1. トップページ
  2. サンポと木村さんと、ご主人(たち)

秋 ひのこさん

歯について考える時、右と左がよくわからなくなります。右奥だっけ、左奥だっけ。虫歯が絶対にあると思われるあの場所を伝えるべく「ええと、右です。そして上な気がします」と言ったら先生が「うん、上は上でも左ですよね」とか言う瞬間が恥ずかしいので、虫歯は放置しているような人間です。こんにちは。 

性別 女性
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

1

サンポと木村さんと、ご主人(たち)

16/10/21 コンテスト(テーマ):第119回 時空モノガタリ文学賞 【 お笑い 】 コメント:0件 秋 ひのこ 閲覧数:869

この作品を評価する

 隣で、強烈な臭いを放つ白くびろびろしたものをかじりながら、ご主人が涙を流さんばかりにケタケタ笑っている。
 『笑いはスマイルとちゃうで』というステッカーが貼られた薄いテレビで、人間が「にょにょにょにょきーん」とか「わんこにお水をワンコップ」とか言うたびに、テレビからもご主人からも笑いが生まれる。
 酒とびろびろと笑い。ご主人の至福のひとときを、私は邪魔するでも積極的に共有するでもなく、ただ、欠伸をする。


「サンポさん、こんにちは」
 木村さんのご主人が、今日も礼儀正しく声をかけてくれる。
 サンポは私の名前だ。『サンポの散歩が三歩で終了』というダジャレを言いたいがために、名前をサンポにしたのだと、うちのご主人がある時教えてくれた。
 木村さんのご主人は、そんなうちのご主人には無言で会釈をした。その足元で、木村さんがうちのご主人に向かって尻尾を激しく振りつぶらな三角目できゅう、と見上げる。
「きゃあ、木村さんこんにちは」
 ご主人がよそ行きの声で嬉しそうに木村さんを撫でる。
 木村さんはピンと立った三角耳が凛々しい真っ白な紀州犬で、溌剌と犬らしくふるまうため人間受けが良い。一方、木村さんのご主人は人にも犬にもあまり近寄ろうとしないし、近寄らせない雰囲気をまとう。この距離感に、ただならぬ親近感を覚える。
 群がる犬好きたちにそっぽを向く私の態度に、ご主人はいつも「すみません、こんな犬で」と明るく詫びる。木村さんと初めて会った時、木村さんは木村さんのご主人のことを「すみません、こんな主人で」とちょっと誇らしげに詫びた。
 木村さんの愛想の良さはこの無愛想なご主人を補填する役割を果たしているが、うちのご主人の天真爛漫な明るさが私の無関心を補填しているかどうかは、よくわからない。


 木村さんとはご主人が休みの日に週に1回か2回、近所の公園で会う。リードから解放してもらえるので、ここはお気に入りの場所だ。
 うちのご主人が一方的にお笑いについて熱く語り、木村さんのご主人が目の前の落ち葉を数えたりしている間、木村さんと私は、犬らしく風に舞う葉を追いかけたり、穴を掘ってみたり(そしてご主人に止められたり)、草地に寝そべってみたりして過ごす。
 寡黙な木村さんのご主人とうちのご主人とでは、犬つながり以上のものは生まれないだろうと思う。

 
 ご主人は今日もテレビの前に座り、びろびろを片手にケラケラと笑っている。
「犬も笑えたらいいのにね。ストレス解消になるよ。犬ってどうやってストレス解消するんだろう」
 コマーシャル中に、ご主人が真顔に戻って疑問を口にする。「ねえ、どうやってるの?」
 わからないので、今度木村さんに聞いてみようと思った。
 番組が終了したところで、ご主人の携帯が『にょにょにょにょきーん』と鳴った。
「あ、木村さんから」
 木村さんのことも、木村さんのご主人のことも「木村さん」と呼ぶご主人が、携帯画面を見せてきた。連絡先の交換など、いつの間に。というかどのような経緯で。
「『観ました』、だって」
 ご主人は電話を睨みながらぶつぶつと考え始めた。観ましたって、「観ました?」っていう意味なのかな。だとしたら、私も観ました、って返すのは変よね。「観ました?」として、観ました、と返したら、もし、「観ました」、だった時にやっぱり返しとしては変かな。
 そこからうとうとし始めたので、結局ご主人がどう返事をしたのかはわからないが、しばらくして背中をぐいぐい揺らされた。
「サンちゃん、明日は木村さんと散歩に行くよ。いつもみたく偶然出会うんじゃなく、一緒に行きましょうって行くの」
 連絡先の交換はやはり犬つながりなのだろう。だが、ご主人は嬉しそうだ。


 翌日、家まで木村さんとそのご主人が迎えにきてくれた。
 うちのご主人がバタバタと私にリードをつけ、玄関を出る。では行きましょうか、と全員で歩きかけたところでご主人の携帯が『にょにょにょにょきーん』と鳴った。
「ごめんなさい、妹からLINEが。急ぎで電話したいって」
「構いませんよ、僕はここで待っていますから。家でどうぞ」
 すみません、と頭を下げ、ご主人が引き返す。それから、「あっ」と大きな声をあげた。
 何事かと見上げると、ご主人は肩をぎゅっとすぼませしばらく立ち尽くし、それからぱっと勢いよく振り返った。
「サンポの散歩が三歩で終了!」
 歯を見せて顔を輝かせるご主人を前に、私は咄嗟に木村さんを見た。こんな主人ですみません、という目で。
 木村さんは、ご主人を魅力的な犬の目で見上げて尻尾をぱたり、と振った。木村さんのご主人はというと、やや目を見開き、奇妙に口の端を歪めながらこう言った。
「とにかく電話をどうぞ」
 良い人たちだ、と思った。


(終)


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン