1. トップページ
  2. 灯油の臭い

メラさん

 主に純文学系を書いていますが、特にジャンルにこだわっているわけではありません。気ままに、マイペースに小説を書いてます。

性別 男性
将来の夢 世界平和
座右の銘 知足。悠々自適。日々新た

投稿済みの作品

2

灯油の臭い

12/09/24 コンテスト(テーマ):第十五回 時空モノガタリ文学賞【 北海道 】 コメント:6件 メラ 閲覧数:2355

この作品を評価する

 スコップを片手に、ようやく玄関のドアに辿り着いた。レールの錆びかかった引き戸を開けると、まず鼻についたのは、むせ返るような灯油の臭いだった。
 玄関には、灯油の入ったポリタンクがいくつか置いてあるが、この臭いはポリタンクからというより、壁や床、天井など、いたるところに染み付いてるものだ。
 父が亡くなってから三年、母が一人で暮らし続けていたこの家も、今は明かりが灯る事なく、雪に覆われ、沈黙している。
 母が施設に入り、一度妹夫婦が後片付けに来た以外は、約四ヶ月間、誰も足を踏み入れていない。だから、家の中は、灯油の臭いのほかにも、湿った埃っぽい臭いが立ち込めていた。
 俺は靴を脱ぎ、生まれ育った家に上がった。家に入るために、三十分も慣れない雪かきをしたせいか、少し靴下は汗混じりに湿っていて、不快だった。
 古い板張りの床は驚くほど冷たく、蒸れた俺の足は、その感触に身震いするほどだった。俺は目の前にあった小さなスリッパに足を突っ込み、せめてつま先だけでも、冷たい床を直接踏む事を免れた。
 子供がまだ小さかった頃は、両親に孫の顔を見せるため、年に一度か、多い時は二度、必ずこの家に訪れていたが、子供も中学校に上がると、頻繁には来なくなった。しかし、こうして一人でこの家にやってきて、誰もいないこの家にいるというのは、違和感を通り越して、どこか不気味な寒気を感じる。
 窓を開け、部屋の空気を入れ替えた。ずっと止まっていた空気が、一斉に動き出すと共に、生活の匂いが戻った気がした。
 妹が簡単な片づけをしたとはいえ、居間の様子は、まるで今の今まで母がそこにいたかのような、そんな状態だった。
 主を失った家は、なんとも寂しいものである。それが、かつて自分が暮らした家ならば、なおのこと悲壮な感慨に耽りたくなる。
 石油ストーブは、まだ灯油が入っている。ストーブに火を付ける前に、俺はなんとなく居心地悪くなり、テレビのスイッチを入れた。だが、何度スイッチを押しても、テレビは沈黙したままだ。あれほどテレビ好きの母だったのに、テレビが故障しているのかと、一瞬驚いたが、ただ単純に、ブレーカーを落としているだけだと気付いた。
 俺は再び玄関に戻った。見慣れた部屋にいるはずなのだが、母がいないというだけで、、そこはまるで、他人の家以上に落ち着かず、息が詰まりそうだった。
 玄関は相変わらず、灯油の臭いが充満している。
 その臭いの中で、俺は落ち着いて呼吸をした。この臭いを不快とは思わない。懐かしい臭いとして、俺を落ち着かせてくれた。
 いつも、当たり前のように、この臭いを嗅いでいた。泣いている母を背に、家から出て行った朝も、バイクを乗り回したり、こっそり女の子を連れ込んだ、中高校生の頃も。鼻水垂らしていた、小学生の頃も。寒い季節になると、この臭いは家の空気そのものだった。
 幼い頃、俺はの手はすぐシモヤケになった。
 どこか遊びに行って、白い息を荒げて帰って来ては、この臭いに包まれほっとした。母は俺の頭や肩に積もった雪を手で払い、それから真っ赤になった俺の小さい手を、温かいその両手で包み、優しくさすってくれた。そうやって、北国の厳しい冬の日々を過ごしたのだ。
 母はなんて言うだろう。この家を、どうして欲しいと言うだろう。しかし、仮に母がこの家を残して欲しいと言えたとしても、現実問題、俺も妹も、もうこの家で暮らすことはできない。それぞれが、それぞれの事情で、遠く離れた場所で暮らしている。
 買い手も決まり、数ヵ月後には跡形もなく消えてしまうだろうこの家の、雪に覆われた外観を見るため、一旦外へ出た。理由は分からない。ただ、そうしたくなったのだ。
 二階建ての家の全体を眺めるためには、俺が無造作に放り投げた雪の山を、苦労して乗り越えなければならなかった。
 生まれ育った古い家は、屋根に分厚い雪をかぶり、回りもあらかた雪で覆われている。
 軒下からは、鋭いつららが伸びていた。俺は積み上げた雪山に登り、手を伸ばし、つららの一本を折って、この手に握った。子供の頃から、つららが好きだった。
 冷凍庫の氷とは違う、生々しい冷たさが、手の平から、全身に伝わる。そしてその冷たさは、刺すような痛みに変わる。俺は氷が溶ける前に、つららを足元の雪山に捨てた。
 寒さに肩をすぼめて、再び玄関に戻った。灯油の臭いの中、すっかりかじかんだ手に息を吹きかけ、俺はまるで何かに拝むように、両手を擦り合わせた。
 


