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キップルさん

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空っぽ人間

16/10/04 コンテスト(テーマ):第118回 時空モノガタリ文学賞 【タイムスリップ 】 コメント:2件 キップル 閲覧数:509

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 深夜零時、人気のない冬の公園。小高い丘の上にある木の枝から一本のロープが垂れ下がっている。俺は、その先端に結ばれたボーリング玉ほどの大きさの輪を見つめたまま、十分か一時間か見当もつかぬほど固まっていた。今夜は冷え込みが激しい。にも関わらず、俺は夏のような薄着で部屋を出た。手足がかじかんで痛い。しかし、もうそんなことはどうだっていいのだ。俺はすべてを失った。俺はもうこれ以上生きていたくない。そして俺は目をつぶり、息を止め、ロープ先端の輪に頭を通した。ギュッときつく首が閉まる感覚。俺の身体は宙づりになった。

(嫌だ、死にたくない!)

そう思った刹那、俺の意識は虚無の底へと溶けていった。

「どうして風呂が沸いてないんだ、俺は疲れて帰ってきてるんだぞ!」
「すいません。夕食を作りながら沸かそうと思ったんですけど、宅急便が来てそれで…。」
「言い訳はいいんだよ。さっさと沸かせ!」
「はい、ごめんなさい…。」

 仕事が終わってくたびれていた俺は妻に向けて不満をぶちまけた。妻は悲しい顔でうなだれたまま、風呂場へ向かった。まったく、気が利かない女を嫁にすると疲れが倍増する。俺はネクタイを外し、スーツのままでリビングのソファに腰かけた。

「今、お風呂の準備をしてきました。ご飯先に食べますか?」

妻が申し訳なさそうに聞いてきた。

「ああ、そうする。」

俺は不機嫌を隠すでもなくぶっきらぼうに答えた。

「スーツは着替えますか?」
「風呂入ってないのに着替えられるわけないだろ。」
「あ、ごめんなさい…。」

いちいち癪に障る女だ。妻がテーブルの上に料理の乗った皿を並べていく。

「なんだ、今日は焼き魚か?」
「サンマが安かったんです。」

この時、俺は不思議な感覚に襲われた。以前どこかで妻と同じやり取りをしたような…。

「サンマ? そんなんじゃ力出ないだろ。肉が食べたかった。」
「すいません。最近、お肉が続いてたからお魚もいいと思ったんですけど…。」
「ちっ、お前はいちいちズレた女だな。だいたいこの前の葬式だって、なんでわざわざ俺が出なきゃいけなかったんだ。亡くなったのは親じゃなくて、たかが叔父だろ。あれ、すごく気を使って疲れたぞ。」
「迷惑をかけてごめんなさい。でも、あなたに出てもらってすごく感謝してます。叔父にはとてもお世話になったので…。」
「ちっ…。」

 俺はバツの悪さを感じながら、引くに引けない気分になっていた。同時に先ほどからのデジャヴ感は次第に強さを増し、ほとんど確信に近くなっていた。これは三ヶ月くらい前の出来事だ。すると、次に俺が話すのは…。

「あとは統也だって、学校に行かなくなってどれくらい経つ?」
「統也…。半年、くらいです。時々保健室登校はしてますが。」
「そんなの通ってるうちに入らないだろ。なんでこんなことになったんだ。」
「原因は私にも分かりません。学校で何かあったのか、それとも…。」
「お前が付いていながらどうしてこんなことになったんだ。」
「すいません…。」
「俺はちゃんと勤めを果たしてるぞ。会社では上司に気に入られ、近々昇進も控えてる。それに比べてお前はどうだ。家事は半人前で息子もまともに育てられない。俺がどんな思いをしてるか考えたことあるか?」
「わ、私が全部悪いんです。」

妻は今にも泣きそうな顔をしている。俺は…。俺は何か悪いことをしてるのか。俺と同じ立場に立ったら誰もが怒って当然だろ。

「統也は今の内からこんな有様で将来どうするんだ。小学校なんて天国みたいなもんだぞ。そこで耐えられないなら社会でなんか生きていけないだろう。遺伝子レベルで誰かさんの悪いところを受け継いでるなら、あいつはもうどうしようもないダメ息子だ。」

 妻は無言でうつむいている。肩を震わせて泣いているのだろうか。不意に妻が顔を上げて俺の顔を一瞥した。その目つきが、あの弱々しい妻とは思えぬほどの鋭さを持って俺を貫いてきた。それはまるで俺の心を見透かしながら、その中心へ怒りと悲しみのすべてを叩きつけるような迫力があった。

「その目やめろよ…。」

前回はその鋭さを感じられず、「生意気だ」と再度どなりつけていた。でも今はどうだ。俺は圧倒されて言葉が出ない。デジャヴと違う。ここからは俺の知らない未来へと続いているのか…?

 今、俺の眼前にはロープ。木の枝から垂れ下がり、先端にボーリング玉ほどの輪が付いたロープがある。時刻は深夜零時。そうだ、すべてを、愛する人を失った俺は死のうと思っていたんだ。でも、俺は本当に愛していたのか。俺が愛していたのは誰だったんだ?
 そこまで考えて涙が止まらなくなった。叫んだ。かじかんだ手足のことなど今は気にならない。俺は空っぽ人間だ。そして再びロープを握りしめた。


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このストーリーに関するコメント

16/10/04 日向 葵

キップル様
拝読させていただきました。
人の感情や家庭の殺伐とした情景がありありと伝わってきました。
特に男の傲慢さの描写が秀逸だと思います。
これは深読みかも知れませんが、
死の瞬間に訪れるタイムスリップを無自覚の走馬灯として表現されているように感じました。
素晴らしい作品だと思います。(^^)

16/10/04 キップル

向日葵様

コメントありがとうございます!
男の傲慢さは恥ずかしながら私自身の内にある醜い部分を正直に晒しています。
死ぬ直前の走馬灯は特に意識していませんでしたが、なるほど面白い見方だなぁと感心いたしました。

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