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吉岡 幸一さん

性別 男性
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【私の白いディオニュソス】

16/11/14 コンテスト(テーマ):第122回 時空モノガタリ文学賞 【 美術館 】 コメント:3件 吉岡 幸一 閲覧数:929

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 地方の美術館で私は監視員をしている。監視員というのは、展示室の隅に黙って座って、来館者が展示物を手で触ったり、落書きをしたり、携帯電話の使用や飲食などのルール違反をしないか監視している仕事である。仕事といっても私の場合はボランティアであるが。
 この美術館は山の上にあるので交通が不便であるし、私が担当する常設展示室も有名な作家の作品もないので、平日休日に係らず来館者は少なかった。一日に数人しか来ないこともよくあった。
 薄明かりの中、物音ひとつしない部屋のなかでただじっと座っているのは案外辛いものだ。どんなに美術に興味があったとしても退屈さを紛らわすことはできない。
 監視員をはじめた当初、私もそう感じたし長く続ける自信はなかった。だが今年で二年目になる。週に四日とはいえ、こんなにも長く続けられたのは私がこの展示室での静かな時間を愛してしまったからだろう。
 開館時間と同時に私は展示室の隅に置かれた椅子に腰かける。椅子は冷たく堅いので手製の柔らかなクッションを敷いている。開館してもしばらくは展示室に人が来ることはない。つまり仕事はないのだが、いつ誰が来てもよいように準備は怠らないのだ。
 まるで私自身が作品のようだ。まずは目を見開き展示されている作品を眺める。郷土の画家の絵が四方に飾られている。風景画、人物画、抽象画、静物画、よくわからない絵、それらを吸い込むように見つめ、徐々に私は空になっていく。すると私の中で宇宙が広がっていき無数の星が輝きはじめる。起きているのだが夢を見ているような感覚、時間が消えていき、なにか大きな存在に包まれていく。
 幸福感とでも云えばいいのだろか。この感覚を味わうために私はこの仕事を続けているのかもしれない。
 たとえ来館者が部屋のなかに入ってきてもこの感覚は途切れない。だれもが静かに美術品を鑑賞するし、足音にさえ注意してくれる。私は仕事を始めて、ただの一度もマナーの悪い来館者に出会ったことがなかった。あの白い青年が来るまでは…。
 大学生だろうか。白い青年がはじめてこの展示室に入ってきたのは七日前だった。最初の日、白い青年は展示室の隅に座る私を発見した時、驚いたような顔をしてすぐに展示室を出て行った。二日目は展示物を観るふりをしながら、チラチラと私を見て、三日目は二日目以上に私を見て、日増しに展示物よりも私を見る時間が増えていき、六日目はついに私のそばに腰をおろして何十分も私を眺めていた。
 なにか話しかけてくるわけではない。私も見て見ないふりを続けている。危害を加えてきそうな雰囲気はない。純粋といえば純粋と云えそうな目の輝きで私を眺めている。それは恋する瞳に近いのかもしれない。
 七日目、白い青年は眺めているだけでは物足りなくなったのか、私の頬に触れようと手を伸ばしてきた。
「やめてください」
 それが白い青年にかけた初めての言葉だった。
 白い青年はすぐに手を引っ込めて曖昧に笑った。
「やはり生きているんですね。あまりに動かないものだから人形かと思って」
「嘘。人形だなんて思ったことないでしょう」
「ごめんなさい」と、白い青年は素直に頭をさげた。
「私ではなく、どうか作品を観てください」
「あのう、」
「なんでしょうか」
 冷たい私の反応に白い青年は言葉を返せなかった。
 言いたいことはなんとなくわかっていた。だがこれ以上しゃべらせるわけにはいかなかった。私は既婚者、若い男の子には興味がなかった。
 この日を境に白い青年が美術館に来ることはなかった。私の平安、私の宇宙、私の幸福感は戻ってくるかに思えた。しかし、展示室の隅で心を空にしていくと白い青年の顔が思い浮かんでくるようになった。どんなに振りはらおうとしても白い青年は消えてくれない。私は恍惚の宇宙を失った。
 恐ろしいほどの退屈に襲われ、苦しいほどの孤独の時を過ごすようになった。だが、その感覚も時がたつほどに受け入れられるようになっていった。いつしか白い青年の顔が美化され、私は白い青年と溶け合い、混じりあい、白い青年の存在そのものが私の宇宙となった。私の聖なるロゴスは白く燃えながら回転し、私は新しい幸福感を手に入れたのだった。
 私は今日も美術館の常設展示室の隅に座っている。薄明るいライトに照らされた部屋のなかで独り白い青年の宇宙に包まれている。
 来館者の少ない山の上の美術館、私は監視員、展示室の隅に座って来館者を監視する。
 閉館時間が訪れると、私はそっと立ち上がって事務室に向かう。
 事務室長は優しい声で「今日も穏やかな一日でしたね」と、いつものようにお茶を勧めてくる。
「はい、今日もよい仕事ができました」と、私はいつも同じように答えて、熱いお茶に口をつけるのだった。


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このストーリーに関するコメント

16/11/17 アラクネ文庫

大変おもしろかったです。

16/11/18 吉岡 幸一

koji様
コメントをいただきありがとうございます。
感謝。

16/12/21 吉岡 幸一

[アラクネ文庫]で本作品を詳細に取り上げていただきありがとうございました。感謝します。

http://net-shosetsu.net/watashi/

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