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血文字の雁木麻里子さん

性別 男性
将来の夢
座右の銘

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2000字に自分探しの旅

16/06/01 コンテスト(テーマ):第109回時空モノガタリ文学賞 【 旅 】 コメント:0件 血文字の雁木麻里子 閲覧数:758

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俺はまだ正気だから本は余り読む方ではない。そんな俺でも何故かボードレールは知っている。たぶんネットで見て読んだんだろう。酒浸りのロクデナシ的仲間意識が働いたのかも知れない。気に入ってんのは三好達治訳文の『どこへでも此世の外へ』。
〈この人生は一の病院であり、そこでは各々の病人が、ただ絶えず寝台を代えたいと願っている。〉
ニューヨークの地下鉄には「人生はセックスで蔓延する病である」という落書きがあると云う。誰も己を殺してはくれない事が人生の悲惨さ、世の残酷さである。

老人ホームに勤務しているといろいろ無残な想いを味わう事になる。俺が入職した当時に派遣社員の斎藤さんから「心を無にするのよ」と云われたが、禅僧でもあるまいし、心を無に、なんて高尚な腹芸は出来ない。だからと云う訳でもないが俺は常に神経症的で何事につけ気に入らない。
「ヤスタカ先生は旅行とかしないの?」
と尋ねたのは俺が施設で担当している老女の権田さん。アルツハイマー型認知症の八十七歳。この質問は今日だけで既に五回目になる。ついでに云えば俺は別に何の先生でもないのだが、何故か入居者からも職員からも先生と呼ばれている。俺は五回目の小粋なジョークを云った。
「悪い旅行bad tripなら何度かね」
彼女は海外の紀行本を開きながら、「ニューヨークには?」
「行った事はないな。用事が思い付かない」
「私はニューヨークに行ってアイラブユーって云うのよ」
「何だそれ」意味不明過ぎて笑った。
「だって英語はそれくらいしか喋れないんだもん」
「あー……成程ね」
この老女が海外へ行く事はない。この老人ホームへ入居し、生きて施設を退所した人間は居ない。誰も生きたままこの世界の外へ出られない様に。この老人は直に死ぬ。願いなど何一つ叶わない。この世はファックだ。本当に、気に入らない事ばかりだ。

〈私には、今私が居ない場所に於いて、私が常に幸福であるように思われる。従って移住の問題は、絶えず私が私の魂と討議している、問題の一つである。〉
「此世の外」へ出るのは簡単だ。死ねばいい。日本では年間三万人単位で人々が「此世の外」へ旅行に出ている。
生きたまま「此世の外」に出る方法もあるのではないだろうか。薬物の使用も手段の一つだという。某元プロ野球選手だって別に茶の間を笑かすジョークのつもりで覚醒剤やってた訳ではない。この報道を受けピンと来た俺は小学校の同窓生で、麻薬・違法薬物のディーラーをやっている臼井さんに拝み倒してホワイト・ウィドウを融通して貰った。インターネットで巻き方や吸い方を調べ、火を点けて一服した。初めて吸う大麻の味に咽込みながら、肺腑の中の違法な煙を吐き出したが、しかし知覚の扉は開かれなかった。法外な金を払ったのに。業腹なのでジム・ビームと併用したら丸一日くらい起きられなかった。「危ない薬じゃないか」と思った。

〈それでもお前は、もはや苦悩の中でしか、楽しみを覚えないまでに鈍麻してしまったのか? もしもそうなら、いっそそれでは、死の相似の国に向って逃げ出そう………。憐れな魂よ!〉
次いで宗教に入信しようと試みた。以前から『エホバの証人』からの勧誘が煩かったのだが、渡された案内用紙の通りに教会へ向かった。着いてみたら教会と呼ぶのも憚られるようなプレハブ造りであった。神様も忙しくてここまで手が回らないのだろうか。俺は空いた烏龍茶のペットボトルにジム・ビームを入れてグイ呑みしながら、車座に並んだパイプ椅子の一つに坐って宗教的談話を右から左へ聞いていた。いかにエホバの証人という宗教が素晴らしいかとか、そういう話だった。似たような動機で集まった屑どもが一人ずつ何か云わなきゃいけないらしいので、順番の廻って来た俺は、人生がいかに無価値であり、この世が糞であり、宗教が所詮は馬鹿どもの精神安定蔵置であるかを、酒で廻らぬ呂律で唾を飛ばし熱弁を振るい、追放された。

〈終いに私の魂が声を放ち、いみじくも私にむかってこう叫んだ、「どこでもいい、どこでもいい……、ただ、この世界の外であるならば!」〉
I♡NYな権田さんは先般、低血圧で意識障害を起こし、病院へ搬送されたが数日して逝去なされた。人生最後の旅行、死出の旅。今も死後の世界でアイ・ラヴ・ユゥーを叫んでいるのだろうか。俺も早めにそっちへ行く予定だ。七面倒臭ぇんだよ、何もわざわざ生きたまま出る必要もねえだろう。因みにここまで引用したボードレールの詩は全て俺が小一時間で捏造した出鱈目で読んだ事があるってのも嘘。世界も自己も虚構まみれの俺にとって、リアルなのは自分の感じている苦痛と目の前の死だけだ。そして俺は今こそリアルを掴み取る。呵々。俺はこの糞みたいな人生に一矢報いてやった。ざまあみやがれ。


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