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比些志さん

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優しさの湯

17/01/07 コンテスト(テーマ):第125回時空モノガタリ文学賞【優しさ】 コメント:0件 比些志 閲覧数:469

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優しさの湯という温泉ができたというので、青木は仕事帰りに一人で立ち寄ることにした。そこはサラリーマンやOLをターゲットにしている都市型のいわゆるスーパー温泉である。とはいえ天然の源泉掛け流しで、且つ体のみならず心まですっかり癒され、優しい気分に満たされると評判なのだ。
青木は受付をすませると、まっすぐ脱衣場に進んだ。とても清潔だし、店員の対応も気持ち良い。とりもなおさず汗ばんだスーツとシャツを脱ぎ捨て、温泉に向かった。
湯に入るとすぐにそれまで体を縛りつけていたすべてのしがらみや束縛から解きはなたれるような解放感とともに、体の中の毒素がすべて洗い流され、代わりにえもいわれぬ穏やかな気持ちが全身に行き渡るよう最上の感覚につつまれた。
ああ、これが優しさの湯か……
おもわずため息が声になってもれた。
するととなりで湯につかっている人の好さそうな男が、まるで青木の心の声を聞きとったかのように声をかけた。
「優しさはきっと地球上で人間だけに与えられた特権でしょうね」
青木は男の顔を見てニコリとわらった。しみじみそのとおりだとおもったのである。男はすぐに「では」と言い残して湯船から出たが、青木はそのまま一時間ちかく恍惚感に浸り続けた。ーーぼんやりと、ここで洗い流された負の感情はいったいどこに行くのだろう……?とおもいながら。

次の日、青木が勤務する所轄の管轄で通り魔事件が発生した。若い女性が夕方、帰宅途中の路上で何者かに刺殺されたのだ。青木は、捜査本部の一員として、ローラー作戦に参加した。その後、すぐに飛び込んできた重要な目撃情報をたよりに青木ら数人は、とある店への張り込みを開始した。
そこは雀荘だった。たまたま、その店が入居しているビルは、優しさの湯の真向かいに位置したが、建物の印象は正反対で、昭和のうらぶれ感でいっぱいだった。
店に入ると吐き気をもよおすほどに気分が悪くなった。最初はタバコの匂いのせいかとおもったが、匂いになれてからも気分の悪さは一向に収まる気配がなく、さらに時間がたつほどに不愉快な気分がとめどなく込み上げてきた。それでも青木は同僚の捜査員たちと客のふりをして、一日中、店に居座りつづけた。
三日目、犯人らしき男が現れた。顔を見た瞬間、青木の怒りが爆発した。
しかし、青木が立ち上がる前にいっしょに雀卓を囲んでいた同僚三人がいっせいに犯人の体にとびかかっていた。三人は犯人に馬乗りになると、憎悪と怒りに満ちた表情で容赦なくその体を殴りつづけた。青木が止めなければ三人はそのまま犯人を撲殺していたかもしれない。

それから一週間後、青木は店を再訪した。表面的には、捜査に協力してくれた店の店長にあらためて謝意をつたえるという名目だったが、真のねらいは他にあった。
店に入るとまたムカムカとした感情がこみあげてきた。その理由はわかっていた。青木がひそかに調べたところでは、その店では、部屋の暖房の熱源に、優しさの湯から流れ出る熱水を利用していた。しかも雀荘は優しさの湯から無料で排水を得ていたのである。
レジのカウンター越しに現れた背広姿の店長の顔をあらためて見ると、数日前、温泉の湯船でとなりあわせになった客であることに気づいた。しかし、親近感を覚えることはなく、逆に社会に憎悪を撒き散らしながら、自分だけは私腹をこやしている目の前の男への殺意にも似た強い憤りのため、青木の顔は真っ赤に紅潮した。
一方、男は青木と目を合わすなり、あのときと同じような柔和な口調でこういった。
「うらみや怒りはきっと地球上で人間だけに与えられた業なんですよ」
「ふざけるな!」
青木はたまらず男の胸ぐらをつかんだ。
「なんで、憎悪をばらまく?おまえが犯人を作った。おまえのせいだ!」
男はその手をふりほどこともせず、口もとに冷ややかな笑みをうかべた。
「私は、法律の中で許可されたことだけをやっています。そんなこととは関係なく上層階級が愛だの優しだのをふりかざせばふりかざすほど、掃き捨てられた憎悪や怒りが下層階級に吹きだまる。それを私はたまたま商売に利用しているだけです。ーーいっときますけど、あなただって今回の犯罪の片棒を担いでいるかもしれないんですよ」
青木は男の胸ぐらから手をはなし、懐から拳銃を抜いた。しかし男は、怯えるどころか、乱れたネクタイを両手で整えながら、
「あなたは怒りで自分を見失っている。まずはあなた自身が殺人犯にならないように祈りますよ。私は、あの客にもこれを差し上げたんですがね、結局、使うことなく、怒りにまかせて凶器を手にしてしまったようですな」
といって、黒い背広の内ポケットからおもむろに一枚の紙切れをカウンターの上に差し出した。ーーそれは、優しさの湯の無料優待券だった。了


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