待井小雨さん

待井久仁子というペンネームで「小説&まんが投稿屋」というサイトで、童話やホラーやよくわからない物語を投稿しています。 ご興味を持っていただけたら、よろしくお願い致します。

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産道

16/06/22 コンテスト(テーマ):第112回 時空モノガタリ文学賞 【 弁当 】 コメント:0件 待井小雨 閲覧数:584

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 死んだばかりの老いた私に、大きな何かがこう言った。
 ――お前にこれをやろう。腹が減るごとに一つずつ食べて道を進むといい。
 周囲は仄白く、全体的にぼやけている。私が歩く一本の道以外には何も見当たらない。声の主もどこにもおらず、私一人がそこにいた。
 両手の上に包みが乗っている。覗けばそれは、おにぎりが三つ入った弁当だった。
 つい先ほど死んだのであろう私の魂は、景色のはっきりとしない道を歩く。どうやって死んだのだったか、と考えて、交通事故だったのだと思い至る。昼飯を食べ損ねて直後のことだった。
 生きていた時の感覚が残っているわけではないだろうが、食事を摂らずに死んだと思ったら腹が減った。気付けばもうだいぶ歩いているような気もするので、そのせいかもしれない。
「おにぎりか。好きじゃないんだがな」
 しぶしぶ口に運ぶ。よりによって具が昆布だ。
(ごめんなさい……)
 手を怪我をしてしまって、と妻は言った。お弁当は作れそうもないの、などとほざく。会社では愛妻家を通しており、昼食は「愛妻弁当」を食べるのが日課だった。なのにこの女は何を怪我などしているのだ。外食など出来るわけがない。おにぎりくらいは作れるだろうと言って作らせた。
 しかしいざ食べるとなったその時、不器用に作られたそれは手から転げて床に落ちた。具の昆布も汚くこぼれ、忌々しく舌打ちをして捨てた。
 頭が靄にかかっていくような感覚に包まれる。おにぎりを食べ終えると、何を思い出していたのかすら忘れていた。
 再び道を歩く。二つのおにぎりを持つ私は、老年の姿ではなくなっていた。
「腹が減った……」
 包みをほどく私の手は若い。具は味の濃い物がいい。そう思ったのに、割ってみると具は梅干しだった。
「酸っぱいから嫌いだって言ったのに」
 そこにいないはずの母に文句を言う。母が用意した物ではないと理解しているが、真ん丸に握られた形は母の物でしかない。それを口に運んだ。
(飯はいらないっていっただろ)
 親に反抗したくてたまらなかった時期がある。食事を用意されるのも鬱陶しく、そう言ってはねつけた。じゃあせめて、と母はおにぎりを作ってくれた。遅くに帰宅してそれを目にすると、腹立たしさと同時に猛烈な申し訳なさに襲われた。具が梅干しなのは、少しでも傷むのを防ぐ為。私の為だと知っていた。
「……ごめんなさい」
 呟いたが、それが誰に対する謝罪なのか分からなくなっていた。
 食べ終えるごとに、その頃の記憶を失っていく。自分が老年で死んだ事は理解しているが、感情も魂の形もどんどん若く、幼くなっていく。道を歩く私の姿はもう、小さな子供の姿だった。
「さいごのいっこ」
 大きなおにぎりを取り出した。祖父の握ってくれた物だとぴんと来た。
(具は何がいい? 鮭にするか?)
 そう言って大きな骨ばった手で私の好きな鮭をほぐして具にして握ってくれた。
(大きくなあれ)
 優しい掌で握られた、私の為のおにぎり。
「おいしい……」
 食べながら、涙が零れた。もう何も思い出せない。一つを食べては一つを忘れ、私の魂は白くなる。この道の行く先で次の命になる為にまっさらになる。
 私は何をしてきただろう。感情の余韻に流されてわんわんと泣く。あの食べ物が大切な思いで握られた物である事を知っていたはずなのに、私はそれに報いただろうか。愛され想われて育まれたこの魂に、私はふさわしかっただろうか。
 誰かは私に大きく優しくなれと願った。誰かは健やかに育てと願った。そして誰かは、私をただ想ってくれていたはずだ。その気持ちに、私はふさわしかっただろうか……?
「ねえ!」
 幼い声で叫んで周囲を見渡した。けれど最初の声の主はいない。それどころか足元の道も消え失せて、天地も溶けて色も無くなっている。真白き世界に私はいる。
「帰りたいよ!」
 謝らなければならない誰かの元へと。想われるにふさわしい私になりたい。
 ――もう三つとも全て食べただろう。お前はすっかりこちらのものになってしまった。後悔しても遅い。
 絶望に溢れる感情さえも靄に飲み込まれる。優しくあること、大きくなること。せめて次はそれらを忘れず生まれたい。何より一番大事にしなくてはいけない気持ちを、魂に刻みたい。白い世界が私を押し流した。
 ……人の気持ちを大事に、感謝する事――。
 掌に残った米粒と共に魂に握り込んだ瞬間、強くまばゆい光に包まれ、私は押し出された――。

「あなた――!」
 目の前には妻の姿。多くの管が繋がれた老いた体がこの世にあった。
 ……声を出せるようになったら何を言おう。縋り付き泣きじゃくる妻を見つめる。私が生きているという事実にこれほど喜んでくれる尊い人に、何を言おう――。
 私は頭の中でひたすら「ありがとう」と繰り返し、想いを伝える練習をした。


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