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高橋螢参郎さん

何でもいいから金と機会おくれ

性別 女性
将来の夢 二次元に入って箱崎星梨花ちゃんと結婚します
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幽霊の住処

16/08/30 コンテスト(テーマ):第115回 時空モノガタリ文学賞 【幽霊 】 コメント:0件 高橋螢参郎 閲覧数:730

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 巨大な有機分解槽は暗闇の中バックライトに照らされて、撹拌機に為されるがまま水面を煌々と揺らめかせていた。
 分解層を満たす液体の正体は、炭素を筆頭に水素、酸素、窒素、リン、硫黄、フッ素、アンモニア、そしてマグネシウムを始めとするミネラル群が混ざり合ったものだ。これらは生命体を構成するものであり、当然生命維持には不可欠なものだった。多種多様な生物が地球上から死に絶えた今、有機物はかつての石油資源よろしく残されたリソースとして、時の政府の下で厳重に管理されていた。この液体を原料として最低限の栄養素を含んだ各種サプリメントを精製し、全国民へと配給しているのだ。
 そういう経緯もあって無人で遠隔運営されているここに、今夜は無菌服に身を包んだ男の姿があった。男は台車に載せた大きな荷物ごと昇降機で分解槽の直上まで昇ると、包みを解いて中身を溶液の中へと投げ入れた。
 今や地球上において限られた有機物。それは人体も例外ではなかった。
 男がたった今分解槽に沈めたのは、滅菌処理された遺体だった。人だったものは液面に触れた瞬間泡を立てて、すぐに有機物の一部になった。男も遺骸が骨も残さず消えたのを確認すると、特に祈りを捧げるような素振りもせずその場を立ち去った。
 男は何も畏れてはいなかった。世界の謎はこの頃には悉く暴かれ、神仏の不在もとうの昔に立証されていた。特定の宗派に傾倒する者もまだいるにはいたが、それも神の教えではなく、人間の狂気や迷妄の産物として好事家の恰好の餌食とされているに過ぎなかった。全ては行き過ぎた合理化、裏を返せば人類の営みからいよいよ余裕がなくなってきている事の顕れだった。
 もちろん人類から一切の良心の呵責が取り払われたわけではなかった。一連の行程もいささか前時代的な物言いをするならば、還った、とでもするべきなのだろうか。要は水分の循環と同じ事なのだと、男は学校の授業で、教材で、研修でいやというほど聞かされてきた。口に入り全身から出て行った水も蒸発、降水というプロセスを経て再び我々の口に戻ってくる。ならば炭素や窒素も同じ事なのだと。当時妻を亡くしたばかりだった教官は半分以上自分に言い聞かせるように熱弁をふるっていた。
 その後も男は運ばれてきた遺体を次々に、淡々と処理し続けた。死後硬直で手足を不自然に曲げた真白い老婆の遺体を前にしても、男は特に何も思わなかった。せいぜい肌につぶつぶと開いた毛穴が何気なく視野に入った事で、今では随分貴重になった生の鶏肉を連想する程度だった。人類は種の存続の為に生理的嫌悪感すら麻痺させていた。
 空調のよく効いた薄ら寒いこの部屋は、遺体を抜きにしてもお世辞にも気分の良い場所ではなかった。第一暗闇の中、男は何の灯りも手にしてはいなかった。男は遺伝子改良を受けた、所謂デザイナーベビーだ。高度に進化した視細胞の前では昼夜すらも誤差でしかない。彼らにとって、夜目というのは死語なのだ。
 ゆえに祖先はおろか、両親などというものは存在しなかった。そんな合理の申し子たちに、霊魂の存在など説くだけ無駄だろう。全て、解り切ってしまっている事なのだから。
 やっと今日最後の遺体を沈めた男は、分解槽に背を向けて昇降機のスイッチを押そうとした。これまで何百何千も繰り返してきた動きだった。
 しかし、その日に限って何かが尾を引き、後ろを振り返った。備品の留置は確かに減俸処分ものだが、ここに持ち込んだものと言えば台車と身ひとつのみだ。
 なのにどうしても、気になった。真っ先に有機分解槽を覗き込んだが、さっき沈めたばかりの遺体もとっくに失せている。
 男はしばらくの間その場に立ち尽くして、水面に揺らめく自分の姿を眺めた。醜く歪んだ姿は間違いなく映し出された自身のものであるはずなのに、とてもそうは思えなかった。液面より立ち込めた独特の臭気が、先ほどから男の鼻腔をいやに刺激していた。
 俺も死んだらここに入れられるんだろう。
 日頃敢えて鈍麻させていた思考がぴりぴりとした神経痛を伴って、男の許へと帰ってきていた。そこには何もないと解っているはずなのに、何かあるような気がして男はより深く分解槽を覗き込んだ。
 そして馬鹿馬鹿しいという気持ちが好奇心に負けた瞬間、男はその声を聞いた。
「早く……こっちへ……」
 次の瞬間、男はバランスを崩して頭から有機分解槽へと落ちていった。もがく間もなく男の身体は末端から溶け始め、あとには無菌服だけが残された。
 混濁する意識の中、男は最期に沢山の声を聞いた。それは怨嗟でもあり、歓待の挨拶でもあり、ねぎらいの言葉でもあった。つまるところ今の世で人が生前押し殺してきた、数多の感情そのものだった。
 男は自分を呼んだ、聞き慣れない声の主にやっと気が付いた。
 それは紛れもなく、己自身の声だったのだ。


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