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比些志さん

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記憶の年輪

16/10/09 コンテスト(テーマ):第118回 時空モノガタリ文学賞 【タイムスリップ 】 コメント:0件 比些志 閲覧数:661

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記憶には年輪があることがわかった。大脳皮質の裏側に年輪状のひだが見つかったのだ。そのひだを年代ごとに刺激すると特定の時代の記憶が脳内によみがえる。つまり外部から個人の特定の記憶をよみがえらせることが可能になった。とくに眠っている間にこの治療をおこなうと完全にその時代にタイムスリップした気分になる。
この画期的な発見は記憶喪失やアルツハイマーの治療、犯罪捜査などへ利用されはじめている。そして、とある終末期の緩和ケアを専門におこなう病院では、いち早くこの技術を取り入れて末期患者に対する治療を行っている。
患者は余命数日の八十歳台後半の一人暮らしの老人。
主治医からの治療提案に対して、ベッドに横たわる老人は細い息で、できれば大学生のころに戻りたいといった。

たくさんのあいたい人たちがいた。

ひと晩中酒を酌み交わし大声で笑いあいながら夢をかたりあった友。
毎晩悶え苦しみながらも結局自分からはひとことも言葉をかけられぬまま他人のものになった愛しい女性。
どんなときも優しい言葉と笑顔で励ましてくれたアルバイト先の同郷の上司。
絶対に許せない男。
自殺したクラスメイト。
なぜか自分を慕ってくれた少女。

言いたいこと、やれたはずのことが山ほどあるようにおもわれた。あのころもそうすべきだとわかっていながら、プライドや羞恥心や恐怖心のためにふみきれなかったいくつもの後悔。ーーーそれらを人生の最期に清算しておきたかった。
そして老人は希望どおり大学生時代にひとときのタイムスリップをおこない、やがて目覚めた。
「いかがでしたか?懐かしい人々とのひさしぶりの再会は?」
とおだやかに問いかける主治医に対して、老人は遠くを見つめながらかすれた声でゆっくりとつぶやいた。
「いいたくてもいえんこと、やりたくてもやれんことがたくさんあったとおもっとったが、やらんかったことはなんにもなかった。 ………やれることはぜんぶやっとったわい。むしろやりすぎたぐらいじゃ。青春のエネルギーは、年よりの想像をはるかにこえとった。ただーーーかなわんかっただけよ」
そういって老人は目だけでわらった。
かたわらで脈をとっていた主治医が老人の耳元に口をよせ、
「もしかすると明日が最期の日になるかもしれませんが、もういちど同じ時代の夢を希望されますか?」と慇懃に尋ねた。
「いや、あんなにしんどくて胸が苦しくなるような時代にはもどりとうない。ほんのわずかでも青春を謳歌できてよかった。このまま年相応の夢を見ながらしずかに逝くことにしますよ。ありがとう………。」
といって老人はなんどか潤んだ目をしばたたいたあと、穏やかに深い眠りに落ちた。了


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