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秋 ひのこさん

歯について考える時、右と左がよくわからなくなります。右奥だっけ、左奥だっけ。虫歯が絶対にあると思われるあの場所を伝えるべく「ええと、右です。そして上な気がします」と言ったら先生が「うん、上は上でも左ですよね」とか言う瞬間が恥ずかしいので、虫歯は放置しているような人間です。こんにちは。 

性別 女性
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水曜日、12時まで

16/11/17 コンテスト(テーマ):第122回 時空モノガタリ文学賞 【 美術館 】 コメント:6件 秋 ひのこ 閲覧数:935

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 水曜日、12時までの入場無料。
 F市立美術館は、水曜日をそのように解放する。
 無名に近い地元作家が所蔵の大半となれば観光客は期待できず、訪れる者は年金受給の老人か、幼子を連れた母親グループ、或いはフリーターか無職あたりに限られるのだった。同じ顔ぶれが、同じ絵を見に、毎週やってくる。
 Hもそのひとりだ。
 46で職なし、夢なし、やることなし。なんと住所までない。だが、元絵描きの端くれとして、ここにくると芸術がわかる人間になったような、そのように振舞っても許されるような気になるのだ。水曜日だけ、いつもよりましな1日になる。
 
 すべての絵をとっくに見飽きてしまったHは、入館と同時にとある風景画の前に置かれた長椅子のど真ん中に座って過ごす。
 才能は、あるはずなのだ。いや、あるのだ。
 Hは風景画を眺めながら、先立つものがなく、描かなくなって久しい自分のキャンバスを思う。
 趣味で始めて思いがけず開花した。人に見せると褒められた。市の賞も1度獲った。楽しくて、楽しくて、一気に画家という夢が現実味を帯びた、――と思い込んだ。そして、24時間携帯を手放せない営業職を思い切って辞めた。
 いつからだろう。「やろうと思えばできる」と言い訳し、転落する生活から目を背けるようにパチンコや競馬で時間を埋め始めたのは。いつからだろう、そんなことすら金銭的にできなくなってしまったのは。

 ふいに、長椅子の右側が軽く沈む。ランドセルを背負った幼い少女が自分の隣に腰掛けていた。
 少女はHを見て、にこりと笑った。その屈託のなさに自然とHも頬をゆるめる。
「ひとり? お母さんかお父さんは?」
 Hが尋ねると、少女はかぶりを振った。いないのかわからないのか、どっちだろう。今日は平日で、少女はランドセルを背負い……、ここで何をしているのだ?
「学校は?」
 重ねて聞くと、少女はあからさまにぎゅっと口をつぐんだ。
「まあ、どうでもいいか」
 考えるより先に言葉がこぼれた。
 大人だって会社に行きたくない日がある。子供も、そういう日があるはずだ。Hは会社をさぼって家で絵を描いた日々を懐かしく思い返す。あのまま、不真面目に二兎追い続けていれば良かったのかもしれない。
「おじさんは? ずっとここにいるの?」
 少女が初めて口をきいた。まだ舌足らずの子供が言う質問の真意ははかりかねたが、それは奇妙なほどHの胸にまっすぐ届いた。
「うん、水曜日はそうだね」
 何ひとつ縛りがない生活の中で唯一「やること」が見つかったことは、Hにとってとても意味があったのだ。
 水曜日は、美術館の日。 

 出入り口の方で、係員の女がHと少女を見て「あ」と声をあげる。
「Yちゃん、ここにいたのね。お母さん探しているわよ。準備できたって」
 少女は椅子から飛び降り、Hを振り返った。
「なんだ、お母さんと一緒なんだ」
 ほっとしてHは言った。
「うん、今日は病院に行くの。お母さんここでお仕事するから待ってたの」
 自己完結な言葉に、病院に用があるのはこの子なのか母親なのか、はたまた誰かの見舞いかはわからない。Hは何も聞かず、ただ「そうなんだ」とだけ応えた。
 ばいばい、と少女が手を振るので、Hもぎこちなく微笑んで振り返す。
 係員が怪訝な顔でHを見た。それから少女に小声で尋ねる。「誰に言っているの?」
  
 係員は、少女とその母親である職員を見送った後、同僚に少女のことを話した。
「Yちゃん、おじさんと話してたって言うんです」
「おじさん?」
「ええ。第2展示室で。でも誰もいないんですよ」
 同僚は、ああ、と腑に落ちた顔をする。
「Kさんは入ったばかりだから知らないでしょうけど、それ、今に始まったことじゃないの」
「え?」
「あの部屋の風景画。作者が自殺したのよ。絵で食べていくことを夢見てほとんどホームレス同然の生活だったんですって。でもある日とうとうやっていけなくなって……」
 係員は眉をひそめた。
「以来、たまに子供とか、お迎えが近そうな老人とかがあの椅子でひとり喋ってるの。それとなく尋ねてみたら、誰もが口を揃えて『おじさんと話してた』って」
「まさか」
「あの絵は、うちの館長が遠縁だとかで、1枚ああやって義理で置いてあげたんだって。館長ほど目は肥えていないけど、わたしでもあれは才能ないと思うわ。なのに自分の絵の側から離れないっていうのは、執心深いというか、盲目というか、しがみつかずにはいられないんでしょうね」
 同僚は哀れみの言葉で蔑み、係員は素直に不憫に思い、件の風景画を見やった。

 そんなふたりの目の前で、Hはその場を動かない。かつてそうしていたように「水曜日」と本人は思っているが、実際は2年前から毎日そこに座り、自作の風景画を眺めている。 
 ただ、眺めている。


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このストーリーに関するコメント

16/11/17 ウサバオウカ

拝読させて頂きました。物語のギミックそのものは、軽い驚きを覚えるもののそこまで大掛かりなものではないですが、物語全体が示す美術、芸術に対する姿勢というか、思想というか、そういうものに強く惹かれます。静かに自分の絵を見続けるH氏の姿は、どこまでも残酷で、そして美しく感じました。良いものを読ませてもらいました。

16/11/18 秋 ひのこ

ウサバオウカさま
こんにちは。コメントをありがとうございます。
この話は、ここに至るまでにHの設定を(2000文字にまとめるために)2転3転させたので、芯がぼやけてしまっていないか心配でした。
わたしが意図した以上のものを感じ取っていただき、とても感激しています。
本当に嬉しかったです。ありがとうございました。

16/12/11 タック

はじめまして、拝読しました。
物語に全体的に流れている、静かで悲しい空気が非常に素晴らしいと思いました。
報われない芸術家の行く先は自己愛なのかもしれない、そう思わせられる作品だったと感じます。

16/12/13 秋 ひのこ

タックさま

こんにちは。感想を頂きありがとうございます。
お返事が遅くなってしまい申し訳ありません。
先に感想を頂戴したウサバオウカさまと同様に、タックさまもわたしが意図した以上のものを感じ取っていただき、感激しました。
仰るとおり、Hが永遠にしがみついているものは自己愛なのだと思います。
コメントありがとうございました。とても嬉しかったです。

16/12/21 光石七

拝読しました。
静かに綴られる文章に柔らかさがあり、ギミックも芸術家の悲哀も優しく包んでいるように感じました。
最後の一文が効いていますね。ある意味、Hは幸せなのかもしれません。
素敵なお話をありがとうございます!

16/12/26 秋 ひのこ

光石七さま
こんにちは。お返事が遅くなり申し訳ありません。
仰るとおり、Hはある意味幸せのように思います。
この話は2000文字にまとまらず、あれこれいじった上でできたので、結果的にこのように感想までいただけるようになり、とても嬉しいです。
ありがとうございました!

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