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冬垣ひなたさん

時空モノガタリで活動を始め、お陰さまで4年目に入りました。今まで以上に良い作品が書けるよう頑張りたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。エブリスタでも活動中。ツイッター:@fuyugaki_hinata プロフィール画像:糸白澪子さま作

性別 女性
将来の夢 いつまでも小説が書けるように、健康でいたいです。
座右の銘 雄弁は銀、沈黙は金

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天空の駅、ひとり

16/05/30 コンテスト(テーマ):第109回時空モノガタリ文学賞 【 旅 】 コメント:11件 冬垣ひなた 閲覧数:1790

時空モノガタリからの選評

1人の女性の傷ついた心の痛みと、立山の自然の中で自己を回復する過程が、丁寧に描かれていて、その感情が自然に伝わってきました。立山の雪で覆われた雄大な風景とそこで生きる生物の姿が、主人公の傷ついた心の奥にある力強さと重なって感じられます。また「私は最初から、1人だったのだ。」という1文が印象的でした。確かにそうした原点に立ち返る勇気を持てば、人は強くなれるのかもしれませんね。自分の名前を見つめることができなかった主人公が現実を受け入れていく過程が力強く、印象的でした。

時空モノガタリK

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 1人分の朝食、1人分のリュック、1人分の切符――。
 平ヶ谷 有希様(ヒラガヤ ユウキ サマ)。
 プリンターで印刷した宿泊情報に書かれた、元の姓には簡単に馴染めなくて、私はすぐさま防寒着のポケットに突っ込んだ。
 2人が3人にならず、1人になった時思った。
 心の財産は等しく割り切れることはない。離婚して軽くなったのは、心から見えない血が流れすぎたからなのだ。


 武志は、嘘と毒を吐きながら他人に寄生するだけの病的な男だった。
「有希、1人じゃ何もできない女のくせに威張るな」、武志はそれを体現しながら、金銭感覚がまるでなく、数百万の借金を背負い私の給料でヒモ暮らし、とどのつまり元夫はそういう人だった。
 『1人じゃ何もできない女』には、勤続10年の寸志は貰えなかったろう。
 GW明けに休暇を取った私は、それを元手に今回の旅行を計画した。
 黒部ダムを有した、長野県と富山県を結ぶ山岳観光のメッカ、立山黒部アルペンルート。何度となく写真で眺めていたが、諦めていた旅行。
 ツアーではなく、自分でスケジュールを組み、切符を買い、宿も取った。リュックに荷物を詰めている間、心臓が嬉しそうに、トクトクと音を立てているのがわかる。
 私は、生きている。
 何か変われるのだろうか。
 1人きりの人生をやりなおせるだろうか?

 
 関西発の夜行バスを長野駅で降り、扇沢駅へ向かうバスの車内は本当に誰もおらず、1人ぼっちで不安だった。憂鬱な思いを抱えたまま、うとうとしていたら、バスの流れる車窓にピンク色を見つけて、私は、はっとした。
 5月の、桜だ。
 その理由はやがて現れる。
 一年のうち300日以上雪の積もる北アルプス。
 延々と続く飛騨山脈の黒々と切り立った峰には、雪が流れるような筋をつけ、なだらかな部分にはいまだ深く積もっていた。
 ここを通るのか――。


 電気で走行するトロリーバスが、扇沢駅から黒部駅へトンネルを抜けてゆく。
 その先には、大自然のパノラマが広がっていた。
 氷の浮いた翡翠色の黒部湖と、その水を堰き止める黒部ダムの雄大な姿が観光客を出迎える。展望台から見下ろすと、ダムの上には米粒よりも小さな人々が、歩いて次の駅へと向かっていくのが見え、吐く息を白に染める寒気が、私の肌を撫でた。


 ケーブルカーにロープウェイで、立山連峰を登ってゆくと、やがて着いたのは、日本最高所の室堂駅だ。
 標高2450m、空気が薄いせいか少し歩いただけで息が切れる。
 雪の大谷と呼ばれる10数mの雪の壁も名物だが、特に積雪の多い今年は見晴るかす限り深い雪で覆われ、道沿いに細長い竿が経っているのを僅かな目印に進んでゆく。夏はトレッキングコースとして愛される室堂だが、今は空の境目までが白に染まっている。
 ツアー客が多いらしく駅から離れるにつれ、人はまばらになり、やがて私はまた1人になった。
 足跡のないまっさらな雪を踏みしめながら、私は記憶を辿る。


 ――「嘘つきはお前だ」、武志になじられた。
 周囲に嘘をついて回る武志にしつこく食い下がると、彼は私の首を絞めた。
 警察にDVを届け出て、ようやく離婚に応じたが――本当は分かっていた。
 私は、1人で生きていけるのに、狭く窮屈な籠の中で押し込められて、それを愛情だと言い張る男の言葉が真剣に思えて。
 駄目よ有希、いい加減認めなきゃ。
 ――愛した男は、心底根から腐っていた。
 息が苦しい。0.8、0.7、0.6――この雪に横たわれば0になれるんだ。
 でも、意地でもそうしてやるもんか。
 どんなに苦しくても、私は1人の私でありたい。
 私は悔しさで、雪に何度も拳を打ち付けた。