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

12/09/24 ヨルツキ

あの、余計なお世話だとわかっているのですが、道内在住者としてどうしてもひと言。一軒家なら屋外に灯油タンク200リットル以上入るのが設置されているのでは。。古い家ならなおのこと。ポータブル灯油ストーブはあんまりみかけませんヨ。存在はしますけれど、部屋を暖めるのは道外では存在しないほど強力な灯油ストーブです。で、でも冷たい匂いが伝わってきたのでポイント入れさせていただきました☆

12/09/24 メラ

 ヨルツキさん、コメント、ご指摘、ありがとうございます。私は僭越ながら、北海道出身ですが、私の家は当時、というか今も、玄関に灯油のポリタンクを置いてましたし、ポータブル石油ストーブを使用してます。友人でもそういう家はたくさんありました。古い家ならなおのこと。
 たしかに、野外に大きなタンクの家もありましたけど、私のイメージでは、その方が少なかったです。すいません。十年以上前のイメージなので。
 今は私の育った家のようなあばら家がほとんどないのかもしれませんが、私の文章が至らなかったと反省します。

12/09/26 泡沫恋歌

メラさん、拝読しました。

私は関西人なので、軒につららが付くような寒さは知りません。
けど、この話を読んで、なるほど冬の北海道はこんな感じなんだと想像を巡らすことが出来ました。

以前、北海道へ旅行した時に、たまたま入ったホームセンターで売られていが石炭ストーブで上で煮炊きができるものだったのに驚きました。
玄関も二重ドアで、やっぱり本州とは寒さのレベルが違うんだと、関西人は感心しました。

メラさんの北海道への想いが伝わる良い作品でした。

12/09/30 そらの珊瑚

メラさん、拝読しました。

雪国の冬の大変さは想像するだけで大変そうです。寒がりなもので。
故郷を離れて生活する子と故郷に住み続け、やがて年老いていく親が直面しなくてはならない、家を手放すという悲しさが伝わってきました。

12/10/05 鮎風 遊

家、そして外へ出てしまった子供たち。
今、同様な状態で、この物語が身に沁みます。

同じ感情なんですよね、良かったです。

12/11/01 草愛やし美

メラさん、拝読しました。

お母さんのいなくなった家、懐かしのに淋しさがつのることでしょう。そういう淋しさが文章から、切々と伝わってきました。

北海道のしばれるような寒さが、ひしひしと伝わってきます。でも、お母さんを思う気持ちは温かいですね。とても、深い趣のある内容でよかったです。

ログイン