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野々小花さん

野々小花(ののしょうか)です。文化教室に通って、書く勉強をしています。

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【エッセイ】 帰る場所

16/10/17 コンテスト(テーマ):第120回 時空モノガタリ文学賞 【 平和 】 コメント:6件 野々小花 閲覧数:858

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 結婚してすぐ、新築のマンションを購入した。常駐の管理人が共用部分の掃除や中庭の草木の手入れをしてくれるおかげで、エントランスはいつもぴかぴかだった。
 ゴミはもちろん、落ち葉や、枯れた草花を目にすることもなく、生活の匂いを感じないマンションであった。
 気づくと、散歩が日課になっていた。知らない町を歩くのが楽しかったのだ。駅へ行く近道を見つけたときは嬉しかったし、昔ながらの商店街や古い家々が並ぶ細い路地を、ゆったりと眺めながら歩く時間が好きだった。
 散歩の途中にあった「アルバイト募集」の張り紙がきっかけで、私は駅前にある写真店で働き始めた。
 写真店の近くには、古い建物があった。
 看板が出ていたから、旅館らしいということはわかったが、既に営業はしておらず、人の気配も感じなかった。
 勤務を終えて、暗い時間に旅館の前を通っても明かりが点いていることはなかったし、割れた窓も修復されないままだった。
 
 いつだったか、他のスタッフと話していたとき、旅館の話になった。
 あの旅館は、連合赤軍のある幹部の生家だというのである。
 連合赤軍と聞いても、あまりピンと来なかった。あさま山荘事件を起こした組織という認識くらいはあったが、自分が生まれるずっと以前の事件である。
 映画化されたのを見た覚えがあるが、俳優たちが見事に演じていたせいか、現実に起こった事件ではなく、フィクションのように感じていた。
 気になり調べてみると、あさま山荘事件に、その幹部は関わっていたことがわかった。
 母親は事件現場で投降を呼びかけ、父親は人質への詫びと、残された家族を責めないで欲しいという遺書を残し、旅館のトイレで首を吊ったという。
 遠い昔の出来事が、急に現実味を帯びた。
 自分がなんとなく見ていたこの旅館で、一人の人間が、詫び、許しを請い、死んでいったのである。
 逮捕されたのち、供述を始めたものの、犯人グループ五人のうち彼の裁判だけが終わっていない。
 あさま山荘事件から三年後に起こったクアラルンプール事件で超法規的措置により釈放され、国外脱出したからである。
 父親が案じていた「残された家族」が、その後どうなったのか。私は知らない。
 事件から、すでに四十年以上が経っている。
 旅館は、駅前という好立地にもかかわらず、取り壊されることなく、他の誰かに譲られることもなく、そのままの場所に、そのままの姿で残っている。
 旅館の左隣は煙草屋で、同じように年季が入った佇まいだったが、あるとき改装して近代的な店構えに生まれ変わった。
 写真店は閉店し、あちこちの道路で拡張工事が始まった。少しずつ、確実に、町は変わっていった。
 それでも、旅館だけは変わらない。彼の生家が、彼を待っている。いつの間にか、そんな風に思うようになっていた。
 
 しばらくして、私は離婚してマンションを出ることになった。
 気づけば、マンションの様子もずいぶんと変わっている。
 中庭の草木は相変わらず手入れが行き届いていたが、中央に置かれた木製のテーブルやベンチは雨風にさらされ傷んでいるし、柱の一部の塗装は剥がれ、塗り直したものの微妙に色が違っている。雨水が溜まりやすい場所は錆びたり、苔が生えたりしている。
 実家に戻ってから、毎日、父と母と食卓を囲むようになった。ほぼ、十年振りのことである。
 最初はなんだか気恥ずかしいような気がしていたが、少しすると、それも感じなくなった。
 穏やかに、日々は過ぎて行った。
 テレビを見て笑いながら、他愛もない話をしながら、家族で食事をしているとき、ふと思うことがある。
 なぜ、彼は罪を犯したのか。こんな風に家族で過ごす時間を、彼は自ら放棄したのである。罪の意識はあるのか。後悔はしていないのか。
 彼はクアラルンプール事件の後、ダッカ日航機ハイジャック事件にも関与し、警視庁から指名手配、国際指名手配もされている。
 中東に拠点を置き、中国・ルーマニア・ネパールでの入国の形跡が確認されているというが、消息の詳細や、彼の現在の生死は、不明だという。
 
 今年の夏、とうとう、あの旅館は取り壊されてしまった。
 仮に、彼が生きていたとしても、手遅れなのだ。どんなに悔いても、罪を償っても、彼にはもう、帰る場所はないのである。



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このストーリーに関するコメント

16/10/29 あずみの白馬

拝読させて頂きました。
風景と事件の描写にリアリティがありました。
帰る場所の無くなった「彼」と、帰る場所のある主人公。
その差を考えると不思議な気分になりました。

16/10/30 野々小花

コメントありがとうございます。
新しいマンションと古い旅館、そして帰る場所。真逆だと気づいたとき、書きたいと強く思いました。
読んでいただけてとても嬉しいです。ありがとうございました。

16/11/12 野々小花

海月漂さま
読んでいただきありがとうございます。
自分なりにテーマを解釈しましたが、これで良かったのか不安なところがありました。平和とは……。難しいテーマですね。
しかしながら、いただいたコメントで報われた思いです。ありがとうございました!

16/11/28 光石七

拝読しました。
他愛もない家族との時間、それが平和の原点であり、平和というものの最小限の単位なのかもしれないと思いました。
主人公と「彼」との対比が鮮明で、強く心に訴えかけてくるものがありました。
素晴らしい作品をありがとうございます!

16/11/30 野々小花

光石七さま
読んでくださってありがとうございます。
その最小限の単位が、どれだけ増えても大きくなっても、平和なままであり続けたら……。そう願わずにはいられません。
コメント、どうもありがとうございました!

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