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クナリさん

小説が出版されることになりました。 『黒手毬珈琲館に灯はともる 〜優しい雨と、オレンジ・カプチーノ〜』 マイナビ出版ファン文庫より、平成28年5月20日発売です(表紙:六七質 様)。 http://www.amazon.co.jp/dp/4839958211

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将来の夢 絵本作家
座右の銘 明日の自分がきっとがんばる。

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果てしなく続く黒き大河の白き一滴

16/11/21 コンテスト(テーマ):第123回 時空モノガタリ文学賞 【 クリスマス 】 コメント:10件 クナリ 閲覧数:809

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 クリスマスの思い出、というものがない。
 私の父は乳製品の配送業に就いていて、年中忙しかったようなのだが、特にクリスマス近くになるとお客の無理な追加注文に忙殺されて、まともに家に帰って来なかった。
 三年前、私が小学五年生の時に両親は離婚した。自分でも意外なことに、私は父について行きたいと泣いた。
 特別父を慕っていたわけではない。今思えば寂しさに加え、ろくに家にいないので謎の多い父が、私がまだ見ぬ特典というか、「オイシイ思いのできる余地」を隠し持っているのではないかと期待していたのだ。例えば父と暮らせば、今の冷たくて少ないご飯の代わりに、毎日アイスやケーキが現れるのではないかとか。
 そうではないにしても、母親と暮らすよりはだいぶマシに思えた。ばっちりメイクで私の顔を覗き込み、「お母さんと行くのよ」と涙ぐみながら説得して来た母だったが、私はその日の朝に母に投げつけられた茶碗が命中して腫れ上がった目尻越しだったので、せっかくの顔芸がよく見えなかった。
 まあそこまで言うならと母について来た私だったが、ほどなく、母は子供というより使い減りしない家事マシーンを確保したのだということが、嫌というほど分かった。
 親子の間で情にほだされるとろくなことがないのだ、ということを私は知った。
 靴下を買う小遣いもないのに、また冬が来る。

 十二月二十四日は、私にとってはただの平日でしかない。放課後、私の口からは例年通り「チッ」「クソが」という言葉が特に理由もなくこぼれた。町中にクリスマスを盛り上げられると、何だかもう居場所がなくなる。
「あれ、麦村。何してんの」
 街角で声をかけて来たのは、同じクラスの小田崎という男子だった。吊り目で茶髪で眉なしなので、人相はいかつい。
 会話をするのが億劫で、私は一息に告げた。
「母親が男連れ込んでる間家に入れないから徘徊してる」
「風邪引くぞ。うち来いよ。親、夜まで帰って来ねえし」
 私が言葉を失っているうちに、小田崎は私の手をぐいぐい引いて行く。断るのも怖くて、仕方なく着いて行った。
 ああ、こんなことが起こるのだな。これから私はこのアウトロー予備軍に、大して気合を入れて守るつもりでもなかった処女を奪われ、それが聖夜だったことに何らかの意味を見出し、人生の何かを知った風の人間になって、「人はね、下から見上げた方が底がよく見えるの」等の言っても言わなくてもいい格言を吐いて生きて行くのだな。
 そんなことを考えていたのに、小田崎の家にはお姉さんがいて、鍋の支度などしていた。
 小田崎が私の事情を話す。
「わあ、女子じゃん。ちょっとあんた、いい気になってあんまり近づくんじゃないわよ。彼女じゃないんでしょ」
「コタツでどんだけ離れろってんだよ」
 ぽんぽん応酬する二人の会話は、憎まれ口の中に、確かな信頼関係が感じられた。
 そして、急遽三人前に増量した鍋が泡を吹きながら放つ熱気に、冷えた頬を温められた時、氷が解けるように、私の目から涙がこぼれた。
 この姉弟には家族の絆が確かにある。そしてそれは、ごく当たり前に存在しているように見える。
 私の両親はごく当たり前に別れ、私はごく当たり前に今の生活に陥ったのに。
 いつか私も家庭を持てるかもしれない。でもそれは、私自身が親としてだろう。子供としての私は、もう他に家族を得ることはできないのだ。二度と。
 母親に小皿やリモコンを投げつけられて、背中中にできた痣がみしみしと傷んだ。
 虐待を受けて育った子供は自分も虐待をする、という話は散々聞いた。私はやがてそんな人間に仕上がるのだという未来に充分怯え、恐れ、脅されてやった。
 だからそろそろ誰か、絶対にそうならないで済む方法を教えてくれ。
 未来の自分に怯えるのは、私には親の暴力なんかよりずっと怖いのに。
 小田崎とお姉さんは、私が泣くのを見てびっくりしている。
「ちょっと……あんた麦村さんに何を」
「お、俺何もしてねえよ」
「ほー、近頃の女子は何もなくても泣くの。へーえ」
「ち、違うんですお姉さん、……何ですかその構え」
「待っててね。こいつのせいであってもなくても、ぶっ倒れる瞬間の顔は面白いから、きっと気分転換になるよ」
「あってもなくてもかよ!?」
「お姉さん、もしかして空手とか」
「二段よ」
「いや待て麦村止めてせめて顔はやめ」
「OK、顔以外ね」
 お姉さんの連続攻撃が、高速で小田崎を打ち抜いた。もちろん手加減はしているのだろうが。たぶん。きっと。
 私がごめん、ごめん、とくずおれた小田崎に謝ると「おう、って笑ってんじゃねえか!」と突っ込まれた。
 確かに私の顔は笑っていた。実にクソみたいな人間だ。
 でも三人で、ゲタゲタと笑った。
 ただの平日にしては、特別過ぎた。
 涙も笑いも止まらなかった。


