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naganさん

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ただここで、雨を悼む

16/05/24 コンテスト(テーマ):第110回 時空モノガタリ文学賞 【 雨 】 コメント:0件 nagan 閲覧数:582

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 落ちていく。
 灯の照る街に振る透明は、降下していく度にその濃さを増す。
 街は、大雨に見舞われていた。
 陽の沈んだ街は濁流で溺死してしまい、坂道に整列した街灯だけが、水煙に対抗していた。雨は、アスファルトに着地するたびに砕けて染みを作る。
 闇の下、男物の傘が坂道から顔を出した。ブーツが、水たまりをかき分ける音が近づいてくる。遠くの街並みまでを霞ませて、並木の枯れ枝を冷たく濡らしていた。
 傘に叩き付ける雨粒をそのままに、導かれるように歩いていく。その後ろ姿は、さながら巡礼者のようでもあった。山を削りだした勾配の急な坂から見下ろす光景は、すぐ下に潜む街をまるで黄泉の世界のように映しだした。
 やがて彼が、坂の中腹辺りにさしかかったとき、彼はこの先にも延々と続く坂道をみつめるように顔をあげた。

 その視線の先に、少女がいた。

 彼女は傘も差さずに、窪んだガードレールに手をかけて、夕闇に追われる街の姿を俯瞰していた。彼は、静かに雨を浴びる彼女を見ていた。こぼれる雨の粒が、後から後から彼女の頬を伝う。
 彼女は涙を流していた。
 雨が少しずつ勢いを増していくにつれ、空が本来の黒さを取り戻し始めた。
 少女は彼の方へ振り向いた。少女の限りなく透明に近い瞳が、彼に笑いかける。
その視線は、自虐のようなものを孕んでいた。
 彼女は、彼に声をかけた。
 ひさしぶりだね、とまるで旧友にでも話しかけるように微笑んだ。

 彼はおもむろに、コートの両側のポケットから、苦い缶コーヒーを取り出した。少し手間取りながらプルタブを起こして地面に置く。そしてもう一本の缶コーヒーを取り出し、両手で包んで暖をとった。
 息を吹いて中身を冷ますと、ゆっくりと口を付ける。
 その様子をしばらく見つめていた彼女は、彼が一息つくのを見計らって切り出した。
「雨降りの夜って切なくならない?」
「うん……降り出した夜は、意味もなく散歩がしたくなる」
「それは、寂しさを紛らわすため?」
 彼女がそっと、一歩だけ前にでて、彼の前髪をすく。額にのこる、一筋の新しい傷跡に彼女は白い指を這わせた。
「……でも、あんまり出歩くと傷に響くよ」
 透き通る瞳を伏せ、手をおろした。
「もう……古傷だ」
「そう? でも、古傷になれたんなら、もういいんだよ?」
 そう言って、彼女は笑った。
 彼は、何も言わなかった。ただ、そこにいる彼女の体温を感じたがった。濡れそぼった彼の体に触れようとすることで、彼女は彼を感じようとした。
「……こんなことに意味なんてないよ。つらい事を思い出すだけ。……それなのに、どうして来るの」
 呟いて、彼女は彼を遠ざけるように、ガードレールに向き直り、遠く霞む街並みを見下ろした。
 全てに納得したように、彼女は眼を閉じる。
 彼女の言葉は、雨音に埋葬され静かにとけていった。彼は何も言わず、彼女の後姿をみつめ続けていた。
 何も言えない彼を知ってか、彼女は彼を窘めるように言った。
「私には、あなたが会おうとすればいつでも会える。そうでしょ?」
 ああ、と彼は溜息のように返した。
 飲みかけの缶コーヒーを、先刻の缶と隣り合わせで地面に置いて、彼女に問いかける。
「……あの日をやり直したいって思わないの?」
 今まで経った時間を、ようやく思い出したように彼は言った。
 彼女は、彼女であり続けるために、決意を述べるだけだった。
「……ううん。あなたがこうして来てくれる、それだけで十分だって今は思うの」
そう、と少しだけ悲しみを含ませた声音で彼は呟いた。

冷たいだけの水滴が、彼の頬を伝う。彼女は霞む闇をみつめ、一時の別れを告げた。
「さようなら。来年の今日、またここで待ってるよ」
 背を向ける彼女に、思わず手を伸ばした。
伸ばした掌は、彼と彼女を分け隔てたまま彷徨い、彼女の細い背が遠ざかっていって、ようやく垂れ下がった。
 彼は、彼女が宵闇に消えるまでその背中を見つめ続けた。
気丈に燃え続けていた街灯が、弱弱しく明滅する。それがこの一夜に終幕を告げた。両手はすっかり冷えてしまった。それを優しく握ってくれる存在はもう、自分以外には存在しない。
 いつかの彼女のように、彼は坂道の窪んだガードレールに手をかけ、彼女がそこにいた痕跡を確かめるように、死んだ街を俯瞰した。雨音が萎むまで、彼はただ降り注ぐ雨を眺めていた。
 街を見下ろす彼は、彼女とのとりとめのない会話を反芻していた。
 温かい雨粒が、彼の頬を伝っていった。
黒い傘が、ゆっくりと坂を下る。寂しさを背負った後ろ姿は、朝焼けに小さく縮んでいく。
 だからこそ、彼は寂しげな翳りをみせることなく、しっかりと濡れた坂道を下っていく。

 窪んだガードレールに添えられた、無音の嗚咽と、冷えた缶コーヒーを置き去りにして。


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