浅月庵さん

笑えるでも泣けるでも考えさせられるでも何でもいいから、面白い小説を書きたい。

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17/01/01 コンテスト(テーマ):第124回 時空モノガタリ文学賞 【 五分間 】 コメント:0件 浅月庵 閲覧数:576

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 正常な思考を灼いてしまいそうな、或る夏の日。
 大学へ向かう道中、彼女と僕は初めて出会った。

「名前は何て言うんですか?」
 僕は彼女の連れている犬へと歩み寄る。牛のようなカラーリングが堪らなくチャーミングだ。
「この子の名前は、少し言うのが恥ずかしいんですけど……大福っていいます」
「ユニークな名前ですね」僕は大福の、丸い背中や頭をガシガシ撫でてやる。一人暮らしの大学生に犬を飼う余裕なんてないから、散歩中の犬を見かけると、ついつい構いたくなってしまう。「すごい可愛かったです。ありがとうございました!」
「いえいえ、大福もとっても喜んでます」
 僕は別れ際、ようやくそこで彼女の姿をしっかりと見つめる。白いワンピースに花飾りをあしらったサンダル。麦わら帽子の陰から覗く彼女の顔は、瞳も大きく、端正な造りをしている。
 体つきも細く、触れてしまえば幽体のごとく、するりすり抜けてしまいそうな儚さが漂っていた。

 次の日も僕は、昨日と同じ時間帯に大学への通学路を辿る。
 今日は二時限目からの登校でいいはずなのに、気付けば僕は大福の姿を探していた、というのは嘘ではないが、実のところ少し違う。
 本音を言うと僕は、彼女に惹かれ、導かれていたのだ。

「あっ! 大福だ」
 故意ではなく偶然を装う。わざとらしくならぬよう、慣れない演技をした。
「また会いましたね」
 微笑む彼女につられて、僕も自然と笑顔になる。

 僕たちは互いに自己紹介をした。それは本当に簡易的なもので、その場では彼女の名前が美智ということしかわからなかった。僕も自分の名前と近くの大学に通う学生だということだけを告げ、その日は手を振って別れた。

 それからも僕は、度々美智さんと会うようになる。
 朝のほんの数分間だけど、徐々に美智さんの内面を知っていく。彼女への想いは増す一方だった。

 ーーそんな日々は続き、すっかり吐く息も白くなってしまった季節。
 僕は学校が休みの土曜日の朝、空腹を感じ、コンビニへ向かうことにした。

 その途中、小刻みな息遣いと、アスファルトをカチャカチャ踏みつける音が近づいて来る。
「おぉっ! 大福さんじゃないですか」
 リードを引き摺る大福は、僕の体を踏み台にして、青空へ飛翔してしまいそうなほど飛びついてきた。平日以外で美智さんと顔を合わせるのは初めてだな、なんて考えながら、僕は彼女の姿を探す。

 美智さんはダウンにマフラー、ニット帽といった重装備で、こちらへと駆け寄って来た。

「あれ、大福。この方は知り合いかな?」
 美智さんの隣で、彼女よりワンテンポ早く口を開いた、見慣れない男。口角に浮かばせた皺は、社交的な笑顔をスムーズに生んでいる。

 どことなく神経質そうな顔つきの男。
 ……そうか、こいつか。
 彼の左手に目をやると、薬指の根元は厭らしく、銀鼠に光っていた。美智さんも同様に。

 僕は一度だけ、美智さんを部屋に招き入れ、彼女を抱いた。
 僕は彼女の体に刻まれた生傷を、ぎこちないながらもゆっくりと撫でた。
「これ全部、夫からなの」
 初めて美智さんの顔を見たとき、彼女の左眉の辺りが鬱血しているのを、僕は見逃さなかった。
 部外者が口を挟むべき問題ではないのかもしれない。
 だけど、彼女の病的なまでに痩せこけた頬。虚ろな目を見ていると、どうしても放ってはおけなかった。
「すぐに別れるべきです」
 たかが学生の言葉はあまりに陳腐で、彼女を離婚へと誘うことは叶わない。
「私はあの人に従順でなくてはいけない」
 まんまと一人の人間に飼い慣らされている美智さんを、僕はどうにかして救いたかった。

「たまに朝、大福を見かけると一緒に遊ぶんですよ。それにしても大福って、とても良い名前ですね」
 僕は美智さんと特別な関係であることを、彼に悟られぬよう注意を払う。
「美味しそうな名前だろう。僕が付けたんだ、豆大福が好きでね」
 彼の声のトーンは高いが、それは外面を気にしてのものだろう。光を宿さないその瞳は澱み、いつも美智さんに乱暴しているところが容易に想像できた。
「僕は食べるほうの大福は、嫌いですね」

 果たして熱に浮かされるという言葉は、その日が真夏だったから、という言い訳で片付けられるものなのだろうか。
 いや、季節が移り変わっても、依然として僕の美智さんへの想いは変わらない。
 そして、大学生ごときが彼に様々な面で敵うはずがないことを、重々承知しているくらいに頭は冷静だ。

 それでも僕は、或る朝美智さんが洩らした、静かな叫びを反芻してしまう。
「この五分ぽっちが永遠に続いたらいいのに」

 彼女の細い首に巻かれた首輪を、自分の意思で外すのを待つか、無理矢理にでも彼のリードを持つ手を離れさせるのか。

 僕はまだ迷っている。


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