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つつい つつさん

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ありふれた言い訳

16/08/03 コンテスト(テーマ):第115回 時空モノガタリ文学賞 【幽霊 】 コメント:0件 つつい つつ 閲覧数:709

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 東京駅を出て、もう三時間以上経つ。津本香里は隣に座る恋人の泉野愁(しゅう)の存在は気にしながらも、まだひと言も言葉を交わしていなかった。
 愁と付き合って一年以上になる。香里は愁のことが誰より大切で、ずっと一緒にいたいと願っていた。そして、一ヶ月前、香里の三十歳の誕生日、ついに愁からプロポーズされた。これからも幸せな毎日が続くと思えたその時、それは突然始まった。
 香里がプロポーズを受けた時、涙で滲む視界の中聞こえてきたのは、赤ちゃんの泣き声だった。耳をつんざくような凄まじい泣き声が香里の耳元でずっと鳴り響いた。
「赤ちゃんの声が! 泣いてる!」
 耳元を両手で塞ぎガタガタと震える香里を「どうしたの? 大丈夫?」って愁は抱きしめるけれど、香里の震えは止まらず、結局その日は怯えたまま愁のマンションを後にした。
 それからも愁に会う度、愁に会って幸せを感じる度、泣き声は聞こえてきた。しかし、その理由はわかっていた。そう、許してくれるわけがなかった。あの時、おなかの中にいた、あの子が……。
 香里は高校生の頃、初めて彼氏が出来た。一緒にいることだけが喜びで、幸せで、愛だと思った。そして、二人は愛というものを貪り合い、その結果、赤ちゃんが出来た。まだお互い高校生だった二人はお互いの両親に説得され、結局おなかに宿った赤ちゃんは堕ろすこととなった。その後、その彼氏とは会うことを許されず別れることとなり、香里はそれから誰とも付き合うことはなかった。
 赤ちゃんの泣き声は香里をとことん苦しめた。食事も睡眠も取れなくなった香里はどんどん衰弱していった。でも、心のどこかで受け入れている自分がいた。生まれてくるはずの命を身勝手な理由で殺したのだ。ただ自信がなかった。世間の目が怖かった。赤ちゃんが出来るだなんて思ってもいなかった。そんなありふれた言い訳で生まれてくることさえ許さなかった。それは、命への冒涜、消せるはずのない罪だった。香里は自分が幸せなんて求めてはいけない人間だと改めて認識し、過去の過ちを全て愁に話した。それで、愁も諦めがつくだろうと思った。自分のことを嫌いになってくれると思った。たぶん、愁のことを好きだと思えば思うほど、一緒にいたいと願えば願うほど、あの赤ちゃんが泣き叫ぶことが香里にはわかっていた。だから、愁と別れるしか方法はなかった。
 愁から、別れる前に最後に行きたい場所があると懇願され、二人は今、電車に乗っている。東北のはずれにあるその村は、愁の亡くなった祖父母が住んでいた所で、小さい頃、両親が忙しかった愁はそこに預けられて育ったそうだ。
 電車を降り小さな駅に着くと、そこはなんの変哲もない田舎町だった。駅前に開いているお店はなく、建物はぽつりぽつりあったけれど、活気のない村だった。ただ続いている田舎道を歩く愁の後ろ姿に黙ったままついていった。しばらく歩くと、道端に小さな祠が建っていた。中には五十センチ程の素朴なお地蔵様が祭られていた。愁は嬉しそうにお地蔵様に駆け寄ると、懐かしい友人にでも会ったように話しかけた。
「久しぶり。十年ぶりくらいかな。僕、変わったでしょ」
 うんうんとうなづきながら、話し込んでいる愁を唖然としながら香里は見ていた。
「それで、お願いがあるんだ」
 それからも愁は真剣な顔でお地蔵様と話し続けた。どう声をかけたらいいかわからない香里は黙ったままその様子を見守っていたけど、愁とお地蔵様が話す姿はなんだか微笑ましく、不思議とそういうものなんだという気がしていた。
「僕ね、このお地蔵様とよく遊んだんだ」
 突然振り向いた愁は、笑いながら言った。
「え?」
 きょとんとしている香里を見て、愁は照れながら頭をかいた。
「おかしくなったって思う? でも、なんだかよく遊んでいたような気がするんだ。そんな記憶が残ってるんだよ」
 にわかに信じられる話ではなかったけど、いつもにこにこして、世間ずれしている愁ならそんなこともあるかもしれないと香里は思った。
「でね、赤ちゃん連れて行ってくれるって」
「へ? つ……連れて行く?」
 愁はお地蔵様に手を合わせ深く頭を下げた。
「うん、赤ちゃん、天国に連れて行ってくれるって」
 愁は「だから、大丈夫だよ」と言って、香里を強く抱きしめた。
 愁の話ではお地蔵様は、病気や災い、不運やいろいろな理由でこの世に迷っている子供や赤ちゃんの魂を天国に連れて行く役割を持っているとのことだった。だから、自分の一番信頼出来るお地蔵様に会うために今日ここに来たんだと話してくれた。
 あれから、不思議と赤ちゃんの泣き声は聞こえなくなり、愁との結婚も決まり幸せな香里だったが、ふと、なにかがよぎることもあった。でも、そんなときは決まって、あのお地蔵様の穏やかで優しい顔が目に浮かんだ。


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