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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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横たわるアヤラ夫人

16/11/14 コンテスト(テーマ):第122回 時空モノガタリ文学賞 【 美術館 】 コメント:0件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:416

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絵の中から、まるで人が液体になって人間のかたちのまま流れ落ちるかのように、アヤラ夫人は壁を伝って、床の上におりたった。寝台の上に、横たわっていたそのままに、身にはなにもまとっていなかった。
彼女は床から、ゆっくりたちあがった。その顔には、不安と、そしてそれ以上に期待感が色濃くはりついている。夫人はあたりをみまわした。そこには壁の絵を取り囲むようにして、数人の男女がたっていた。
しかし、かれらはいまも、夫人が絵からぬけだしたことにも気がつかぬ風に、じっと絵にみいっている。わたしはここよ。夫人がいくら呼びかけても、その目は一度も彼女のほうをむかなかった。かれらのその瞳孔にはいまも、寝台に横たわる夫人の裸像が映し出されているのだろうか。
夫人は、静かにあるきはじめた。館内には多くの入場者の姿があった。無名の画家展と銘打たれたこの美術展は、内外の文字通りこれまであまりしられていなかった画家たちによる作品展だった。展示された絵画のクオリティーは高く、なんども展示される巨匠たちの絵画にいささか食傷気味の鑑賞者たちに、新鮮な感銘をあたえていた。
この『よこたわるアヤラ夫人』と題された百号の絵は、20世紀初頭に描かれたもので、ながいあいだ人目につかずにさる資産家の手もとにおかれていたものを今回、この美術展で初披露という運びになったのだった。
モデルとなったアヤラ夫人は、なんとも男運の悪い女性だった。夫というのが暴君で、そのうえ浮気性で夫人以外にも何人もの女をかこい、そのくせ夫人が他の男とちょっと口をきいただけで、ひどい暴力をふるうという、まったく始末のわるい人物だった。その夫人が、こともあろうに裸体画を………。夫にたいする腹いせとも、絵を通して誰か自分を救い出してくれという切実な訴えともとれないこともないが、彼女がこの絵が完成して四日後に入水自殺しているところをみると、そこにはなみなみならない決意があったものとおもわれる。
アヤラ夫人は、美術館内のひろいフロアを、絵のなかとおなじ、誰かを求めるようなまなざしをうかべながら、いまもさまよいあるいていた。館内には男も大勢いた。そんなかれらにむかって夫人は、まだ見ぬ相手を誘うかのように、白く輝く裸身をおしげもなくさらしていた。自分をこよなく愛してくれ、そして自分もまた無心で愛せるような相手を探して………。
しかし、かれらの視線はみな、そんな夫人をとおりこして壁の絵の上にそそがれていた。いくら夫人が腕をさしのばしても、その手にふれるものはだれもなく、夫人の精一杯の媚態にも、こたえるものはひとりもなかった。
閉館時間がちかづいてきた。
アヤラ夫人の顔に、そろそろあきらめの表情がうかびだしたころ、せかせかとした足取りで一人の男性が、館内にやってきた。背は低く、およそ風采のあがらない男で、厳しい世間の風にふきまくられて、なにひとつみたされることのない日常を余儀なく送っているのはあきらかだった。
彼は閉館時間に追われるように、壁の絵に沿って相変わらずせかせかした足取りで移動をはじめた。しかし、絵画に見入るにつれ、入ってきたときはまだ社会の穢れがありありとこびりついていたその目が、しだいに清められていき、ついには澄み切った純粋な輝きをおびるまでになった。
そして彼は、アヤラ夫人と目をみあわせた。入場者にたいしては、避けるようにしていたその目が、ひたと彼女をとらえた。まちがいなく彼が自分を意識したことを夫人は確信した。それでも、もしかしてという思いがふりきれないのか、夫人は無言で彼にむかって手をさしのべた。
彼もまた、こちらにさしのばされた白い腕が、自分がこしらえあげた幻影ではないかと懸念し、さわるとたちまち消えてしまうのを恐れるように、おずおずするばかりで、なかなかその手にふれようとしなかった。
だが、運命の力が二人の背中を強く押した。手と手がふれあい、すぐにそれはしっかりと握りあった。
ところがそのとき、館内に閉館を告げるチャイムが鳴り響いた。それはふたたび彼女に絵の中にもどれと命じる報せだった。
夫人は狼狽に自分を失った。ようやく探し求める男性をみつけたというのに、このまままたあの冷たい壁を伝って、あの何もかもが永遠の時のなかにぬりこめられた世界にもどっていかなければならないというのか。夫人は涙でぬれた目で、彼をみつめた。彼はだまって、こちらをみかえしている。あなたにも、この私をいつまでも抱きとめておくことはできないというの………。物言わぬ彼を、うらめしくおもいながらも夫人は、もとの絵のあるところへ、うなだれがちにもどりはじめた。そしてその身は壁を伝い、額縁を超えて絵の中の寝台に横たわった。
そのあとを追うように、彼の体が壁をつたって、夫人のいる絵の中にはいりこんだときには、館内にはすでに誰もいなかった。


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