると言っていた奴は。
 娘と自分の茶碗にご飯をよそい、テーブルに運ぶ。
「失敗したのもあるから、まともなところを選んで食べてくれ」
 娘はなにも言わずに、から揚げを摘まんで口へと運ぶ。
「どうだ?」
「まあまあ」
 期待していたわけではないが、食べられないわけでもなさそうで安心した。
 仕事から帰って来て最初に聞いた娘の声が「まあまあ」なのは、あまり嬉しくはないのは、この慣れない生活の中では十分な妥協点としよう。
「今日はこんな遅くまでどこに行っていたんだ? もう夜は暗いんだぞ」
「お父さんには関係ないでしょ」
 関係なくはないだろうが、だからって怒れるほど娘に対して父親をしていた実感がないため、なにも言えず、ただ、
「あまり心配させないでくれよ」
 弱々しく言うしかなかった。
「ごちそうさま」
 いただきます、は言わないのに、ごちそうさま、を言うのは娘にとって余計な会話はこれで終わりという合図だ。
「風呂先に入って……あ、まだ洗ってなかった。すまん、夕飯のことで手一杯で」
 朝はいつもより早く起きて平日でも構わず一回でも洗濯機を回して、洗濯物を干しておかなければ週末に履くパンツがなくなるが、風呂掃除までは頭が回らなかった。
「すぐ洗うから待っててくれ」
 夕飯の手を途中でとめて、風呂場へと駆けていく。
 こうして今日も、なにひとつ上手くいかないまま、目の前の家事、明日の用意と終わることのない仕事に忙殺されて日を跨いでしまう。
 長い風呂に入った娘は部屋に篭っているが、部屋の外から声をかける。
「おやすみ」

 翌朝、目覚まし時計のけたたましい音で目を覚ました。
 まだ朝の六時前だ。もうすぐ冬休みの終わる娘の高校が始まったら、弁当が必要になる。自分の適当な弁当では許されずはずがない。
 もう少し早起きをする必要があるか、と考えながらリビングへと行くと、明かりが点いていた。
「おはよう。なにをしているんだ?」
「お弁当、作ったから」
「これを、お前が?」
 テーブルの上には赤や緑や黄色、色鮮やかな弁当が熱を飛ばすためにフタを開けて置かれている。
「お父さんの料理、すっごく下手くそだから友達に教えてもらってた」
 ピンク色のエプロンをつけた娘が、絆創膏の巻かれた指を隠した。
「お母さんが退院するまでだからね」
 妻のいない長く感じると思われたふたりきりの生活も、多少は短く感じるようになるのを喜ぶべきか悲しむべきか、感謝の言葉はなく、優しくそっけない娘を持った父親にはわからなかった。

(了)


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