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吉岡 幸一さん

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理髪屋五分

16/12/20 コンテスト(テーマ):第124回 時空モノガタリ文学賞 【 五分間 】 コメント:0件 吉岡 幸一 閲覧数:544

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『入院のため一ヶ月間休みます。理髪屋五分』と、理髪店のドアに癖のある字で書かれた貼紙を見つけた時の僕の気持ちは大げさではなく絶望に近かった。
 お気に入りの店ですぐに髪を切れないというのはけっこう予定外のことだった。忙しい仕事の合間に髪を切りたくて折角ここに来たのが無駄になってしまった。
この街に理髪店はいくらでもある。しかし馴染みの店が落ち着くものだ。それに何よりここは早い。店名の通り五分足らずで髪を切ってくれるのだから忙しい僕にはありがたい。これまで何十軒とまわった末にようやくこの店を見つけたのだから、すぐに他の理髪店に行こうという気持ちにはなれなかった。
 さて、どうしよう。一ヶ月間待ってからまた店に来るか、それとも他の店を探すか。
 迷っているとドアが少し開いて中から中年の女性が顔を出した。いつも理髪師の旦那さんの手伝いをしている奥さんだ。
「ごめんなさい。せっかく来ていただいたというのに」
「いえ、ご病気なら仕方ないです」
「主人の父が一度も店を休んだことがない人でしたので、主人も休まなくてはならなくなって大変残念がっていまして…」
「こちらのお店のように五分足らずで髪を切ってくれるところはないので大変助かっています。また寄らせていただきますね。ご回復を祈っています」
 僕の笑顔に安心したのか奥さんは丁寧に頭を下げるとドアを閉めた。
 僕は過去に訪れた理髪店を一つずつ思いだしながらドアに背を向けた。唸りながら正面を見ていると、廃屋のような木造平屋建ての戸に名刺大の紙が貼られているのを見つけた。そこには小さな文字で『理髪屋五分』と書かれてあった。
 この場所には何度も来ていたが今まで気が付かなかった。無理もない。空き家にしか見えないし、看板も出ていないのだから。
 理髪屋五分というのは前の店と同じ店名だ。どういうことだろう。
 僕は恐る恐るドアを開けてみた。開けてみたら物置かもしれないと思っていたが、実際は外観同様に古びていたが普通の理髪店だった。ひび割れた壁、くすんだ鏡、年季の入った椅子、そしてその場所にふさわしい老人の理髪師が折り畳み椅子に腰かけて新聞を読んでいた。
「あの、やっていますか」
 小声で疑うように聞く僕に優しく老人は答えてくれた。
「ああ、息子の店の常連さんだね。入院してしまったからね、迷惑かけてすまないね」
 しわがれた声だが凛としている。おそらくはこの店が古くなったので、向かいに新しい店を建てて息子に任せているのだろう。老人は余生を楽しむように、思い出と共にこの店で理髪師を続けているのか。僕は勝手に想像して納得した。
 五分でサービスをこなす理髪師の父親ならきっと僕の期待に応えてくれるに違いない。
 奥さんも人が悪い、義理の父親の店が目の前にあるのなら教えてくれてもよかっただろうに。たぶん日頃から仲が悪いのかもしれないな。
 僕は頑固そうな老人の顔を眺め、奥さんの気持ちもわからないではないが、と思いながら鏡の前の椅子に座った。
 息子同様に五分しかかからなかった。一切手抜きなし。息子よりも遥かに綺麗で丁寧な仕上がりだった。あまりに早かったので、いつ何をされたのかよくわからなかったくらいだ。
「さすがに早いですね。息子さん以上ですよ」
「なあに、息子にはまだ負けないよ」
「さすが理髪屋五分っていうだけのことはありますね。五分間で髪を切って、髪を洗って髭をそって…。早くて助かります」
「ははっ」と、笑った後で老人は撫でるように僕の肩をたたいた。
「お客さん、また随分と髪が伸びましたね」
 鏡を覗くと切ったばかりの髪が切る前と同じだけ伸びていた。
「では、お切り致しましょう」
 老人はそう言うとすぐに髪を切りはじめた。五分後、僕の髪は綺麗に仕上がっていた。狐につままれたような気分で鏡を覗いていると、見る見る髪は元通りに伸びていった。
また老人は「では、お切り致しましょう」と、何もなかったように繰り返した。五分後、同じことが起こった。僕の髪は五分で切られてはすぐに伸びて、また五分で切られてはすぐに伸びるということを繰り返し続けた。
「では、お切り致しましょう」
 僕は椅子の上から転がるように降りた。老人は不思議そうに僕を見ている。
「さあ、どうぞお座りください。五分もあれば終わりますよ。さあ、どうぞ椅子に」
 僕は慌てて店をでた。手が震え、足が震えている。老人の視線が背中に突き刺さってくる。
 店を出て振り返ると、廃屋のような理髪店が崩れはじめた。バラバラになった木片が音もなく落ちていく。あっという間に瓦礫の山になったが土埃は舞い上がってこない。
「だ、大丈夫ですか」
「五分もあれば終わりますよ。さあ、どうぞ」
 瓦礫の奥から老いた理髪師の声が響いてきた。早く髪を切りたくてたまらないような声だった。


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