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吉岡 幸一さん

性別 男性
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【タルト生地の上に】

16/10/23 コンテスト(テーマ):第120回 時空モノガタリ文学賞 【 平和 】 コメント:0件 吉岡 幸一 閲覧数:707

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 街はずれにあるケーキ屋は今日も賑わっていた。
 タルトケーキが人気の店で、わざわざ遠方から買いにくる客が多くいた。季節ごとに野菜や果物が変わっていくのを楽しみにして、何度も足を運んでくる客もけっこういる。
店の外観はレンガ造りで、古いイギリスの民家を思い起こさせた。裏にある公園の樹々を背景にして建つ店は、おとぎ話に出てくるような可愛らしい雰囲気だった。
なによりも若い夫婦が仲よさそうに営んでいる姿が客の足を引きつけ、店を繁盛させていた。
 この日も夫婦は朝早くから忙しく働いていた。パティシエの夫は厨房にこもり、妻は店先で販売をしていた。会話こそ少なかったが、ふたりの額に皺がよることはなかった。
「この時期のおすすめは、栗とカボチャのタルトケーキですよ」
 ガラスケースの前で迷っている婦人に妻がやさしく声をかけると、迷っていた婦人は花が開いたような笑顔になって「じゃあ、それを二ついただこうかしら」と、鞄から財布を取り出しながら答えた。
 次々と売れていくケーキ、次々と補充されていくケーキ。春の花畑のようにガラスケースの中は色鮮やかなままで、客は花に集まる蜜蜂のようだった。
 時間はあっという間に過ぎていき、夕方と夜の間になっていた。もうすぐ閉店の時刻。店内に客の姿はなく、いつものようにこの時間にはケーキの数も減っていた。
 ほっと一呼吸して外に目をやると、ガラス戸の向こう側に小さな男の子が立って店の中を覗いていた。野球帽と片手が戸に当たっている。店に入りたくても入れない、そんな感じだった。
「いらっしゃい。どうぞ」
 妻が戸を開けて声をかけると、男の子は黙って頷いてなかに入ってきた。
「ケーキを買いに来たんでしょう。お母さんのお使いかな」
 妻は男の子の顔を知っていた。何度か店の前でランドセルを背負って歩いているのを見かけたことがある。きっと近所の子供なのだろう。
「おすすめは栗とカボチャのタルトケーキだよ」
 ガラスケースの前にしゃがんで、ケーキを指さしながら言った。
「今日、父さんの誕生日」
「あら、おめでとう。お誕生日なら丸いホールケーキがいいかな」
「父さん、家にいないから食べさせてあげられない。戦争に行ってるんだ。遠い国に」
 一瞬、妻は固まって言葉が出てこなかった。男の子はそんな妻の様子を気にすることもなく、まっすぐケーキを見続けていた。
「戦争って。日本はどこの国とも戦争はしていないはずだよ」
「よその国を助けるために頑張ってるの」
 男の子は怒って頬を膨らませた。妻が困っていると、奥からコック帽を脱ぎながら夫が出てきた。
「きっと自衛隊の海外派遣でどこかの紛争地に行っているんだよ。子供の目からは戦争に行っているように映るのかもしれないな」
 夫はガラスケースの上から体を乗り出すと、男の子にむかって言った。
「この真ん中にある一番大きなケーキをおじさんがボクにプレゼントしてあげるよ。他の人には内緒だぞ」
 栗とカボチャのタルトケーキ。カットしていないままのホールケーキ、夫の自慢のケーキである。
「売れ残りじゃないぞ。作りすぎただけだからな」
 冗談ぽく夫が言うと、男の子はくすっと笑った。
 男の子が両手で大事そうにケーキを抱えて店を出ていく姿を夫と妻はじっと見ていた。
「あの子が生きていたら、ちょうどあの男の子くらいの歳よね。私たちの誕生日にはケーキを買ってくれたかしら。いいえ、ケーキ屋の息子だからきっとケーキを作ってくれたわよね」
 背中をまるめて言う妻の声は涙声だった。売り場に出てきた夫は妻の背中をさすった。熱い手のひら、冷たくなっている背中、ふたりの体温が優しく溶け合っていった。
「お父さん、無事に帰ってきたらいいね」
「ああ、きっと無事に帰ってくるさ。そして今度は親子一緒にこの店でケーキを買って食べてくれるだろうよ」
 妻は笑い、夫は微笑んだ。
 街はずれにあるケーキ屋は夜の上に浮かんでいた。まるい月がケーキ屋の屋根をあかるく照らし、窓から漏れる光は店の駐車場とその前の細い道を照らしていた。風に揺れる樹々の音は柔らかで、細長い雲ははるか遠くまで伸びていた。異国に派遣されたあの子の父親も同じ空の下に暮らしている。
「さあ、店じまいをして後片付けだ」
 妻の背中をぽんと叩いた夫は、わざと大きな背伸びをすると奥の厨房へと戻っていった。




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