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待井小雨さん

待井久仁子というペンネームで「小説&まんが投稿屋」というサイトで、童話やホラーやよくわからない物語を投稿しています。 ご興味を持っていただけたら、よろしくお願い致します。

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あなたがくれた金色の

16/11/19 コンテスト(テーマ):第121回 時空モノガタリ文学賞 【 捨てゼリフ 】 コメント:4件 待井小雨 閲覧数:663

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 あの頃の兄には、私の姿が見えなかったのだと言う。私は三歳、兄は七歳。母が私を疎んじていた頃。

 母の怒り顔をよく憶えている。
「二度と触らないでッ!」
 幼い私の掌を力いっぱい振りほどき、母は捨てゼリフを吐いて背を向けた。振りほどかれた力のままに小さな私は転がる。
 頭や体をぶつけるのは日常の事だったので、一瞬だけ泣いて私はすぐにある物を探して床に這いつくばった。ぺたぺたと床を触り、目的の物を見つける。
 ――あった。
 鋭い棘のある黒い物を拾い上げ、笑う。
 それは母の捨てた言葉だった。掌に収まる程のそれを胸に抱いて喜ぶ。母が私にくれたもの。
 あの頃、私には母から向けられた言葉を目で見る事が出来た。黒く重たい塊には、硬い棘が生えていた。私はそれを拾い、抱きしめたり大事に食べたりしていた。
「嫌だ。何を笑っているのかしら、薄気味悪い」
 私の笑顔を心底気持ち悪げに見やると、母は綺麗な手を兄の背中に添えた。
「あなただけが私の味方よ。お母さんの大事な息子」
 兄は何の疑問もなく母の言葉を受け取る。その目が私を捉える事は無い。
 『意地悪で見えない振りをしていたわけじゃないんだ』と後に教えられた。『見る事も声を聞く事も、本当に出来なかったんだ』と。
 私にはその理由が分かる。上辺だけのものだったとしても、母から綺麗で暖かな言葉をかけられるのが普通だった兄にとっては、罵詈を浴びせられる存在がいるという事自体が理解できなかったのだ。それはいないものとして認識される。
 兄の足元で床を這いつくばって母の捨てる言葉を拾う日々が続いていた。

 ガラスの割れる音で、日常に変化が訪れる。
「もう嫌! 出てってやる――!」
 母が花瓶や窓を割って金切り声を上げていた。私達の父親への鬱憤が爆発したのだ。兄は母の姿に困惑し、怯えていた。
 私は食い入るように母の口元を見つめる。たくさん、言葉を落としている。
「大っ嫌い! 死んじまえ!」
 胸を突き刺す言葉をたくさん。
 必死になって床を探す。ぼとぼとと、黒く濁った色の言葉が捨てられていく。――と、ガラスの破片が手に突き刺さり、声を上げる。
「うるさいッ、泣くなぁ!」
 だんっ、と足が床を鳴らす音に兄が我に返り、母に縋り付く。
「お母さんっ、もうやめてよ!」
 常であれば彫刻のような微笑みで兄を撫でる母の手はしかし、兄の頬を打った。
「触るなッ!」
 張り手に飛ばされた兄は私の傍近くまで転がる。
「お前なんか可愛くない! あの男に似てきて憎らしいッ」
 兄の顔が蒼白になる。
「お前も――そいつも」
 と、私の事を指差す。
「産まなきゃ良かった!!」

 母は最後の捨てゼリフを残し、私達を捨てて出て行った。
 私はそれでも必死になって床を探していた。手も顔もガラスで切れていたが、そんな事構っていられなかった。
 たくさん言葉をくれたから。――嫌いだ触るな呪われろ――そうだ、そういう突き刺さる言葉をいっぱい捨ててくれたから。私は他に何ももらえないままだったから、せめてそれらをかき集めて自分のものにしたかった。
 特に、そう――大きな、受け止めきれない程の――あの、最後の言葉。
「ーーあった!」
 私は大きな声を上げた。
 あの声がお前を認識するきっかけだったよーーと後に兄は語った。
 それまで自失していた兄が、私の姿を捉える。母の言葉の棘が胸に刺さる程強く抱き、食べようと口を開けた私の肩を引き寄せた。
「だっ――だめ、だよ。そんなの、食べちゃだめ……!」
 あの時の兄の目には、母の最後の言葉がはっきりと目に映っていたという。刃物のように鋭く石油のようにどろりと黒かった、と。
「そんなのもう、大事にしなくていいから――僕がたくさん、好きになってあげるからーー!」
 ごめんねぇ、ずっとごめんねぇ、と兄は謝り続けた。縋るように抱きしめられ、私は呆然とする。
 ……悪意の言葉を初めて受け取った兄は、ずっとそれらを浴びてきた私の存在に初めて気づいたのだ。そうして、ずっと同じ空間に私がいたという事実を見出す。
「僕が好きになってあげるから、僕の傍にいて……っ」
 ……それは子供が自己防衛の為に発した言葉だったのだろう。
 それでも初めて言葉を「贈られた」ことは、私にとって衝撃的なことだった。喜びの感情が雷のように落ち、母の言葉に黒く侵食されていた胸に別のものが注がれはじめる。

 あの言葉の通り、兄は私に愛情を与えてくれた。母から注がれなかった暖かなものは、全て兄が与えてくれた。
 大人になるにつれて言葉が見える事はなくなった。
『僕が好きになってあげる』
 この言葉だけが、宝箱の中で金色の星のように輝きながら今も私の元に残っている。
 これから先離れ離れになってもきっと、この言葉を見失う事だけはないだろう。


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このストーリーに関するコメント

16/11/22 霜月秋介

待井小雨さま、拝読しました。

捨て台詞には、善くも悪くも凄まじい感情が込められてるものですよね。相手の心に、刺のように深く突き刺さるほどの。
でも兄からは、温かい捨て台詞が贈られてよかったです。

16/11/23 待井小雨

霜月秋介様
コメント有り難うございます。
捨てゼリフというと、怒りや憎しみなどの感情があって発せられるもの、という印象があります。けれど傷ついて終わる話にはしたくないなと思いました。
母の捨てゼリフによって傷ついた兄妹が傷を負うだけで終わるのではなく、同時に別の救いを見出だす形にしたいと考えました。
そんな兄からの言葉を暖かいと言っていただけて嬉しいです。

16/11/30 待井小雨

海月漂様
コメントありがとうございます。
今回のテーマである「捨てゼリフ」について考えていましたら、「捨てられた言葉を拾う子ども」の姿が浮かびました。
浮かんだその姿がそのままでは哀れに感じ、互いを救いとする兄の存在が生まれました。
二人のやり取りのあるあたりに救いがあると言っていただけて、大変うれしいです。

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