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浅月庵さん

笑えるでも泣けるでも考えさせられるでも何でもいいから、面白い小説を書きたい。

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鈍感と愛妻弁当

16/07/17 コンテスト(テーマ):第112回 時空モノガタリ文学賞 【 弁当 】 コメント:0件 浅月庵 閲覧数:637

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 嫁さんの作った豆腐ハンバーグを、本物の肉だと思ってバクバク食べていた俺。
 本当鈍感だよね、なんて笑われたことをきっかけに、注意深く生きようと思っていた俺だが、このザマだ。
 
 俺はいつものように朝から営業で外回りをし、昼には一度、会社へ戻った。
 毎朝嫁さんがお弁当を作ってくれるので、自分のデスクで食事をとるようにしている。

「今日もお弁当美味しそうですね」
 か細い声が背後から聞こえた。

「あはは、ありがとうございます」
 俺は誰もいなくなったオフィスで嫁さんの愛妻弁当を食べるのが好きだったんだけど、そんな憩いの空間は一ヶ月前から脅かされた。
 俺に声をかけた赤井さんもまた、自分のデスクでお弁当を食べる派の人間みたいだ。というよりも入社したばかりで、まだ周囲に馴染めていないように見受けられた。

 赤井さんの席は離れているので、会話をしながらの食事ではないけれど、いつも給湯室へお茶を汲みに行く際、一言だけ俺に声をかけてくる。それは決まって、お弁当の見た目に関する感想だ。

 俺はいつも通り、午後からの営業ルートを頭のなかで考えながらご飯を食べる。
 すると、なんだか口のなかに嫌な食感を覚える。

 俺は少しだけ唇を離し、指を突っ込む。指先に引っ張られて出てきたのは、数本の髪の毛だった。

 最近こういうことが多いけど、嫁さんのものならまぁ許せる。
 暑い日が続き体調が良くないみたいだったから、こういった部分にまで気が回らなかったのかなくらいに思っていた。

 だけど、その髪の毛は日に日に毛量が増え、わざとご飯に練りこんであるのではないかと疑うほどあからさまなものになっていく。
 
 俺はさすがに嫁さんの異変を感じた。仕事を早めに切り上げて家に帰ると、開口一番で嫁さんに聞いてみる。

「俺さ、唯ちゃんを怒らせるようなことしたかな」
「どうしたの。なにかあった?」
「いや、なんかさ。お弁当が……」
「お弁当、嫌いなものでも入ってた?」
 嫁さんはいつも通りのほんわかした様子で、特に俺への不満を溜め込んでるように見えなかった。嫁さんと付き合い、結婚し、合計で五年の月日を共にしている。微妙な空気の違いがあれば俺は気づくだろうし、なにより俺自身に覚えがなかったのだ。
「ごめんね。なんでもないよ」

 だけど本当は、なんでもないことなかったのだ。

 午前中の仕事を終え、会社へ戻る。その日はいつもより若干だけ切り上げるのが早く、廊下でランチに出かける他の社員とすれ違った。
 
 俺はネクタイを緩め、オフィスへ足を踏み入れる。
 
 すると、赤井さんがなにやら、俺のデスク付近に立っているのが見えた。
 なにしてるんだという疑問と胸騒ぎを覚え、俺は遠目から黙ってその様子を眺めることにする。

 彼女の手には手ぬぐいに包まれたお弁当らしきもの。なんで赤井さんが俺のお弁当を持っているんだと思っていたが、それは少し違っていた。
 彼女は俺のランチバッグからまったく同じ見た目のものを取り出し、反対に手に持っていたものと入れ替えた。

 俺は心臓の鼓動が早くなるのを感じ、同時に胃酸が込み上げて喉が熱くなってきた。

 赤井さんは誰もいない、と思い込んでいるオフィスで、蚊の鳴くような声で呟く。
「今井さん。私が一人きりで寂しくないよう、いつも一緒にいてくれてありがとうございます」
 なに言ってるんだ、この人は。一緒? 寂しくないように? 俺は単純に嫁さんのお弁当を……。
「私、いっぱい愛情を込めてお弁当を作っています。だから、早く私をもらってくださいね。でないと私、奥……」

 こんな距離でも、彼女の頼りない声はしっかりと聞こえた。
 俺は今までのお弁当のことを考えると、湧き上がる吐き気に耐えられなくなってトイレへと駆け込む。

 俺は便器を抱えながら自分の鈍感さを憎み、何度も後悔しながら吐き続けた。


 ……それから一ヶ月後、俺は会社を辞める。
 次の職場を誰にも知らせぬまま、この街を離れることに決めたのだ。

 今思い返してみると、お弁当の味つけが以前と違っていた。髪の毛の長さが嫁さんのものじゃなかった。
 そんな簡単なことにまったく気がつくことができなかった俺はやはり鈍感だし、あの女から勘違いによる好意を持たれているとも知らなかった。


 ただ、あの時女を罵ることはせず、冷静に行動できたことだけが救いだ。逆上されて、嫁さんにもしものことがあれば大変なことになっていた。


 ーーそんな駄目駄目な俺だけど、ついに人生の転機を迎えることとなる。
 それは、嫁さんの体調不良が夏バテのせいじゃなかったってことだ。

 ……でも、そのことに気づくのはもう少しだけ先でいい。
 鈍感であればあるほど、嬉しさが倍増することだって、たまにはあるのだ。


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