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このストーリーに関するコメント

16/11/21 待井小雨

拝読致しました。
主人公の寂しくどこかひねくれた感情に、当たり前に暖かい家族のやりとりが優しく響くようでした。
はたから見れば些細な日常の光景なのかもしれませんが、未来への恐れを抱いている主人公にとっては、気持ちをほぐしてくれるものだったのだろうなと思いました。

16/11/21 クナリ

待井小雨さん>
嫉妬よりも憧れの方へ気持ちが動いていったのは、触れあった相手の力によるものが大きいのだと思っています。
なんでも結局は自分次第なのだ、という論旨は根強く世の中に流布していますが、そうとばかりは限らないと思うんですよね。
誰と、いつ出会うか。その尊さが書けていれば嬉しいのですが。。。

16/11/28 あずみの白馬

主人公の置かれた境遇の厳しさと相まって、とても考えさせられました。
無責任な評論家たちの言葉に「だったらどうすればいいのかおしえてくれ!」と、叫ぶ主人公の姿が、とてもせつなく感じられました。

16/11/30 クナリ

あずみの白馬さん>
評論や結論付けはそれぞれにおいて有効性はあるのですが、いかんせん個別具体的な事柄にたいしてはなかなか……という歯がゆさ。
本人たちこそそれに苦しんでいるのかもしれませんが、なかなか啓蒙と現場の解離は悩ましく。
人が人を救う、ということがもっともっとありふれたらいいのにな、と思います。
不況の中でこそ……。

16/11/30 冬垣ひなた

クナリさん、拝読しました。

クリスマスは、特に子供にとっては特別な時間です。「子供としての私は、もう他に家族を得ることが出来ないのだ。二度と」という言葉の不安は、多くの家族問題の的を射ている気がします。
小田崎くん姉弟の人間味に触れたクリスマスが、麦村さんの特別な時間になってよかったと思います。

16/11/30 クナリ

冬垣ひなたさん>
ただの平日でしかないはずのクリスマスを特別にしてくれるのは、身近な人たちとマーケティング……というとみもふたもないですが、「楽しいことしよう!」という社会のパワーのあいまったものだと思います。
「私、クリスマスに家族でお祝いしたことないんです」という人に「あなたが大人になったとき、その分まで家族とお祝いしてあげなよ」というのは次善の策ですが、せめてなんとか、子供のうちに「楽しいクリスマス」を遊んでほしいなと。
子供として参加できるのは、ある意味でクリスマスにおける最高の特権ですからね……。

16/12/19 クナリ

海月漂さん>
自分を取り巻く、当たり前だと思っていた価値観を壊してくれるのって、「善意的な他人」がやってくれたら一番いいと思うんですよね。
そこに「善意」があるだけで、不思議なエネルギーが湧いてくるというか。
主人公が抱える不安は、いずれ少しずつ実現していってしまうかもしれなくて、それを止めてくれる善意との出会いの瞬間がこのエピソードでした。

17/01/08 光石七

小田崎くん姉弟と過ごしたことで、主人公の心がほぐれてよかったです。
タイトル、まさにその通りですね。
“子供としての私は、もう他に家族を得ることはできないのだ。二度と”、この一文が印象的でした。子供には、子供の時に味わっておくべき喜びや楽しみを享受する権利があると思います。
素晴らしいお話でした!

17/01/14 クナリ

光石七さん>
まさにそここそが、言いたかったことでもあり申すッ。
「自分が大きくなったときに、そういうことをしなければいいんだよ」という慰めもあると思うんですが、「いやいやいやいや、今の私は!?」っていうのも自然な感情だと思うんですよね。
身近な人に追い詰められて、赤の他人に救われる。いいか悪いかわかりませんが、そういうことはあるのだろうな……と思います。

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