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本宮晃樹さん

ふつうにサラリーマンをしております。 春夏秋冬、いつでも登山のナイスガイ。 よろしくお願いします。

性別 男性
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量子地獄

16/11/22 コンテスト(テーマ):第93回 【 自由投稿スペース 】 コメント:0件 本宮晃樹 閲覧数:483

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「いまこそ!」合衆国大統領は高らかに宣言した。「全世界に住むすべての人間が、申しぶんなく幸せになるときだ」
 そんなことが可能なのか? 円卓についた各国首脳は不安げにおのおのの顔を見交わした。この会談は定期開催されるざっくばらんなオフレコの集まりである。まったくなんのひねりもないが、〈円卓の騎士たち〉の名で親しまれており、公式にはとても発言できないような議題が飛び交うたいへん刺激のある場なのだが……それにしたっていまのはいくらなんでも破天荒にすぎる。
「超伝導超大型粒子加速器」彼はみんなの懸念をよそに滔々と続ける。「どうせあんたがたは、こいつが頓挫したままになってると思ってるんだろう」
 そのはずだった。物理学の発展のため合衆国では二十世紀末、全長八十キロにもおよぶ途方もない加速器が作られようとしていたのだが、資金難その他もろもろの理由によってついえていた。
「実は先ごろ、秘密裏にあれが完成した。多くの困難があったが、わたしの理念の前に結局はどの部署も納得してくれた。なかには一致団結して辞職することにより、資金を少しでもこいつに回そうとしてくれたやつらもいた。実にすばらしい美談じゃないか!」
 各国首脳は二の句が継げないでいる。合衆国大統領は勝手に一人で感極まっているのだ。
「お抱え物理学者の計算によれば」みんながごくりと息を呑む。みょうちきりんな数字が披瀝されやしないか警戒したのだ。「こいつを作動させて四十テラ電子ボルトのエネルギーを帯びたビームが衝突すると、新しい宇宙が一丁上がる」
 四十歳のウサイン・ボルト? ほら、言わんこっちゃない! なんのことやらさっぱりだ。おのおの疑問は山ほどあるが、いったいなにを尋ねればいいのかさえわからない始末。
「われわれはもはや、この不愉快な世界だけで満足しなくてもよいのだ」
 いったいなにが不満なんだ? 満場一致の意見だった。確かにアフリカでは飢饉やら戦争やらに終わりが見えないようだし、先進国の貧富の差はますます広がるいっぽうだ。でもDNAに多様性がある以上、これは避けられないことなのでは?
「合衆国の全電力を注ぎ込む!」
 もう勝手にしてくれ。
「根気よく探せば無限の宇宙のなかに、すべての人間が勝ち組になる宇宙があるはずだ」
 自己矛盾した言葉だとなぜ気づかない? 首脳たちはいよいよ大統領がとち狂ったことを恐怖とともに悟った。これはどえらいことになった。事実上世界の覇権を握る国のボスが精神疾患持ちだなんて……。
「仮に八十億人全員が幸福な世界があるとしても」勇気あるどこかの首相が挙手をしつつ、「そいつにぶち当たるまで加速器を何度も稼働させるのか? そもそもどうやったらみんなが幸福な宇宙をどんぴしゃりで引き当てたか判断できる?」
「大丈夫だ、心配する必要はない」心配するなというほうが無理な話だった。「一度でもこいつを稼働させれば、宇宙は自己増殖を際限なく続ける」
 一人がついに離席した。形而上学的なたわごとに我慢できなくなったのだ。
「つまりいまこの瞬間にもべつの宇宙で、同様の試みがなされようとしているはずだ。そうであるならば、無数の宇宙の加速器から無数の宇宙が再生産される。そのなかには電子がどういうわけか加速器にそっくりそのまま戻ってくる宇宙がひとつくらいあったっておかしくない。局所的には熱力学の第二法則が破られることもある。そうだな?」これは問いかけではなく確認だった。「そいつが導出されればこっちのものだ。あとはそのヴァージョンがえんえんと加速器を稼働させ続け、そしていずれはお目当てのものを引き当てるだろう」
「だからそれをどう判断するのかってさっき聞いたんだがね」
「それは自動的に選別される。われわれが気をもむ必要はない」
「誰がそうするってんだ?」ほとんどけんか腰に、「神がいるとでも?」
 大統領は不敵な笑みを浮かべた。「その通り。ただし、量子力学的な確率の神だがね」

