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本宮晃樹さん

ふつうにサラリーマンをしております。 春夏秋冬、いつでも登山のナイスガイ。 よろしくお願いします。

性別 男性
将来の夢 魁! 不労所得!
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新生バベルの塔

16/08/05 コンテスト(テーマ):第86回 【 自由投稿スペース 】 コメント:0件 本宮晃樹 閲覧数:583

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「なあ兄弟」年配のロケット技術者は潤滑油の入ったボトルを高く掲げた。「乾杯といこうや」
 今夜は異例に気温が高く、西日本の南部ではぼつぼつ桜の開花が観測され始めている。ここ種子島では本州より一足先に、満開のソメイヨシノが咲き誇っていた。
「お前はいままでよくがんばった。それは俺が保証するぜ」
 H-UA型ロケットは星空の下、天を衝くようにそびえたっている。
「ロシアのソユーズは二週間前の便を最後に、もうお払い箱だとよ」年配の技術者は自分用に準備したビールを、ぐいっとあおる。「アリアンも退役。長征も退役。スペースシャトルなんざもう、当節のガキどもは聞いたこともねえときた」
 春の夜風がひときわ強く吹き抜ける。年配の技術者は身震いするが、簡易宿舎に戻るつもりはまだないようだ。
「兄弟、時代は変わるもんだ。そいつは認めてくれなくちゃな」
 H-UA型ロケットは星空の下、天を衝くようにそびえたっている。
「それにしたってなかなかどうして、けったいなもんができたな。え? 兄弟」年配の技術者はビール瓶から中身を注ぎ足す。「俺は一介の技術屋だし、世の中の流れにゃ逆らえん。軌道上と地球が炭素の糸でつながるなんて、誰が信じられる? 俺がガキの時分、そんなしろものはクラークとかシェフィールドが紡ぎ出す夢物語だったもんさ。それがどうだ。いつの間にかそいつが現実になって、お前さんをお払い箱にしちまうんだからなあ」
 H-UA型ロケットは星空の下、天を衝くようにそびえたっている。
「兄弟、明日が最後の仕事になるな」年配の技術者は残りのビールをラッパ飲みしてから、袖で口もとをぬぐった。「じゃあな。明日は晴れだぜ」
 簡易宿舎に戻りしな、技術者はくるりと振り返った。
「なんで明日の天気がわかるのかって? そりゃお前さんの同型機が、軌道上に気象衛星を打ち上げたからさ。ほかの無数の人工衛星もだ。立派な仕事さ。お前さんがたは本当によくやってくれたよ」
 H-UA型ロケットは星空の下、天を衝くようにそびえたっている。

     *     *     *

 軌道エレベータは理論上建造不可能では、決してない。工学技術のブレイクスルーは必ずしも必要ではなく(カーボンナノチューブの大量生産と低コスト化が課題だったが、C60――バッキーボール炭素結晶――からヒントを得た〈より糸〉方式が確立された)、採算を度外視した湯水のように湧き出る予算さえあれば、明日からでも着工は可能だった(問題はもちろん採算を度外視できないことそのものにあったのだが)。
 これまでのところ軌道上への移動はロケットに限られており、それは基本的に一度きりの使い捨てである。そのくせ運搬できるのは、先端に申しわけ程度にくっついた猫の額ほどのスペースに限られる。これはありていに言えば、十トントラックに小石を乗せて運ぶくらい効率が悪い。
 では効率のよい運搬方法を考えようではないか。なに? 地球圏から脱出するのに秒速7.9キロメートルも必要? そいつを出すのにロケット質量の九割が燃料だって? なんという浪費だろう! ええい面倒だ、軌道と地上をつないじまえ!
 レシピは簡単だ。まずは人間が常駐できるような足場を軌道上に作る。宇宙ステーションのうんとでっかいやつだ。次にそこから糸を地球に向かって垂らす。材料? そこらをかすめていく小惑星を生け贄に捧げればよろしい。これさえうまくいけば、あとはそれをくり返していくだけで――あら不思議! ぶっといケーブルが一丁上がるという寸法だ(テーパ比やら破断長やらの専門的な内容は潔く成書に譲る)。
 あとはカウンターウエイトを反対方向に繰り出したり、余裕があればケーブルに伝導性を持たせたり、客が疲れないように中継駅を作ったりして脇を固めれば、遠未来SFのそれには遠くおよばないものの、形式上軌道エレベータの運用は可能になる。

     *     *     *

 翌日はしぶとく居残っていた冬を一掃するかのような陽気で、ロケットの打ち上げ準備は順風満帆、失敗などとうてい考えられそうもない。
「卓巳さん」新米技術者が喫煙所――いまや牢獄のほうがいくらかましだと悪名高い――に入りしな、「いよいよ最後の打ち上げですね」
「うん。隔世の感ってやつだ」
「これからどうするんです?」
「さてね」彼は巻き尺を弄びながら、「隠居でもするかね」
「卓巳さんほどの腕があるなら、引く手あまたでしょうに」
「一応〈オデッセイ〉日本支部への入社が決まってる」
「おめでとうございます」
「ううん」ため息と同時に紫煙を吐き出した。
「嬉しくないんですか?」
「嬉しいとも。ただなあ」
「ただ?」新米技術者も懐をまさぐって、毒ガス吸引を始める。
「軌道エレベータはそりゃ効率的で、ロケットなんぞは比べものにもなりゃしないだろうさ。でもロケットにゃロケットのよさがある。もちろんこれを最後に全機を廃棄するわけじゃないし、緊急時には――そんなことがあっちゃ困るんだが――活躍するかもしれん。それでもこれが最後だと思うとなあ」
「同感です。ぼくは卓巳さんみたいに腕のいい技術者じゃないし、まったくペーペーです。それでもロケットに対する思い入れは誰にも負けないつもりですよ」
「うん、そうだろうとも」煙草を灰皿に押しつける。「さあカウントダウンが始まるぞ。見にいこうや」

