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吉岡 幸一さん

性別 男性
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【男爵芋と檸檬】

16/09/20 コンテスト(テーマ):第117回 時空モノガタリ文学賞 【 本屋 】 コメント:2件 吉岡 幸一 閲覧数:976

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 梶井基次郎の「檸檬」を気取っているのだろうか。典子の勤める本屋には閉店間近になるときまってあの男がやって来る。平積みされた写真集の上に檸檬ではなく男爵芋を一個置いていく。本を買うでもなく、立ち読みするでもなく、ただ男爵芋を置き去って行くのである。
 午後十九時五十五分、閉店の五分前になると男はさっと店に入ってきて、男爵芋を置くとさっと出て行くのだ。「檸檬」のように男の頭の中では爆弾をイメージしているのかもしれないが、実際はスーパーで売っているありふれたただの男爵芋に過ぎない。
 男爵芋を置いていかれたところで、本屋にはなにも害はない。ただ後々忘れ物と言って取りに来られたら困るので、典子はレジの横に籠を置いて、その中に男爵芋を入れていた。
「檸檬」とは梶井基次郎の短編小説の名である。色彩豊かで心象的というか、ひどく屈折して憂鬱というか、詳しくは読んでもらえればわかるのだが、小説の最後の部分で主人公が買った檸檬を爆弾に見立てて本の上に置いて店をさる描写がある。おそらく男はその部分を真似たのだろう。檸檬よりも男爵芋が安かったからなのか。それはわからないが、陰鬱な顔つきは作中の主人公を思い浮かばせる。
 街中のビルとビルの隙間を抜けて、迷宮のように入り組んだ裏の細い道を進んでいくと、壊れかけた廃墟のような小さな本屋がある。そこに典子は雇われ店長として勤めていた。店長と云っても従業員は他にいない。目立たないどころかわかりにくい場所にあるので客もほとんど来ない。近くで働いている雑居ビルの住人が暇つぶしに顔を出すくらいである。飛び込みの客などは滅多に来ない。
 男爵芋の男はその滅多に来ない飛び込みの客としてある夜店に入ってきた。
 初めて来た日から男は平積みされた写真集の上に男爵芋を置いていった。
 つまり男は偶然この本屋を見つけて入ってきたのではなく、前から知っていて男爵芋を用意して本屋にやってきたのではないだろうか。いや、もしかしたらたまたまスーパーで買った男爵芋をその日持っていて、たまたま気づいた本屋に入って、何気なく梶井基次郎を気取って檸檬の代わりに男爵芋を置いていったのかもしれない。
 確かめる間もなく男は帰っていくので、典子は未だに真実を確かめられないでいた。
理由を知りたい。でも怖い。そう思い始めて一週間が過ぎたある日、典子は心を決めてレジに立っていた。いつもの午後十九時五十五分、男はやってきた。典子は矢を射るように男を見つめる。男が写真集の上に男爵芋を置いた瞬間、声で刺した。
「どうして、毎日本の上にお芋を置いていくんですか!」
 男は気弱に目を泳がせながら本屋の中を見渡して、レジの典子に気づくと軽く頭を下げた。そして何も言わず勢いよく店の外に飛び出していった。
 山の写真集の上に男爵芋が一個。レジを出て手に取った典子はドアの外に出て男を捜したがすでに男の姿はなかった。
 翌日も同じだった。男は男爵芋を置くと、典子を避けるように慌てて出て行った。その翌日も、その次も、この繰り返しが五日間続いた。ついに典子は男がやってくる十分前、午後十九時四十五分にいつも男爵芋を置く写真集の横に立った。
 この日も男は時間通りにやって来た。写真集の隣には典子が仁王立ちしている。男は怯んでいたがきびすを返そうとはしなかった。手には男爵芋が握られている。
「何のために、毎日お芋を置いていくのですか?」
 逃げられないようにできるだけ優しい口調で典子は言った。
「毎日一個、この本屋に男爵芋を置いて帰るのが僕の生きがいなんです。生きている証なんだ。だから僕はここに男爵芋を置いていく」
 文学的な表現なのか、禅問答か、それとも単に変なひとなのか、男の言葉に典子は戸惑った。
 男は隙をついて写真集の上に男爵芋を乗せた。満足そうに微笑むと、振り向きざまに走り去った。典子はもう声をかけない。かける必要がなかった。
 理由は理解できなかったが、聞くことはできた。害がないのだからそれで良かった。いつか本を買ってくれるなら尚良いのだが。
 典子は籠いっぱいに溜まった男爵芋を通勤で使っているトートバックに全部入れた。三十個以上はあるだろうか。ずっしりと重たかった。
 帰ったらお芋を蒸かせてバターをたっぷりと乗せて食べようかな。
 腹を撫でながらドアの外を見ると、真っ暗な闇に浮かんだ街灯の明かりがビルの隙間を朱色に照らしていた。
 明日も明後日もあの男は来るだろう。それが男の生きる証なのだから。
 典子は男爵芋料理のレシピ本を探そうと店の中を歩き回った。


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このストーリーに関するコメント

16/10/23 光石七

拝読しました。
『檸檬』の主人公は情緒不安定で衝動的な印象がありますが、御作の「男」は内気な性格でありつつも自分を肯定するために男爵芋を置いているように感じました。
典子が持ち帰った男爵芋の重さは、「男」が主張したい自身の存在の重みではないかと思います。
素敵なお話をありがとうございます!

16/10/23 吉岡 幸一

光石七様
コメントをいただきありがとうございました。
光石七様の深く、正確な読解力に驚き、そして感服いたしました。
今後ともご指導よろしくお願いいたします。感謝。

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