日向 葵さん

「ひなた あおい」と申します。 小説を書きます。 よろしくどうぞ。 twitter@aoi_himata_21

性別
将来の夢 なれるものなら何でも。
座右の銘 God is in the details.

投稿済みの作品

3

叫び

16/11/16 コンテスト(テーマ):第121回 時空モノガタリ文学賞 【 捨てゼリフ 】 コメント:4件 日向 葵 閲覧数:735

この作品を評価する


 「気が付いたかい?」と夫が言った。 

 病院のベッドに横たわる私を、夫は優しい笑顔で包んでくれた。こんな笑顔はいつ以来だろうか。それは、もう思い出すことさえできない程に長く、遠い昔だった。 
 しかし、私はその想いを伝えることができない。私の喉からは、只々空気の漏れる音が出るばかりで、それが呼吸なのか、はたまた声を発しているのか、聞き手にはわからないだろうから。 

 「精神的なものですね、いずれ回復するでしょう」 
 医者は無責任にそう言った。 

 そもそも、夫は酒癖の悪い人だった。何か気に食わないことがあると、アルコールを摂取して、私を殴りつけたり、タバコを押し付けたりした。そのうち喉が詰まって上手く声が出せなくなった。
 言葉を失ってからは、夫は返答できない私を酷く罵り、私に向かって、下劣な台詞を吐いて、捨てた。
 家事をこなすのをやめ、家から出ることも無くなった。
 次第に、私の世界はどんどん収縮していき、いつしかそれはこの薄暗いアパートの一室に収束していった。 
 それでも夫の傍を離れなかったのは、過去の夫の姿に一縷の希望を見ていたからかもしれない。私はそれに必死にしがみつき、落ちないように、落ちないように、必死にしがみついた。
 夫にはその姿が醜く写ったようで、私への当たりは一層酷くなった。
 けれど、それを手放してしまったら私は完全に壊れてしまう。そう感じていた。
 
 なので、過度のストレスで私が倒れた時、夫は私をこのまま見殺しにすると思った。この狭い六畳間で私は寂しく朽ちていくのだと。そう思っていた。

 しかし、私は今、病院のベッドでいつか夢見た夫の笑顔を目にしている。子供のように涙が湧いて、流れた。
 掠れた嗚咽を繰り返す私を、夫は黙って見守ってくれた。 


 そして、夫はその優しい笑顔のまま、鞄から液体を取り出して私の腕に生える点滴に注ぎ込んだ。 
 
 
 何をしているのだ? 

 
 途端、夫の笑顔に黒いモヤがかかった。管を通って、私の血管の中に冷たく、毒々しい液体が入り込んでくる感触がした。体温が一気に下がるのを感じる。

 そして望みの糸は切れてしまった。

 「ーーーーー!ーーーーー!」 

 顎が外れる程に口を開き、声にならない叫び声をあげる。神経がグチャグチャになってしまった体は、海老反りに痙攣し、まるで糸の絡みあったマリオネットのように、奇妙な動きを繰り返した。

 「ーーーーーーー!ーーーーーー!」

 私の喉は震えない。
 
 激しい狂乱と慟哭の中、瞳孔の開き切った眼球で恍惚の表情を浮かべる男を捉えた。ああ、糸が切れてしまったのは私だけではなかったのだ。
 薄れゆく意識の中、触覚、嗅覚、視覚が順に、私の中から消え去っていく。
 私は死ぬのだ。そう悟った。 
 それでも最後に残った聴覚で男の声を聞いた。 

 「これでお前をもう見なくて済む」 

 あの笑顔は私に向けられたものなどではなかった。醜い私をこれ以上飼わなくて良い。それ故の愉悦の表情だったのだ。 
 
 「ーーーー」 

 憎悪や憤怒で溢れるこの気持ちを、私はコイツに吐き捨てることさえ出来ないのか。 

 死の際になっても私の言葉は届かない。 
 
 私の最期の言葉は一体、何だったろうか。 

 切れてしまった糸では、それを辿ることはもう出来なかった。 


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

16/11/19 待井小雨

拝読させていただきました。
夫が妻の大切さに気づく話かと思いきや、恐ろしい展開が待っていました。
夫の言葉に妻はどれだけ絶望したことでしょう。そこから沸き上がる怒りも憎しみも言葉に出せず、捨てゼリフをぶつけてやることすらできないのが悔しく辛い、と感情移入して読みました。
言えなかった捨てゼリフ――彼女が最後に何と言ったのか書かれていない事で、いっそう想像をかきたてられました。

16/11/20 日向 葵

待井小雨様
コメントありがとうございます。
元々「もし捨て台詞が吐けなかったら」という思い付きで書いた作品でしたので、主人公の無念を感じて貰えたようで良かったです。

16/11/28 あずみの白馬

拝読させていただきました。
人間の恐ろしい一面を見た思いです。
どうかこの愚かな夫に天罰を……

16/12/01 日向 葵

あずみの白馬様
コメントありがとうございます!
理不尽に亡くなった彼女の想いが晴れることはないでしょうね。

ログイン

ピックアップ作品