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ケイジロウさん

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踊らされた男

16/07/31 コンテスト(テーマ):第113回 時空モノガタリ文学賞 【 ダンス 】 コメント:0件 ケイジロウ 閲覧数:653

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「音楽が全く聴こえない人にとって、その音楽で踊っている人はキチガイである。」

 私はその男を見て、昔の偉い人が言ったそんな言葉を思い出した。
 正午を少し過ぎたガラガラの電車に私は揺られている。クーラーが少し効きすぎているような気もするが、背広の私には丁度よい。私の横に置いてある薄っぺらいショルダーバッグには、履歴書と文庫本が一冊だけが入っている。今日行く会社もたぶんダメだろう。61歳になるおっさんを新たに迎え入れる会社なんて、そう簡単には見つからない。昨年、長年勤めた会社の定年を迎えた。定年前は、やっと自由を手に入れられる、と胸を躍らせていたが、現実はそんなに甘いものではなかった。自由という化け物と戦うためのものを私はなんにも持っていないと、定年を迎えて初めて思い知った。
 私が、履歴書に張ってある冴えない男の顔を眺めている時、その男は突然バタンと動き出した。最初、その男が発狂しだしたと思った。私とその男の距離は3メートル程か。襲われたらどうしようと、ドキドキしながら私はその男の様子を横目でうかがった。その男は、音を出さずに、足をバンバンと床に叩き付けている。右手を左右上下に激しく動かしている。そして、左手に持っている小さな画面を見ながら、口元を動かしている。声は発していない。しかし、声にならない声が、荒い呼吸とともに聴こえてくる。
 踊っているんだ。おそらく、小さな画面の中にいるアイドルグループと一緒に踊っているのだろう。その男はイヤホンをつけていたので、そのアイドルグループのプラスチックのような歌声は聴こえてこない。もしかしたらロックバンドかもしれない。しかし、ロックバンドは右手をクルクル回さないと思う。腰をコンニャクみたいにクネクネさせないと思う。内股でもないと思うのだ。
 ピンク色のTシャツがお腹にぴっちりとくっついて、上下に大きく揺れている。黄土色のチノパンが、いつ破裂してもおかしくないほど伸縮を繰り返している。なるほど、音楽が聴こえないと、確かに踊っている人はキチガイだ。まあ、電車の中で踊ること自体がキチガイであるが……。ただ、私はその男に好感をもった。いや、羨ましさかもしれない。その男には音楽がある。そして、その男は踊っている。なんと羨ましいことであろうか。
 私は、必死になって踊っているその男を見続けた。
 長いサラリーマン生活をふりかえってみると、私はいつもこうだったのではないだろうか。踊っている人を見る。しかし、その音楽は全く聴こえてこない。踊っている人がエライ人だと、聴こえてもいない音楽があたかも聴こえているようなふりをして、ふむふむ、なんて調子でうなずいて見せる。そして、私も一緒になって隅の方で踊る。踊っている人がエライ人でないと、キチガイだ、と一蹴する。
 定年を迎えて自由を手に入れた。私は踊ろうと思えば一人でも踊れると思っていた。サラリーマン時代は立派なダンサーだと思っていた。しかし、踊ろうとしてみたがうまく踊れない。成功者の真似をして踊ってみるのだが、何もかもがちぐはぐになってしまう。そんなちぐはぐさを誰にも見られたくなかった。
 私は、その男を見て気付いた。私には音楽がないということに。思えば、音楽は常に用意されてきた。その音楽はスゴイと信じさせられていた。その音楽は私の人生のテーマになりうるものだと信じ切っていた。しかし、そんなものはただの幻だったのだ。
 私は自分の意思と選択によって、自分の体を自由に動かし踊っている。優雅に自由を謳歌している。しかし、肝心なところでうまく体が動かない。右手を上げたくても力が入らなくて上がらない。よく見ると、人形劇のように紐が私の腕や足に結び付けられている。
 力が入らなかったのではなく、力なんて最初からなかったのだ。そして、その紐は60歳になると切られたのだ。
 その男は一曲を終えた。イスにドタンと腰を掛け、肩で息をしながら次の曲を探している。ピンク色のTシャツが蒸し布のように蒸気を含んでいるのがここからでもわかる。
 踊るアホ。 見るアホ。 同じアホなら、踊った方がお得なのかもしれない。
 私はショルダーバッグから履歴書を取り出すと、ビリビリに破いてクルクルに丸めた。人に笑われてもいいじゃないか。後ろから指をさされてもいいじゃないか。どっちにしろアホなんだから……。


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