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佐川恭一さん

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性別 男性
将来の夢 ノーベル文学賞受賞
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アレハンドロによろしく

16/11/03 コンテスト(テーマ):第121回 時空モノガタリ文学賞 【 捨てゼリフ 】 コメント:0件 佐川恭一 閲覧数:388

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 私は幼稚園のときからいじめられ、小学校でもいじめられ続け、中学の二年生で不登校になりました。すごいいじめられ方だったので、これでもよくもった方である。「お前、よくやった方だよ。」そういってくれるのは、盟友アレハンドロです。アレハンドロはまことにこのようにいう。「おれがお前だったら、年少組のときにぶったおれてたぜ。」私にはそれがアレハンドロの優しさであるということがわかる。「ああ、そうだろうな。」しかし、私は強がって笑いながらそういうのです。きみなら大丈夫だっただろう。なんていっては、かれの優しさが台無しだから。私は正直これでは小卒で、就職は絶望的でした。私が雇い主なら、たぶん採用しない。ほんとうは、あれだけの凄惨ないじめのなかで、中2まで持ちこたえたことは私の精神力が尋常ではないことを示しているが、ふつうに考えると、中2から学校に行っていないやつは、ふぬけです。私も、いじめにもあっていないのに、中2から学校に行っていないやつなんて、信用できない。しかし、就職のときに、いじめられたことをあかるみにするのは、はばかられるでしょう。なぜなら、いじめにあってしまったという事実が、私の評価を下げるだろうから。私は私のせいでいじめられたのだとは思っていないが、いじめられる方に原因がある、という論は根強いので、私が面接官を説得しきれない可能性は排除できません。厳格な父は私がいじめられていた時点でかなり不機嫌で、酒の量も増える一方でしたが、不登校になって一か月もすると、お前には失望した。と捨てぜりふを吐いて、それ以降は一言もしゃべっていない。寛大な母は、ねばりづよく私を励ましてくれるが、それは私への愛というより、社会的要請のためでしょう。社会は、母が子を見捨てることを許さない。私はもう、不登校になるまえに付き合いのあった友だちとも断絶していて、好きだった女の子の顔も二度とおがめません。正直、何のために生きているのかわからない。肺がやばいことになって死んだ祖父は最期のとき、もうたくさんだ。と書きのこし、人工呼吸器をみずから外して死にました。すごい捨てぜりふである。格好よい。私は肺のやばかった祖父にあこがれをもって、もうたくさんだ。と紙に書いてみたが、すごいパクリ感があって、恥ずかしくなった。捨てぜりふにはオリジナリティが必要なのだということを、私は学びました。私なりの捨てぜりふを思いついたときに、世を去ろう。私はそう思いましたが、なかなか思いつかず、病気とかならいいけど、いじめられっ子の捨てぜりふなんて、大体ださくなると感じはじめました。いじめっ子たちの名前を列挙してうらみごとを執拗に書きつけるのか、それとも、かれらにはぼくは何のうらみもない。お父さんお母さんありがとう。みたいな偽善を書きつけるのか、大きく分けるとふたパターンしかないことが判明した。私はこのバリエーションの少なさに辟易。別バージョンをうみだすべく努めましたが、やはりどちらかの傾向に回収されるので、あきらめて大検を受け、大学に入った。そこで私はやはりいじめられたが、めげずに捨てぜりふについての研究をはじめ、たくさんの人間の、ありとあらゆる捨てぜりふを集めた。それで卒業論文を書き、修士論文を書き、しぶとく大学に残ったが、博士号はなかなか取れない。ひさびさにアレハンドロに助言を求めようとしたが、いつの間にか、アレハンドロはお母さんに捨てられていました。あのぬいぐるみ、もう汚かったから。それが母の捨てぜりふだった。アレハンドロがいれば結果は変わっただろうが、結局博士号は取れずじまい。七十二歳になり、おだやかに公園を散歩などしているとき、ヤバいやつらの銃撃戦に巻き込まれて蜂の巣にされた。私の捨てぜりふは、「ぶわ。」でした。


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