     *     *     *

 技術問題はクリアできた。とはいえこうした途方もない事業を一国の経済力で遂行できるだろうか。もちろんできない。いっぽう世界はまとまるどころかますます分割されつつあり、世界政府樹立なんてぬかそうものならもの笑いの種にされるのが落ちだ。
 各国の首脳同士は国境を越えてなにかをおっぱじめることに尻込みするが、企業はそうではない。彼らは未開拓の儲かりそうな分野さえあれば、まるでそんな線引きなどないかのようにふるまうことができる。
 グローバル化の著しい昨今、フロンティアが頭の上に無限の広がりを見せているというのに、なぜちまちま自社だけで挑戦しなければならないわけがある? ほかの連中を巻き込むのだ。みんなで利益とリスクを分け合う。それが当世風のカウボーイというものだ。
 かくして各国の宇宙産業が合同で出資し、スペーショナブル企業〈オデッセイ〉が誕生、軌道エレベータの建造という未曽有の建設事業に取り組み始めた。それは二十年も前のできごとである。
 そしていよいよ、現代のバベルの塔は完成間近のところまでこぎつけた。ただし今回は言語をばらばらにする神はいない。それどころかばらばらになっていた言語を持つ民が、ひとつにまとまったのだ。

     *     *     *

 澄んだ青空のもと、ロケットが天高くそびえたっている。
 新米は発射を間近で見るべく、関係者のみが立ち入ることのできる特等席にいってしまった。年配の技術者は種子島宇宙基地から少し離れた小高い丘に、両手をうしろへ投げ出してだらしなく座っている。口にくわえられた煙草から、ぽろりと灰が落ちた。
「兄弟の最後の仕事、拝見といくか」
 新しい煙草に火をつけて、古いやつは携帯灰皿に突っ込んだ。マナーはいいのだ。
「兄弟、お前は〈オデッセイ〉がこしらえたしろものにゃ、負けちまったかもしれん。けどそもそも勝ち負けで決めるこっちゃないんだな」
『間もなくロケットが発射されます。作業員は退避してください』宇宙基地からのアナウンスが朗々と響き渡る。
「そうじゃないんだ。ロケットも軌道エレベータも、宇宙に夢を賭ける俺たちみたいな宇宙バカの大切な息子さ。それに優劣なんざ始めからない。あるのは効率性のちがいだけで、たまたま俺たち人間社会はそいつが重要だっただけなんだ。そうだろ兄弟?」
『カウントダウンを開始します。九……』
「だからこれが最後だからって、嘆くこたないんだ」
『五……』じりじりと煙草が燃えている。
「俺はいままでロケット技術者だった。そして今日でそいつは終わる。それでいいじゃないか」
『一……ゼロ』
 年配の技術者はわれ知らず立ち上がった。眼前には巨大なブースターから炎を噴いて、地球の重力に必死に抗うH-UA型ロケットの雄姿。何度もくり返し見てきた光景だ。だが今度のそれは、おそらく彼が見る最後の打ち上げとなるだろう。しかもこのロケット便は軌道エレベータに必要な最後のソーラーパネルを運ぶため、飛び立つのである。
「兄弟!」年配の技術者の目には涙があふれている。「お前は最高だったぜ」
 H-UA型ロケットは轟音を立てながら垂直に上昇し、空気抵抗の少ない熱圏まで飛び出したのち、東に進路を変えて地球の自転エネルギーを利用しつつ周回軌道に入った。
「なにも悲しいことなんざないんだ」彼は自分が本当に悲しんでいないことを知っている。これは歓喜の涙なのだ。「なにをくよくよする必要がある? これから俺たちは、宇宙時代の幕開けの目撃者になるってのに!」
 種子島宇宙基地からロケット野郎たちが駆け寄ってくる。年配の技術者を新たな宇宙時代到来を祝す宴会に誘うためだ。もちろん彼らのなかの誰一人、悲嘆に暮れている者はいない。みんな生粋の宇宙バカなのだ。
「そうとも!」年配の技術者はみんなに手を振りながら、丘を駆け下りていく。「宇宙は途方もなく広い。あんなちっぽけな塔をおっ立てたところで焼け石に水さ」
 立ち止まってもう一度だけ、彼は晴れ渡った紺碧の空をふり仰いだ。涙をぬぐう。「でも俺たちはそれでも挑戦をやめない。それが不撓不屈の宇宙バカってもんだ。そうだろ兄弟?」


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