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ケイジロウさん

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ロールケーキに群がるシラサギ

16/09/12 コンテスト(テーマ):第116回 時空モノガタリ文学賞 【 裏切り 】 コメント:0件 ケイジロウ 閲覧数:693

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 台風の合い間に、あわただしく稲を刈るでっかい機械を、野山彗太は病室の窓から眺めていた。田植えの時期からこの病室に住んでいる彗太にとって、稲が生長するその期間は長くも感じられたが、短くも感じられた。
 先ほど、癌だということを、彗太は母の汐織から聞かされた。ロールケーキを切りながら、小さな声で告げた汐織の言葉に、彗太はなんの驚きもなかった。ここに来てから彗太の体重は30キロ近く減った。食欲もない。好物のロールケーキなら食べるだろうと、汐織は毎日のように買ってくるが、そのロールケーキはいつもサイドテーブルに置かれたままになっていた。それでも汐織は、仏壇のお供え物でもを変えるかのように、毎日ロールケーキを持って来た。
「彗太はまだ若いから大丈夫だ、ってお医者さんが言ってたわよ。」
 汐織がロールケーキの載った皿をサイドテーブルに置きながら言った。彗太は窓の外を見ながら、「うん」とだけ言った。シラサギが稲の刈られたところに群がっていた。彗太にはそのシラサギが死神のように見えた。
 僕の未来も刈られた。僕は未来に裏切られた……、彗太はそんなことを考えながらシラサギを目で追った。
「なんで人は未来を疑わないんだろうね。」
 外を見ながら放った彗太の言葉に、汐織はお茶を入れる手を止めた。八女からわざわざ取り寄せたお茶だが、彗太は飲まないことを汐織は知っていた。本当は彗太が好きなコーヒーを入れてあげたいところだが、それは医者に止められていた。汐織は、彗太の痩せこけた横顔を見た。目の周りが黒ずんでいた。
「疑わないってことは、信じていることになるのかなあ。なんで人は未来を信じているんだろう。そんな根拠、どこにあるんだろうね。」
 彗太の目には、死神がさっきより増えているように映った。
「お母さん、難しいことはよくわからないんだけど、たぶん、信じないと何も始まらないんじゃない。」
「そうなのかな……」
 彗太は外を見ながら言った。
「そうよ。お母さん、今、イスに座っているでしょ。これ一つとっても、よく考えたら奇跡よ。このイスの脚が折れるかもしれないんだし。それにここは4階でしょ。床が抜けないとも限らないでしょ。でもお母さん、この床が崩れるって疑わないわ。それは信じている、とも言えるかもしれないけど……、『仮定』とか『仮説』って言葉の方がしっくりくるような気がするな。とにかく、イスにしろ床にしろ、いちいち疑っていたら何もできなくなっちゃうんじゃない。」
 汐織は、生死について真剣に考えている息子に向かって、我ながらデタラメなことを言ってしまったことに、少し反省した。しかし、彗太は汐織の方を向いて微笑んだ。力はなかったが、久しぶりに見る美しい笑顔だった。汐織も慌てて笑顔を作ったが、彗太はすぐにまた外を眺め始めてしまった。
「ということは、人は未来があるという仮定のもとに、今日一日を過ごしているのか。」
「そうよ。彗太も未来があるという仮定のもとで今日を過ごさないとね。」
と汐織は言ってから、
「いや、彗太の場合は仮定じゃなくて、本当に未来があるんだけどね。」
 と、あわてて言い直した。
「僕はね、未来に裏切られたんだ。あそこにシラサギが群がっているだろう。あんな感じの死神が、僕の周りに群がっているんだ。」
 汐織は、窓の外を指さす彗太の細くなった真っ白な二の腕を見つめた。
「一度裏切られたくらいでなによ。大したことないじゃない。もう一度信じてあげたら。自分のためにも。そしてお母さんのためにも。」
 汐織は無理やり作った笑顔でそう言った。彗太は目を閉じていた。起きているのか、眠っているのかわからない。少し考えすぎて疲れたのかもしれない、と汐織は思った。
 稲刈り後の田んぼに群がるシラサギをしばらく睨みつけてから、汐織はカーテンを閉じた。

 その翌日、彗太は死んだ。
 汐織は霊安室で彗太と別れた後、彗太のいない病室に私物を整理するために行った。
 サイドテーブルの上にあったロールケーキが半分食べてあるのに汐織は気付いた。もしかしたら、彗太はもう一度未来を信じようとしたのかもしれない。汐織はそう考えるようにした。そう信じようとした。
 真っ暗な絶望の中で、前に進むための小さな動機を、その半分になったロールケーキから汐織は見つけられたような気がした。


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