     *     *     *

 その日のことはよく覚えている。いきなりなんの前触れもなく、こう宣言されたんだ。
「本日ただいまをもって、世界平和は達成された。経済、男女、人種、民族、その他すべての不平等は『ほぼ』解消された。新たな時代の幕開けである!」
 この声明は各国テレビ放送、ラジオ、ネット、その他考えられる限りの通信手段によっていっせいに放送された(それらのない地域にはビラが撒かれたそうだ)。
 牢獄にも等しい1Kのアパートで寝転がっていた俺は、ためしにテレビのチャンネルを順繰りに変えてみた。
 どこかの国のお偉方同士が握手し、抱き合っている姿が映し出されている。テロップには「インドとパキスタン、カシミール地方を共同統治することで合意」とある。なんのことやらわからないが、たぶんどえらいことなんだろう。
 次のチャンネルは、アフリカ大陸が統一されたとか言って評論家どもがはしゃいでいる場面だった。「アフリカ連合共和国樹立!」とある。俺はアフリカがもともとひとつの国じゃなかったことにむしろ驚いた。どうやら大陸の名前だったらしい。ひとつ勉強になった。
 テレビを消して外へ出てみる。そこらじゅうで嬌声が上がっている。耳をすませてみると、理由はわからないがともかく突如として、みんな幸せになったらしいのだ。
 ビル・ゲイツから多額の寄付を受けたやつとか、誰もが知ってる大企業からヘッドハンティングされたやつとか、とうてい望みのない恋が叶ったやつとか、茶柱が二時間にわたって立ちっぱなしのやつとか、そういう輩が街じゅうにあふれかえっているらしい。
 詳しい説明はその後に引き続いてなされたものの、率直に言ってちんぷんかんぷんだった。俺のおつむが足りてないことは認めるが、あれを理解できたやつがほかにいたとは思えない。画面いっぱいに数式が出た時点で俺は卒倒した。文句あるか。
 浮かれムードのなか、自室へ引き返す。いまのところ俺自身にはなにも起こっちゃいないが、たぶんじきになにか朗報がもたらされるだろう。果報は寝て待てというじゃないか。
 俺はそうすることにした。

     *     *     *

「知ってる?」誰かに聞かれたらことだと言わんばかりに、ある職場でひそひそ話が始まった。「量子地獄ってのがあるんだって」
 話しかけられたほうは営業社員で、先ほど外回りから戻ってきたばかり。むろん新規契約を今日もふたつほどひっさげての凱旋だ。「なんだいそりゃ」
「あたしも詳しく知らないんだけどね。ええと、なんだっけ。中性子星って聞いたことある?」
「ふうむ」中出し精子だって? 真昼間から飛ばすじゃないか。「新手の下ネタかい」
「なにと勘ちがいしてるの」営業の肩を叩きつつ、「重力で崩壊した太陽のなれの果てだったかな。とにかくこれができるときって、こうさ」両手を力いっぱい握る。「ぎゅっと狭いスペースに太陽が縮んじゃうんだって」
「そいつはどえらい話だな」
「それで最終的に中性子ってのが内部にぎっしり詰まる。そのときに対称性が破れて、電子を拘束してる弱い力が振りほどかれちゃう」
「きみさ、自分で言ってる意味わかってる?」
「いいじゃんべつに」彼女はからからと笑った。「で、しまいにはものすごくちっちゃなスペースにそいつらが閉じ込められちゃって、もう出てこられないんだって」
「おっかないね、どうも」
「これと同じことがいま、世界の片すみで起こってるらしいよ」
「おいおい、中性子星が地球上に存在したらみんなとっくにぺしゃんこになってるはずだぜ」
「いまのはたとえ。ほら、こないだ〈八十億総幸福社会〉になったじゃない。あれで本当に世界中が幸せになったと思う?」
「さてね。そんなこと気にしたこともないよ」営業は首のこりをほぐした。「俺は十分満足してるしな」
「それがさ、実は幸福度は有限資源で、ほとんどまんべんなくいきわたったんだけど、一部――ほんのごく一部の人は弾かれちゃったんだってさ」
「ふーん。で、中性子星がどうのってやつとどう関係してくるんだよ」
「だから、その世界中の不幸が中性子星みたいにぎゅっと集まって、選ばれたかわいそうな人たちに襲いかかったらしいよ。それが量子地獄ってわけ」
「くわばらくわばら」営業はエロ動画サイトのブックマークをクリックした。「〈八十億総幸福社会〉が聞いて呆れるね」

     *     *     *

 果報は寝てもやってこなかった。そのあとのことはよく覚えていない。あまりにもいろんなことが起こりすぎたのだ。
 だってこんなこと考えられるか? いままでボーナスなんて聞いたことすらない会社の業績が急に上向いてきて、今年の冬は四か月ぶん出るという話のさなか、突如として俺だけがいらなくなるなんてことが?
 親類はまるでペストにでも罹ったかのように次々とくたばっていき、銀行口座はアルゼンチンあたりのハッカーにジャックされてすっからかんになった(もっとも始めから大した貯蓄もなかったわけだが)。財布はいつの間にかどこかよその次元へすっ飛んでいき、たちまち一文なしである。
 うわさでは、俺がいま棲みついているようなスラム街――それも飛び切り悲惨な――がどの国でも現出しているらしい(俺がぼろ雑巾みたいな生活をしてるとお思いだろうが、実はちがう。大多数の幸福なやつらの経済活動のおかげで空前の税収が見込まれており、生活保護受給のハードルは下がっている)。マルタみたいな全国民が裕福な国でもそうなのだ。これはなにを意味するのだろう。
 たぶんあれは本当なのだろう。量子地獄。中性子星のごとく不幸を凝縮した暗渠の澱。例のでっかい粒子加速器を稼働させたやつはこれに気づいていたのだろうか? 俺は気づいていたと思う。
 だってそうだろう。ほんの一部の人間が犠牲になるだけで世界が平和になり、九分九厘の人間がなに不自由なく暮らせる世界が実現するなら、そうしないほうがおかしいくらい。むしろ積極的にそうすべきだ。
 この先俺の人生はどうなるのだろうか。中性子星の途方もない重力に引きずり込まれるように、不幸の渦に捉えられたままなのだろうか。
 そんなばかなことがあってたまるか。きっと明日にはなにかいいことがある。
 そうだろ? 頼むからそうだと言ってくれ!


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