 その時、何かが歌った。
 グワウウゥー、グッ、グッ、グワウウゥー。
 低い鳴き声が空気を震わせる。初めて聞く声だ。


 雪に小さな足跡がついている。私は顔を上げた。
 足跡は、雪が風で飛ばされたハイマツの辺りまで続いている。
 ――いた。
 ハトより大きい、白黒のまだら模様をした鳥が、こちらを見ている。目の上が赤く、足は羽毛に覆われている。
 天然記念物のライチョウだ。
 こんな大雪原で2が、5にも6にもなる営みがあるのだ――。


 バスの窓際席でリュックを抱える私は、もう1人でも寂しくはなかった。
 いや。私は最初から、1人だったのだ。
 あんな男に、サヨナラの言葉は勿体ない。
 富山側へ下りる高原バスは、傾いた太陽を飲み込み輝く雲海を抜けてゆく。
 私は息を飲んだ。
 雪に反射して一斉に世界が光に飲まれた。
 空が、山が、凍える私の人生が、飴色に溶けてゆく――。
 1.1、1.2、1.3――数えながら、私はようやくポケットに突っ込んでいた自分の名前を、正直に見つめることができた。
 ――おかえり、私。


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このストーリーに関するコメント

16/06/03 七見陽子

主人公の心の変化に、見事に感情移入してしまいました。
2000字で、これほど鮮やかな世界観が描けることに驚きです。

16/06/03 冬垣ひなた

海月漂さん、コメントありがとうございます。

情景描写と心理描写のバランスは今回うまくとれたかなと思います。世の中からなくなればいいと思う事ほどつぶさに観察せねばならないのは物書きの宿命ですが、書くことで多少なり人のお役に立てればと思います。


七見陽子さん、コメントありがとうございます。

日常を描くと非日常的な表現になっていくのが目下の悩みだったので、感情移入していただけて嬉しいです。文章量は構成と文体の工夫で、かなり抑えることができます。私は時空モノガタリの作品を読んで随分勉強させていただきました。

16/06/05 あずみの白馬

すんなり感情移入できました。主人公さんが自分を取り戻す旅。立川黒部アルペンルートの情景とあいまって、せつないながらも、最後に立ち上がった主人公、有希の将来に幸あれと思います。

16/06/05 冬垣ひなた

あずみの白馬さん、コメントありがとうございます。

主人公は30代女性の設定ですので、軽くならないよう現実的な着地点を見出す方向で描きました。重いテーマでも読者様が元気になれるよう、夢や希望はなるべく添えるように心がけています。

16/06/13 泡沫恋歌

冬垣ひなた 様、拝読しました。

相手の存在を否定することをいうDV配偶者は絶対にダメだよ。
旅は心を切り替えて、新しい人生に向かうための切欠になると思う。
主人公はツライ結婚生活を経て、本当の自分「平ヶ谷 有希」に強くなって戻ってきたのです。

風景の描写がとても丁寧できれいでした。情景をイメージしやすかった。

16/06/19 そらの珊瑚

冬垣ひなたさん、拝読しました。
DVは、共依存する場合が多々あるときいたことがあります。
共に依存してしまうからこそ、そこから逃れることが難しい、と。
被害者がそれを乗り越えてひとりで歩く幸せを手にいれることが出来てよかったです。
ひとり旅とはもうひとりの自分とともに旅することかもしれませんね。

16/06/23 冬垣ひなた

泡沫恋歌さん、コメントありがとうございます。

DV配偶者は、こう自分の中にある黒々とした部分を小説に生かそうという試みで出来た人物ですね。私もひとり旅は多くて、一〇年前に訪れたこの立川黒部アルペンルートもそうでしたが、自分の中では色々ターニングポイントになる作品かなと思います。最近自分の中でお蔵入りしていた事を引き出す機会が増えて張り切っています。


そらの珊瑚さん、コメントありがとうございます。

そうですね、自分も昔はそういう方と関わったことがあります。
何十年客商売してきたので、人から相談事されることが多かったのです。向いている性格でもないし役に立っているかも甚だ怪しいのですが、DVに遭っている人・遭っていた人にもうまく気持ちを伝えられるように、今回は書き進めていきました。
そらのさんは詩人ですね、ひとり旅はそういう旅なのかもしれません。

16/06/27 光石七

拝読しました。
私自身はまだ訪れたことは無いのですが、ひとつひとつの情景が目に浮かぶようで、冷気や白い息まで伝わってきました。
主人公が自分を取り戻していく過程も見事にマッチしていますね。
素晴らしかったです!

16/07/03 冬垣ひなた

光石七さん、コメントありがとうございます。

私が行ったときは残念ながら雷鳥の声だけで姿を見ることができなかったので、今回の描写は自分の願望も入っています。今作から、書く前にキャラクターの設定表を作るようにしてみたのですが、その分心理描写も丁寧に書けたようにと思います。

16/07/26 冬垣ひなた

時空モノガタリKさま、コメントありがとうございます。

内面は最小限に、情景だけで察するというのが個人的に好きな描写のタイプなのですが、今回はもっと主人公の内面を描く事にしました。
女性というのは色々なものを手放しても、実は結構1人で立っていられるものだと思います。
名前の紹介として効果的な冒頭を色々考えていたのですが、ラストがうまく繋がったので良かったです。
この受賞を励みに、これからも頑張っていきたいと思います。

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