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本宮晃樹さん

ふつうにサラリーマンをしております。 春夏秋冬、いつでも登山のナイスガイ。 よろしくお願いします。

性別 男性
将来の夢 魁! 不労所得!
座右の銘 定時帰社特攻隊長

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アトラス

16/09/29 コンテスト(テーマ):第90回 【 自由投稿スペース 】 コメント:0件 本宮晃樹 閲覧数:684

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「たった一人の人間が、この惑星に欠くべからざる存在だなんてことがあると思うかい?」
 しけた個人経営のバーである〈マジックマッシュ〉は、週末ということでそこそこ繁盛していた(むろんこの店にしてはって意味だが)。それはいいがよりにもよって一人で飲んでいたいと切に願っている男に、ずけずけと話しかけるやつがあるか?
 若い娘なら大歓迎だが、なにが悲しくて野郎――それもいやになまっ白い――なんかと話さなくちゃならないのか? おまけに言ってることが分裂病じみてるときた。
 俺は助けを求めるように、マスターのほうに何度も目で訴えた。やつは何食わぬ顔でしゃかしゃかとボトルを振っている。われ関せずというわけだ。くそ、あとで覚えてろよ。
「ねえお兄さん。どう思う?」
「さてね。あるかもしれんし、ないかもしれん」
「ところがあるんだな、これが」
「ほう?」いっかな興味が湧いてこない。「ぜひお聞かせ願いたいね」
〈マジックマッシュ〉は座り心地の悪いスツールがカウンターの前にずらりと並んでいるだけの、なんともしけた造りの典型的な場末のバーである。出す酒もろくなものがない。ただマスターにはユーモアがある。やつと話すためだけでも、ここにはくる価値がある。たまに――本当にごくたまに――若い女の子もいる。だが精神病患者がいたことはなかった。
「ガイア仮説というのをご存知かな?」
「いいや」
「地球はあらゆる生態系が相互に依存し」狂人はいままで一人ぶんスツールを空けて座っていたのだが、徐々ににじり寄ってきている。「まるっきりひとつの生き物だっていう話なんだ。わかるかい?」
「わからないでもないがね」
「つまりさ、ぼくたちの身体が専門化した細胞で維持されてるのと同じように、この惑星もひとつの生命体なんだよ。そしてぼくたち動植物が、そのパーツってわけ」
「すまんな坊や。あいにくと今日はこれから予定がある」勘定をカウンターに置いてコースターを重しにする。正確な金額がいくらかわからなかったので、適当だった。奮発して一万円。足りないってことはないはずだ。釣り? マスターにくれてやる。ただしこいつがついてこないよう、監視してくれるという条件つきで。「じゃ、またな」
「日下部真琴さん、ちょっと待ってくれ」
 このときの俺の気分がどんなだかわかるだろうか? 全身から一気に血の気が引いていった。「坊や、なんで俺の名前を知ってる?」
「さて、なんでだろうね?」
「ちぇっ、あらかた金に困った同級生が中学の卒業アルバムでもおたくに売ったんだろうな」すぐに合理的思考のできるところが俺の長所である。一応席には再びついた。「なんの押し売りか知らんが、なにも買わんぜ」
「日下部さん、ガイア仮説は本当なんだ。アトラスはご存じ? 神さまのことなんだけど」
「ギリシャ神話かなにかだったかね」
「よくご存じで。彼は世界を背負わされた。彼がそれをやめると世界が崩壊してしまうので、やめることはできなかった。いいかい、アトラスは実在したんだ。ただ世界を実際に背負ってたわけじゃなく、そういう使命を帯びてたいち個人だったというのが、ぼくの見解さ」
「使命を帯びるってのはどういうことだ?」いまだになにを売りつけようとしているのかさっぱりわからないところが不気味だ。「ますますわからん」
「何事にも核がある。細胞核しかり。原子核しかり。そして」こっちを見て口の端を吊り上げた。「ガイア仮説しかり」
「……あんたがそうだとでも?」
「察しがいいなあ。ずばりそうなんだよ日下部さん。ぼくは前任者から〈アトラス〉を引き継いじまった。そのせいでほとんど全知全能になっちゃった。明日のことが全部わかるし、お望みとあらば十世紀後のこともわかる。そしてもちろん死なない。というより死ねない」
 ここに残ったのは誤りだった。こいつは真性だ。「なるほど、実に興味深い。ただ予定があってな」
「あんたにそんなものがないことくらい知ってるよ」
「ところがあるんだ。じゃあな」もちろんそんなものはなかった。だがこんなことくらい二分の一の確率で当てられる。
 店を出た。何度も後ろを振り返る。追ってきている気配はない。全速力で街を駆け抜ける。何人かの肩やら腕やらにぶつかったが、向こうが不快感を表明しようと思ったころには、俺はとっくのむかしにいなくなっていただろう。
 肩で息をしながらビルとビルのあいだの路地に背をもたせかける。こめかみがどくどくと脈打ち、心臓はいまにも口から飛び出してきそうだ。こんなに思い切り走ったのは高校の体力測定以来だった。あのころは足が速ければモテた。いい時代だった。俺の足は遅かったが。
「さてあなたは」聞き覚えのある声。振り返ると路地の入り口をふさぐように、さっきの精神病患者が立ちはだかっていた。血の気が引いていく。「さっきの話を信じるかい?」
「なにがしたいんだよ、カマ野郎」虚勢を張ったものの声が震えてしまった。「頼むからほっといてくれ」
「質問に答えてほしい」
「信じる、信じるよ。で、お前さんがそうだってんだろ」
「実はそうなんだ。でももう、このお役目に辟易しててね」
「辞めちまえばいい」
「その瞬間地球は滅びることになるけど、それでもいいのかい?」
「知るもんか。滅びちまえばいいんだよ、こんなくそったれた星は」
「ぼくはそうは思わない」
「じゃあお役目を続けるこった」俺はやつを押しのけて繁華街へまろび出た。「あばよ、坊や」
 いく先々にカマ野郎が立っていて、俺を恐怖のどん底へ突き落とすなんてことはなかった。逃げ出す際に振り返ったときもやつは路地裏に突っ立ったまま、じっとこっちを眺めているだけだった。
 走り出そうとした瞬間、やつが笑ったような気がした。
 恐ろしく邪悪な笑みだった。

