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吉岡 幸一さん

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掃除婦と子供と秋の美術館

16/11/22 コンテスト(テーマ):第122回 時空モノガタリ文学賞 【 美術館 】 コメント:4件 吉岡 幸一 閲覧数:785

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 美術館の入り口前を高齢の掃除婦が竹箒で掃いている。枯れ葉やチケットの切れ端を丁寧に一所に集めては肩をすくめている。よく晴れた午後とはいえ、秋も終わりに近づいてきて風が冷たい。美術館の周りをきれいにしていくほどに、掃除婦の軍手は汚れていく。小さな背中をより小さくしながら、どこかゆったりと働くその姿は、横に立つマイヨールの彫刻よりも美しかった。
 私を見かけるたびに掃除婦は軽く会釈した。話したことは一度もなかったが、私は週に三度はここに足を運ぶので美術館の関係者と思われていたのかもしれない。私は近所に住むただの美術好きの主婦にしか過ぎなかったのだが。
 硝子の扉を開けて中に入ると、広いロビーになっていて休憩用の椅子が並んでいる。壁側には企画展用のチケット売り場と常設展用のチケット売り場が別々にあった。更に奥には洒落たカフェが併設されていた。
 平日の美術館のロビーはいつも静かなのだが、この日は違った。小学生の団体が来ていてロビーを運動場のようにして走り回っていた。引率の女性教師は「静かにしなさぁい」と、大きな声で叫びながら子供たちを捕まえては椅子に座らせていた。
 いつも私は美術館に来ると最初にロビーの端に置かれた椅子に腰かけ、今日はどの展示室を観ようかと考えるのだが、この日は座る場所もなく立ちすくんでいた。
「ここに座ってください」
 元気な男の子が声をかけてきた。機嫌が良さそうで頬が上気している。
 遠慮するのもなんだからと素直に腰をおろすと、男の子はすぐに抑えきれないように話しかけてきた。
「あのね、ぼくの絵が飾られているんだ。県ちち賞っていうのもらったの」
「へえ、すごいじゃないの」
 私が褒めると、側にいた他の子もいっせいに花咲くように話しかけてきた。
 ぼくの絵もわたしの絵もあるんだよ。照れながらも素直に自慢してくる様子は可愛らしかった。胸につけられた名札をみると、二年生と三年生のようだった。
 どうやら企画室の一室で子供たちの絵が飾られていたようだ。県が主催した恒例の展覧会らしい。近くの小学校で入選した生徒らを学校の先生が引率して連れてきたといったところだろうか。
「あとでみんなの絵を観させてもらうわね」
 そう答えると、一人の男の子が飛行機の真似をしながら回り出し、その後に続けて他の三人の男の子が真似をした。「ブーン、ブーン」と、回りながら楽しそうに笑っていた。
 少し離れた場所で若い引率の先生がしきりに頭を下げていた。相手はスーツを着た年配の男性で、プラスチック製の名札を付けているところをみると、この美術館の職員のようだった。眉のつりあがった職員の顔をみれば声がきこえなくても苦情を言っているくらいのことはわかった。美術館で子供らが騒いでいるのを、注意するように引率の先生に向かって言っているのだろう。学校の先生も大変だ。
 子供らがロビーにいたせいか、展示室のなかは思っていた以上に静かだった。上手いとか下手とか関係なく描かれた自由な作品を観ていると何だか心が癒されていくようだった。
 一廻りしてロビーに戻ってくると、そこに子供らの姿はなかった。ロビーはシンと静まり返り、先ほど引率の先生を叱っていた職員が椅子に座り資料のようなものを読んでいた。
「こんにちは」と、私が声をかけると職員は戸惑ったように「ああ、どうも」と答えた。先ほどの怒った顔とは違って気が弱そうに見えた。なんだか可笑しかった。
 カフェで甘いミルクティを飲んだ後、美術館を出ると先ほどの掃除婦がまだいて枯れ葉を透明な袋に詰めていた。
 目が合ったので軽く会釈をすると、掃除婦は作業着の汚れを払いながら近づいてきた。
「わたしね、今日でこちらを辞めるんです。孫がまた生まれるんです。その世話をしなくてはいけないから」
「それは、それは……」私はどう反応すればいいのかわからなかった。はじめて掃除婦の声をきいた。
「これで二人目の孫なんですよ。最初の孫はさっきまで中にいたんですけどね。なんでも描いた絵が県知事賞を取ったとかで」
 掃除婦は軍手をはめた手で口元をおさえた。
「おめでとうございます。その子なら先ほど少し話しました」
「そうですか。やんちゃな子でして」
 嬉しそうに眼を輝かせた掃除婦は改まったように「お世話になりました」と、深く頭をさげた。
 枯れ葉の山に戻っていく掃除婦の背中を眺めながら、やはり美術館の関係者だと思われている、と思ったがそれは心地の良い勘違いであった。次に私がこの美術館に来た時にこの掃除婦に会えないと思うと、高名な画家の企画展を見逃したとき以上に残念だった。
 ザッキンやブールデルの彫刻のそばで掃除をする高齢の掃除婦の背中は、夕日を受けて枯れ葉色に染まっていた。私は夕飯のメニューを考えながら美術館を後にした。


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このストーリーに関するコメント

16/12/01 suggino

エッセイのように日常的でここちのよい文章、世界観でした。もっとボリュウムのある量を読みたくなるような。何も起こらない、特別ではない一日を切り取ったようなテーマは、ショートショートにふさわしいですよね。すてきな作品をありがとうございました!

16/12/21 吉岡 幸一

suggino様
コメントをいただきありがとうございました。
心より感謝いたします。

16/12/22 光石七

拝読しました。
日常の延長を切り取ったような、何気ないけれど優しい世界が綴られていて、読んでいてとても心地よかったです。
情景が目に見えるようで、場面場面で優しいタッチで描かれた絵を想像しました。
素敵なお話をありがとうございます!

16/12/28 吉岡 幸一

光石七様
コメントをいただきありがとうございます。
心より感謝いたします。

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