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吉岡 幸一さん

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性別 男性
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 雨の日のブティック

16/06/17 コンテスト(テーマ):第110回 時空モノガタリ文学賞 【 雨 】 コメント:0件 吉岡 幸一 閲覧数:754

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 雨の日のブティックは客がこない。街路樹の生い茂る通りに店を開いて三カ月が過ぎた。固定客も僅かながら付きはじめ、まだ赤字ながら先の見通しが明るくなってきたところだ。
 昨日の夜から降りはじめた雨は今日の午後になっても降り続いている。雨は通り過ぎていく車の窓を打ち、街の景色を白い夜の色に染めている。欅の葉に叩きつける雨の音がどこか悪戯な子供の声のように響いている。
 恵子は開いた硝子のドアの前に立って外を眺めていた。
 夫が亡くなったのはこんな雨の日だった。もう何年になるだろうか。三十五の歳の時だったから、もう十年になる。子宝には恵まれなかった。夫がなくなって新しく恋をすることもなかった。夫との思い出だけを抱きしめて今日まで頑張ってきたように思える。
 あなたの夢だったブティックをようやく開くことができた。小さな小さなお店だけど、生きていたらきっと喜んでくれたはず。この店を守るのが今の私の夢。
 雨の日は人通りも少なく、歩いている人は傘を深くさし俯いて通り過ぎていく。
「あの、すみません」
 傘をたたんで傘置き場にさすと、客が一人店の中へと入っていった。
 恵子は躰を避けて客を奥に通すと笑顔で「いらっしゃいませ」と言った。
 客は十代後半くらいの背の低い女性だった。
デニムパンツに白無地のカットソー、グレーのカーディガンというシンプルだがやや地味目の格好をしていた。それでも恵子は似合っていて可愛らしいと思った。
 接客があまり得意ではないということもあったが、押し付けがましくならないように自分からは声をかけなかった。
 女性は丁寧に服を見てまわると、バラ模様の透かしの入った白いワンピースを手に取りじっと考えていた。
「試着してもいいでしょうか」
 少し緊張した物言いに、恵子は申し訳なく感じた。試着室に導くと「ゆっくり試着されてくださいね」と、愛想よく言った。
 試着室のカーテンを開けて出てきた姿を見て、恵子ははっと息を飲んだ。綺麗だという思いと同時に、過去の自分の姿が蘇ってきた。
 夫と初めてデートした時、白いワンピースを着ていた。夫と新婚旅行に行った時も白いワンピースだった。夫が亡くなった日、なぜかその時も白いワンピースを着ていた。
 喜びと悲しみの思い出が溶け合っていく。恵子は気づかないまま涙を流していた。
「大丈夫ですか」
 戸惑いながら女性は顔を見上げた。
「ごめんなさい。目にゴミが入ったものだから。…よくお似合いですよ」
 女性は安心したように微笑むとワンピースの裾をつかんでくるりと回った。
「よかった。明日、初めて彼の両親に会いにいくんです。そのときに着ていく服にどうかなって思って」
「ご結婚の挨拶とかですか」
 女性は赤くなって頷くと、左の薬指を右手で覆った。
「きっと彼のご両親も気に入ってくれますよ」
「そうだと嬉しいんですが」
 買った白いワンピースを大事そうに抱えて女性は店を出ていった。
花が咲いたよう、と思いながら去っていく背中を眺めていると、硝子のドアに写った自分の顔を見つけ時の流れを感じた。
もし子供がいたらあの子くらいの歳かもしれない。女の子ならきっとあの子のように笑顔が可愛らしいはず。男の子なら夫のように真面目で優しいはず。
雨は降り続く。当分止みそうにない。
オレンジ色のライトが店のなかを照らし、華やかな洋服たちが静かに並んでいる。恵子はコーヒーをいれ、レジの前に座って外を眺める。
夫が洋服を一着一着手に取りながら綺麗に並べている姿が目に映る。楽しそうな笑顔、眼鏡の真ん中をつまんで位置を調整する仕草、オーデコロンの香り。夫は優しく微笑みながら手招きをする。口の形が「おいで」と言っている。
ドアが開く音がした。背の低い女性が紫陽花の鉢植えをもって戻ってきた。淡い赤紫の花が手毬のようになって咲いている。
恵子は夢が覚めたように瞬きをすると、すぐに立ち上がった。
「なにか忘れ物でも…」
「いいえ。あの、よかったらこのお花をと思って」
「いただけるのですか?」
「はい。なんだか寂しそうだったので、お花でも見て元気になってもらえたらと思って…」
「ありがとうございます」
 恵子の瞳から大粒の涙が流れ落ちていく。紫陽花の花びらを濡らしていく。
「目にゴミが入ってしまって」
「わたしも目にゴミが入ったみたいです」
 恵子がハンカチで目頭を押さえると、背の低い女性もハンカチで目頭を押さえた。
 ふたりの笑い声が雨音に溶け込んでいく。とても静かに溶けていく。


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