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宮下 倖さん

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月光レール

16/09/26 コンテスト(テーマ):第117回 時空モノガタリ文学賞 【 本屋 】 コメント:0件 宮下 倖 閲覧数:490

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 書店員ならば「満月手当」を楽しみにしている人も多いと思う。ぼくもそのひとりで、勤務表をもらうたびに一喜一憂している。
 今夜は久しぶりの満月夜勤。群青色に艶めく天空には薄雲すらなく、空に穿たれた穴のように白く月が輝いていた。
 深夜十二時かっきりに、ぼくは店のいちばん大きな窓を全開にした。店内の照明はすべて落としてある。店にはぼくひとりきり。ほどよく田舎の風景が残る町に建つ店の周りには、ほかの店舗や民家も少なく、目の前の道路には古い街灯が照度の低いぼんやりした輪を投げているだけだ。
 窓際にしゃがみ、頭半分だけ出して夜空を見ていると、ほーっという星のため息のようなかすかな音と、まるい光が近づいてくるのがわかった。
 思わず息をのむ。頭を引っこめると同時に「それ」は店内に軽やかに滑り込んできた。 
 汽車だ。SLそっくりの小さな車体は夜にどっぷりと沈んでからきたように群青色に光っている。煙突から雲母の欠片のような蒸気が噴き出し、暗い店内をきらきらと舞った。
 汽車は月光を浴びて仄かに明るい本棚に向かい、棚ざしの本の背表紙の上を滑らかに走っていく。行儀よく並んだ背表紙がまるで線路のようだ。
 汽車はやがて、昨日ぼくが整備したおすすめ本のコーナーで速度を落とした。音もなく停車し、今度は盛大に雲母の蒸気を噴き上げる。ぼくは内心快哉を叫んだ。
 そんなふうに汽車は平台や書棚の何か所かで停まり蒸気を散らした。ぼくはその場所を凝視する。しっかり憶えておかねばならない。 

 そろそろ終わりだろうかと思ったとき、文庫の棚の端で汽車が停車した。あんなところに何が……と訝しんでいると、汽車から誰かが降りてきた。思わず目を瞠る。月明かりの中でその姿が視認できた。
 皺だらけの羽織によれよれの袴、形の崩れた帽子からぼさぼさの蓬髪が覗いている。汽車から降りた男性は右手で額の前に庇をつくりあたりを見廻した。そして目の前に並んだ黒い背表紙の本にひょいと身軽に片足を踏み出し、その中に吸い込まれるように消えた。

 ぞくぞくと背中が震える。汽車から降りた人を見るのは初めてだった。前に店長に「そういうこともあるから」と聞いたときは、まさかと思っていたのだけれど。
 ぼくが感嘆しきりにうなずくと、汽車は一際大きく蒸気を噴き上げた。背表紙の線路を駆け、ふわりと浮き上がり緩やかに旋回してまっすぐに窓の外を目指す。息を詰めるぼくの傍を抜けるとき、また雲母の蒸気を散らした。カウンターの上できらきらと無数の輝きが舞う。汽車は夜空に溶けるように消え、残っていた細かな輝きもやがて薄れて見えなくなった。

 窓を閉めながらふとぼくは思う。うちの店は九時閉店だからいいけれど、深夜営業の書店は満月の夜どうしているのだろう。煌々とした店内、まだ客がいる中、汽車を招き入れるのだろうか。満月の夜だけ休業にする? それとも、汽車など招くことなく「満月手当」も受け取らないのだろうか。
 ぼくはカウンターに残された「満月手当」に目をやる。こんなに素敵なものをもらえないのはもったいないなと思いながら。


 通常より早い時間に店長が出勤してきた。ぼくは徹夜で読み耽った本に栞を挟んで欠伸まじりの挨拶をする。店長がいそいそとぼくの傍に来た。

「おはよう。どうだった?」
「はい。概ね予想通りのところで蒸気が上がりました。売れると思います。ただ、先日仕入れた恋愛大賞の受賞作のところではぜんぜん。あと、おすすめ本のコーナーで蒸気上がりました」
「お、きみが選本したやつ。これから売れてくるね」

 狐の面のような弧を描いて店長の目が細められる。嬉しさと照れくささでぼくは鼻の頭を掻いた。
 満月の夜に書店を訪れる汽車は、こんなふうに「売れる本」を教えていってくれる。昔から本屋が招いてきた月夜の客だ。

「あと変わったことは?」
「あ、そうだ! 金田一耕助が汽車から降りましたよ」
「なに! 金田一!?」

 推理小説ファンの店長が色めき立つ。きらきらと目を輝かせて「ようしわかった!」と手を打った。

「また横溝ブームがくるかもしれない。在庫を確認して仕入れを考えよう」

 いそいそとバックヤードに行きかけた店長が唐突に踵を返して戻ってきた。

「今回の満月手当は」
「これです」

 ぼくは読み止しの本から栞を抜き出す。ふくろうの形の真っ白な栞は、片目を開けて「ほう」と鳴いた。

「なるほど。超大作ファンタジーの続編、相当売れるとみたね」

 不敵な笑みをもらした店長の背中を見送り、ぼくは暁光に満たされた店内を眺めた。
 月光の中、汽車を走らせた本の背表紙は、いま朝陽に照らされて誇らしげに棚に収まっている。さまざまな世界に連れて行ってくれる豊かな本の旅路を思い、ぼくはふくろうの栞に小さく微笑みかけた。


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