矢口慧さん

性別 女性
将来の夢
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18回目

16/10/03 コンテスト(テーマ):第118回 時空モノガタリ文学賞 【タイムスリップ 】 コメント:0件 矢口慧 閲覧数:602

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 新しい命が、眠っていた。
 真っ白で、清潔な病室。小さなベッドに、つい先刻まで狭い胎内でそうしていたように、新生児は手足を小さく丸めた姿勢で、夢すら知らないまどろみの中にいた。
 隣の寝台に母親の姿はなく、乳児は病室にたった一人、残されている。
 ふと、気付けば。
 四方を柵で覆われたベビーベッドの枕元に、少女が一人、立っていた。
 長い黒髪に、白いワンピース、花模様を透かした黒いボレロを身に着け、何故か、靴はない。
 少女は頬にかかる髪の流れを手で押さえながら身をかがめ、乳児の顔を覗き込んだ。
 瞳は黒く、肌は白く、子供と大人の狭間にいる、危うい年頃特有の儚く精緻な造作は、薄い唇は緊張に引き結ばれて、何処か無機物めいた印象を与える。
 息を詰めてしばし、それこそ人形にように動きを止めていた少女は、安堵したように深い息を吐いた。
「ねぇ」
 囁く声音で、少女は乳児に語りかける。
「あなたは、一歳の誕生日に死んだのよ」
 少女が紡ぐ言葉の意味を、眠る乳児が理解できる筈もない。
「俯せになったまま心臓が止まってね。その次は二歳、ペットボトルのキャップを飲み込んで息が詰まったの。三歳の時は階段から落ちて首を折った、四歳は川で溺れた」
 少女は乳児の死の様を淡々と、一年、また一年と重ねる奇妙な調子で連ねていく。
 その不穏な内容に反して、手は乳児の柔らかな産毛で覆われた頭を優しく撫で、耳の縁をくすぐり、瑞々しい頬に指の背で触れ、小さな五指を柔らかく握りしめる。
 乳児を見つめて愛し気に細められた目は、暖かな感情を注いでいた。
「……十八歳で、あなたは車にはねられた」
 そこで、す、と少女は身を起こし、眼差しを遠い何処かに向けた。
「ねぇ。だから、私が守るから」
 確かな決意を秘めた声に、乳児がぽかりと目を開いた。
 黒く、黒く、まだ何も映さない瞳。その目の形、特に眦の特徴が、少女のそれに酷似する。
「十八までは、守れるから」
 ふ、と笑って少女は再び乳児を覗き込み、視線を注いだ。
「それから先は、あなたが生きてね」
 少女の目に、じわりと涙が滲む。
「今度はいつまで生きるのかな? 十九の誕生日にまた何かあるのかな? そうだとしても、その先が見たい。十八回、もう十八回も時間を戻って、何度もあなたを助けたけど、まだ、終わりたくない。お願い、諦めないで、生きて、生きて、生きて、大人になって、恋もして、命を抱いて、満足して、それから」
 嗚咽に乱れて、少女の声は形を失くし、零れ落ちる涙が、ぽつりと乳児の眼の中に落ちた。
 次いで額に頬にと注がれる、空知らぬ雨の暖かさに、乳児はあぁ、ぅ、と声にもならない音を紡ぎながら、もどかしげに幼い手を空に向かって伸ばす。
 それに応えて、少女は手を伸ばしかけたが、途中で拳を握って止めた。
「わたしが、生きた、かったぁ」
 ベビーベッドの柵を掴み、少女は堪えきれずに膝を着く。
 ふぅ、と何処かから吹き込んだ風が、少女の黒髪を空に向かって巻き上げてそして、彼女の姿は跡形もなく、消えた。


「千寿!」
 繁華街の雑踏の中、少女は名を呼ばれて振り返った。
 親し気な声音は、何処かで聞いたことがあるようでいながら、耳に馴染まない。
 見渡す限りに知った顔はなく、首を傾げる。
 先ほどまで、雑貨店で誕生日プレゼントを選んでくれていた友人とは別れたばかり。
 今からの家族との食事は、前から行きたかったレストランで待ち合わせている。
 そこは彼氏じゃないのかよ、と口の悪い友人は笑っていたが、女子高で容易な出会いなどある筈もない。
 名を呼ぶ声は、空耳か、気のせいか。それでも何かが気にかかって落ち着かず、鞄から携帯電話を取り出した。
 と、誰かに靴の踵を踏まれた。
 この日の為に新調したばかり、足に馴染まない靴はすっぽりと抜けたばかりか、何故か踏まれていないもう一方まで脱げて素足になってしまう。
 地面を踏みしめて、バランスを取ろうとしても叶わずに、よろけるようにして、車道に出そうになった、腕を、誰かが掴んだ。
 肩が痛むほどに強く、引き倒さんばかりの力に、手首を掴んだ相手と反転して位置が入れ替わった。
 混乱の中で、相手の姿が認める。
 白いワンピースに黒いボレロ、そして何故だか裸足の、服装も顔立ちも自分によく似た少女は、明るい笑顔を投げかけて、名前を呼んだ。
「千寿」
 自分の全体重をかけたのだろう、少女自身は体勢を整えられずに、反動のまま、車道に躍り出た。
「ここから先は、よろしくね!」
 まるで親友のような親しさで明るくかけられた声は、先ほど名前を呼んだものと同じ。
 そうして鮮やかに、朗らかに、まるで祝福を与えるかのような慈しみの残像は、走り抜ける黒い車に容易く砕け、千々に裂かれて消え去った。


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