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吉岡 幸一さん

性別 男性
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【離婚と幸せな家庭】

16/09/23 コンテスト(テーマ):第118回 時空モノガタリ文学賞 【タイムスリップ 】 コメント:1件 吉岡 幸一 閲覧数:1006

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「もう一度やり直しませんか」
 家庭裁判所から出てきた彼に声をかけてきたのは杖をついた老人だった。黒いカシミアのロングコートを羽織り、黒い革の中折れ帽を被っている。背筋は伸びて、黒縁眼鏡の奥からのぞく瞳は透き通っている。
 裁判官だろうか。一瞬そう思ったが、すぐに首を振った。見知らぬ裁判官が裁判所の門の前で声をかけてくるなんてあり得ない。それにもう離婚は正式に決まったことだ。いまさらやり直せるわけがないじゃないか。
 彼は首を振って老人の前を通り過ぎようとしたが、老人は素早く彼の前に立ちふさがった。
「あなたは幸せな家庭を築きたかったのではないですか。妻と子供に囲まれた平穏な毎日、豊かでなくても笑いの絶えない家庭、それがあなたの得たかった幸せの形ではなかったのですか」
 彼はたじろいだ。その通りだ。美人だが浪費癖のある妻とはうまくいかなかった。家にはブランド物のバックや装飾品や服など、必要のない品物で溢れかえっていた。借金取りに追われる毎日。家の全財産を失ってもなお妻は衝動買いをやめようとしない。子供を持つことなど叶うわけもなく、平穏な毎日なんて夢の夢だった。信頼して、給与の全てを渡していた結果がこれだ。
 わずか一年で結婚生活は終焉を迎えた。
「もし愛が少しでも残っているのなら…」
 老人が杖を高くあげると、世界は回り彼は結婚十日後の過去に戻っていた。
 わけがわからない。しかし彼は非常に現実的な男だった。与えられた状況をすぐに前向きに受け入れた。
 結婚後、妻が浪費生活に陥る前に彼は強引に家計を管理した。妻には小遣い二万円のみを渡し、その他の金は一切渡さなかった。彼は見事に家計をやりくりして貯金すら増やしていった。
 自由になる金がなければ借りればよい。そう妻が考えることは見越していた。彼は親や親戚や知人はもちろんのこと、銀行や信販会社、そして未来において借金をしてしまった先すべてに妻に金を貸さないように通告した。もし貸した場合、返済義務は免れるとの通知までして念をおした。
 妻は借金をすることもできず、浪費することもできなかった。傍目にはつつましやかな生活をおくっている堅実な家庭に写ったことだろう。
 結果、一年後に離婚した。
妻は、妻として信頼されていない生活に耐えられなかったのだ。枯れていく愛を補う水はなかった。
前と違って、彼はこのとき妻の方から離婚を申しいれられた。
 離婚調停が終わって、裁判所の門前まで行くと思っていた通りに例の老人が立っていた。老人は彼の顔を見ると「もし愛が少しでも残っているのなら…」と、前と同じ言葉を言って杖を高くあげた。
 そして彼は結婚十日後の過去に戻っていた。
 今度はこれまで二回の経験を踏まえ適度な信頼とほどよい管理を考えた。前回の経験から割り出した生活のために必要な金額を前もって渡し、不足が生じた場合はその都度追加で渡すことにした。
 ある程度、無駄なものを買ったりすることは折り込み済みであった。生活を壊さなければ少々の浪費はしかたがない。
 前回同様に借金をしそうな所には全て前もって貸付可能な上限金額を通知しておいた。もし上限を超えて貸し付けた場合、返済義務は免れる旨の通知は怠らなかった。
 たとえ妻がまた借金をして浪費を始めたとしても返済ができるような金額だった。それにこういった通知は彼が知らない金融機関にも広く流れていくものだ。彼の思う以上の抑止効果はあった。
 彼は幸せを手に入れたかに思えた。妻はほどほどの浪費こそすれ、平穏で笑いのある家庭生活を手に入れることができた。妻の浪費癖を抑制できたからこそ手に入れられた平安だと彼は考えた。子供には恵まれなかったが、こちらは急ぐようなことでもなかった。美人の妻との落ち着いた穏やかな毎日、これがいつまでも続くと思っていた。
 しかし彼はすぐに満ち足りなくなった。妻も満ち足りていなかった。常に妻を管理しなければならない彼。常に夫から管理されている妻。夫婦の幸せはそんなことの外側にあるように思えてきた。互いの幸福欲求が響き合う先の先に本当の幸せな家庭があるのではないだろうか。そもそも妻の浪費癖は彼への愛の不足を補う行為だったのではないだろうか。
 彼は離婚した。ふたりの希望だった。
円満な離婚調停の後、裁判所の門前まで歩いていくと老人が立っていた。
老人は柔和な笑顔で「もし愛が少しでも残っているのなら…」と、杖を高くあげたが、彼は過去には戻らなかった。
 何度も何度も老人は頷いた。
「これでよい。これでよいのです」
 門を出て振り返ると、別れた妻が元気に手を振っていた。泣きながら笑っていた。彼も手を振った。そして背を向けて歩きだした。もう彼は振り返ることはなかった。


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このストーリーに関するコメント

16/11/05 光石七

拝読しました。
結婚生活はどうするのが正解なのか……難しいですね。
ただ、お互い何が幸せなのか、常に思いやる姿勢は大切かもしれないなと思いました。
考えさせるお話でした。

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