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野々小花さん

野々小花(ののしょうか)です。文化教室に通って、書く勉強をしています。

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【エッセイ】 残る日々

16/12/19 コンテスト(テーマ):第123回 時空モノガタリ文学賞 【 クリスマス 】 コメント:0件 野々小花 閲覧数:803

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 元夫の父親が経営する店を、結婚しているあいだ、私も手伝っていた。日本に出稼ぎに来ているブラジル人向けの店である。食料品が主で、店の大きさはコンビニと同じくらい。レジはひとつだった。
 当時、私は彼らの言葉がまったくわからなかった。それなのに、無謀にもそのたったひとつのレジを担当していたのである。バーコードを通せば値段は表示されるから、私はとにかくニコニコしてその金額を指さしていた。
 お金のやり取りで特に失敗はなかったけれど、さすがに日本語しか話せないレジ係だけではまずいということになったのだろう。ある冬の日、ひとりの女の子が、手伝いに来てくれることになった。

 私より少し上の、二十代半ばくらいだったと思う。きれいな黒髪で、ブラジル人にしては小柄だった。まだ日本に来て日が浅いという彼女は、ブラジルの言葉(ポルトガル語)以外に、英語が少しできるらしかった。
「スピークイングリッシュ?」
 ポルトガル語を話せない私に気づいて、それなら、と英語で語りかけてきた。私は首を振った。簡単な単語くらいなら理解できるけれど、会話をする自信はまったくない。私は日本語だけ。彼女は日本語を話せない。共通の言語がないのである。
 それでも、私と彼女はなんとかコミュニケーションをとっていた。レジと壁に挟まれた小さなスペースで体を寄せ合って、日本語とポルトガル語の辞書を片手に、なんとか会話をしていたのである。
 十二月の中旬になると、店の中は、とてもにぎやかになった。クリスマス用のカラフルなお菓子やケーキがたくさん並んだ。イヴの日、買い物をしてくれたお客さんに、おまけのチョコレートを配ることになった。
「この、おまけの、チョコレートね、食べてもいいよ」
 私が包みを開けて食べる仕草をすると、彼女は心配そうに、
「ダイジョーブ?ダイジョーブ?」
 と日本語で繰り返した。店の商品を食べてしまっていいのか不安なのだ。もちろん、許可は得ている。
「トゥードゥベン」
 大丈夫だよ、と、私は覚えたばかりのポルトガル語で返事をした。彼女は安心したように、チョコレートを口に入れた。そして、甘いね、と笑った。

 彼女と一緒に過ごせたのは、ほんのわずかな期間だった。ブラジルに帰国することが決まったのである。彼女がブラジルに帰って、しばらく経ったころ、近況を知ることができた。地元の大学に通っているのだという。
 通学にはバスを利用していて、あるとき、急ブレーキがかかって隣のひとが倒れこんできたらしい。そのひとを慌てて受け止めたとき、
「ダイジョーブ?」
 という日本語が、思わず彼女の口から出たという。
 彼女は、忘れていなかったのだ。彼女のなかに、日本で過ごしたあの日々が残っていたのだとわかって、私は、たまらなく懐かしい気持ちになった。



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