     *     *     *

「ふうん、あれからそんなことがあったのかい」〈マジックマッシュ〉は「そんなこと」があったあとでもいく価値がある。それに俺はあれが夢かなにかだったといまじゃ思い始めてもいた。「たいへんだったねえ」
「けっ。そう思うならやつを止めてくれりゃよかったんだ」
「まあまあそう言いなさんな」マスターは後ろの棚から仰々しいボトルを手に取り、「こいつは俺のおごりだからさ」
 そう言われるとへそを曲げたままでいることは難しい。ロハで飲む酒ほどうまいものはないのだ。
「で、実際のところどう思う」
「なにが」
「あんたが会った例の男の言ってたことさ。〈アトラス〉がどんなかたちをしてて――そもそも有形じゃないのかもしれんが――、どんなふうに継承するのか興味が湧かないかい?」
「ちっとも。狂人の妄想なんかに付き合ってられんよ」ぐいっとロックであおる。ただ酒だけあって相応のしろものだった。「もうその話はやめようや」
「なんでそいつは辞めたがってたんだろうな」
「知らないって。飽きたんだろ。野郎が言うには不老不死なんだそうだ。きっと何世紀も生きてるうちに人生に倦んできたのさ。長生きなんかするもんじゃないね」
「俺には理由がわかると思う」
「ほう? あんたが分裂病のお仲間だとは知らなかった」
「彼があれからまたきてね。どうしても〈アトラス〉を手放したいって言うんだ」
「おい、よせって。いつから小噺名人になっちまったんだよ」
「それなら、じゃあ俺が預かるよって言ってやった」
「マスター、名調子のところ悪いが酒がどんどんまずくなってるぞ」
「わかるかい真琴ちゃん。全知全能がどんなだか」
「あいにくとゼウスじゃないんでね」
「なんでもわかるんだよ。自分自身の未来でさえね。それがどれだけ人生をつまらなくさせるか想像できるかい? 自由意思の介在しない予定調和の人生がさ」
「よおしわかった」マスターがこれほど無神経だとは知らなかった。「今度G1レースがある。単勝の当たり馬券を教えてくれ。そいつが当たれば信じるし、あんたの悩みも聞こうじゃないか」
「グレートゴブリン」まったく迷いがなかった。マスターは競馬をやらなかったはずだが……。「大穴だ。オッズは二十三・七倍。大儲けのチャンスだよ」
 沈黙が下りる。俺はやつの顔をじっと見つめる。やつもそうしている。しまいにはマスターが吹き出した。俺もつられて吹き出し、数秒後には爆笑の嵐になった。
「おもしろかっただろ?」
「まあな。でも俺が真に受けて大損こいたらどうするつもりだったんだよ」
「そのときはもちろん、冗談の区別もつかない哀れなお客に一杯おごったさ」
「ちぇっ。まあいいや。今日は飲むぞ!」
「まいど」

     *     *     *

 翌週のG1レースでグレートゴブリンは並み居る強豪を押しのけ、見事トップでゴールした。もちろん一円だって賭けちゃいなかったが。まあ偶然だろう。偶然に決まってる。
 にもかかわらず〈マジックマッシュ〉にいくべきかどうか、俺はいまだに悩んでいる。


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