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南野モリコさん

長い休眠から覚め、再始動しました。 お茶、主婦、家庭、家をキーワードに、 掌編と並行して、自由スペースに長編も投稿します。 皆さんから学び盗むだけでなく、与えてもいけるようになりたいです。 よろしくお願いします。 ツイッター https://twitter.com/novels1031 フェイスブック https://www.facebook.com/moriko.minamino

性別 女性
将来の夢 本当は怖い『赤毛のアン』論を書くこと。
座右の銘 非凡な花を咲かせるには平凡な努力をしなくてはならない。

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ちょっとしたひと手間で名店の味がご家庭で簡単に

16/09/12 コンテスト(テーマ):第116回 時空モノガタリ文学賞 【 裏切り 】 コメント:1件 南野モリコ 閲覧数:607

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深夜0時を回った頃、料理研究家、福田万希子55歳は、煌々と点いた白熱灯の下、キッチンを磨き上げていた。アイランド型の調理台から見渡せるダイニングとリビングを兼ねたパーティー・スペースは、彼女の成功の証である。

書棚に並んでいるのは、万希子の著書のレシピ集。コンロからは、牛肉の赤ワイン煮込みが深夜に誘惑の香りを漂わせている。使い込まれた古い赤い鍋は、主婦の間で大流行した「万能万希子鍋」だ。

「これひとつで料理もお菓子も、簡単に作れちゃうの」

小さな赤い鍋一つで、シチューにカレー、ロールキャベツに野菜のキッシュ。前菜からメインデッシュまで魔法のように仕上げていく万希子に、主婦たちの目はハートマークになったものだ。レッスンは常に満席。スタッフを募集すれば、1名のポストに、何10通も履歴書が送られた。レッスンもスタッフも「満席の万希子」だ。

テレビの料理番組で、万希子はこう言っていた。
「材料を鍋に入れて煮込むだけ。簡単でしょ?」

しかし、ある時から万希子のレシピに意見するスタッフが現れた。
「先生、申し訳ないですけど、こんな料理は時代遅れです。今の主婦は、時間短縮で材料費も節約できる、簡単なレシピを知りたがっているんですよ」

スタッフたちは皆、元は万希子の教室に熱心に通っていた生徒だ。

「先生、番組を見るのは、子育てをしながら働いている主婦たちです。彼女たちにロールキャベツを簡単なんて言ったら反感を買いますよ」

レシピを管理しているのは、元社長秘書で、スタッフになったばかりの有村静香だった。

「静香ちゃんは、どう思う?」

静香は、料理のセンスはいいが、控えめで家庭的なタイプだった。
「私が意見なんて。先生の仕事を手伝わせてもらえて、光栄だと思うだけです」

時間をかけて磨き上げたキッチンを眺めて、万希子は教室を始めた頃を思い出した。万希子もかつては料理が好きな普通の主婦だった。友人を招いて料理をふるまっているうちに、作り方を教えるようになり、楽しくて続けているうちに、気が付いたら教室になっていたのだ。

「牛肉を余った赤ワインに一晩、漬け込んで、切った野菜を入れて煮込むだけよ。簡単だけど、手が込んでいるように見えるからおもてなしに便利なの」

万希子の得意フレーズだった。
スタッフの1人は言った。
「牛肉に赤ワインを漬け込むのに、「だけ」をつけるのが、主婦には不愉快なんです。仕事をして、子育てをして、その他もろもろの雑用をこなす主婦には、牛肉も赤ワインも一晩煮込むのも「だけ」のことではないんですよ」

生徒数が減り、スタッフは静香一人になった。気働きが出来て、生徒にも人気のある静香に、万希子は言った。

「静香ちゃん、若いし仕事が出来るんだから、野心を持っていいのよ。私のレシピを盗むくらいでなくちゃ」

その度に、静香は滅相もないという顔で首を振った。

磨き上げた広いキッチンのある一軒家は、明日、売却になる。パーティー・スペースは、土間に続いている。本物のご飯を炊こうと、こだわって作った2基のかまど。毎年、年末には、友達を呼んで家族で餅つきをして、あんころ餅を食べたわ。ゴールデンウイークにはピザを焼いて、庭でピクニックをするのが恒例だった。子供たちは独立し、夫は単身赴任になった。楽しかったな、あの頃。

先月、ついに静香がスタッフを辞めた。静香が辞めたことで、万希子の教室は決定的に立ち行かなくなった。静香の目当ては、レシピではなく、万希子の料理教室に通った25年間分の生徒の個人情報だったのだ。

明日は、朝から業者がやってきて、荷物を運び出すだろう。そして、この家の新しい家主となる家族も。


万希子は鍋の火を止めて、とけそうなくらいに柔らかくなった牛肉の赤ワイン煮込みを、一人分ずつ小さなタッパーに詰め、ひとつひとつラベルを貼った。これを業者や新しい家主一家、全員に配るのだ。ラベルには、材料とレシピ、そして万希子の新しい住所とメールアドレスが明記されている。自慢の牛肉の煮込み、肉体労働の後なら目が覚めるくらいおいしい筈。そして、業者には奥さんや家族がいる。

私はこれからもひと手間かけた本物の料理を伝えていこう。人は裏切るけど、仕事は裏切らない。丁寧に作った料理には、魂が入る。私は料理の力を信じている。


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このストーリーに関するコメント

16/09/14 泡沫恋歌

南野モリコ 様、拝読しました。

私個人として、非常に楽しめる作品であり、感情移入できました。

働く主婦にとって、下準備のいる料理は簡単な料理なんていえません。
よく料理の本に簡単レシピなんて書いてあるけれど、揚げたり蒸したりとぜんぜん簡単じゃないのがあります。

手の込んだ料理は休みの日で、自分が疲れていない時しか無理だわ。

「人は裏切るけど、仕事は裏切らない。丁寧に作った料理には、魂が入る。私は料理の力を信じている」

この文章がすごくいいですね!

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