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しーたさん

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カラスの夏、みかんの香り

16/05/14 コンテスト(テーマ):第108回 時空モノガタリ文学賞 【 甘夏 】 コメント:0件 しーた 閲覧数:803

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 梅雨の長引く年だった。
 世間の溜息が溶けていそうな雨粒を頭上の傘に感じつつ、高校を目指して足を動かす。そんな彼女の視界の端に、一羽のカラスがうつった。カラスはぐったりとした様子で道端の草むらに横たわっていて、その身を雨に濡らしている。
 彼女が恐る恐る近づいてみても、カラスは小さく身体をよじるだけで逃げることはしなかった。
 彼の翼に怪我があることは、獣医でもなんでもない彼女にもすぐにわかった。
 彼女は少しだけ悩んですぐに頭を振って、カラスをそっと優しく抱き抱えた。
 出来る範囲で治療してあげよう。このままだと死んじゃうかもしれない。
 そう思って、一学期最後の学校をサボることに決めて、彼女は来た道を引き返した。
 こうして一羽のカラスとの夏休みが始まった。



 怪我をしていた彼を拾ってから一週間。
 自慢の黒い羽根を広げることはまだ出来なさそうだけれど、ぴょこぴょこと跳ねて歩けるくらいには元気になっていた。
 それ自体は喜ばしいことなのだが、一つ困ったことがあった。
 彼がまだぐったりして元気がなかった頃、何を食べさせてやればいいのかわからなくて、悩んだ末、栄養がありそうだという理由でなんとなく夏みかんを選んだ。
 それが原因だった。
 彼はその味を気に入ってしまったようで、机に夏みかんを置いておくと、その匂いを嗅ぎつけて食べ散らかしてしまうのだ。
 まさか一房ずつちぎって綺麗に食べてくれるわけなどなくて、家の中が柑橘系の匂いに包まれることが何度かあった。
 怒ろうと思ったこともあったのだが、怪我をしてぐったりとしていた彼を思い出すとそんな気も失せてきて、彼女はいつも残りのみかんを彼にあげてしまうのだった。
 初めは警戒していた彼も、彼女が食事の邪魔をしないとわかるとみかんをついばみ始める。
 そんな彼を静かに見守る彼女の目は、いつも決まって温かかった。



 夏休みも半分が過ぎた。
 以前、カラスを見たい、という友達がいたので連れて来たことがあったのだが、彼はすっかり怯えた様子で部屋の隅に縮こまってしまった。
 彼は自分以外のヒトが怖いのだ、と、そんな当たり前のことに彼女はその時気が付いた。
 しかし彼は彼女にはすっかり慣れたようで、包帯を変える時に暴れることもしなくなった。
 彼女は、自分が彼に受け入れられた気がして、少しだけ嬉しかった。



 それからまたしばらく経って、夏休みも終盤に差し掛かかったある日、彼女は一つ決意をした。
 お別れをしよう。
 彼の怪我は見たところもう完治しているようで、家の中で羽根を広げている様子も度々目にするようになっていた。
 とはいっても狭い家の中では飛ぶ事も出来ず、相変わらずぴょこぴょこと床を跳ねて歩き回っている。
 一度外に出したら彼とはもう会えなくなる気がしていた。
 それが嫌で、彼女は今まで彼を外に出した事はなかった。
 だが彼の為を思えばこそ、それは間違っていると思った。
 外の世界に出れば、危険も多いだろう。また怪我をするかもしれないし、畑を荒らして誰かに疎まれるかもしれない。
 でも、それでいいのだ、と彼女は思った。
 それが自然なことで、それこそが彼が自由に生きるということなのだから。
 彼女はそっと、玄関の扉に手をかけた。
 一瞬躊躇った後、ゆっくり開く。
 太陽の光が目に眩しい。
 しばらく家の中でじっとしていた彼は、ぴょこぴょこと扉の方に跳ねてくる。
「あ、そうそう。仲間のとこに帰るのかどうかわからないけれど、手土産くらいは持っていかないとね」
 彼が好きだった夏みかんを一つ、彼の前に置く。
 彼は静かにこちらを見上げた。
 彼女と彼の視線が交わる。
 しばらくして、彼は思い出したようにその夏みかんをくちばしで掴んで、ぴょこぴょこと玄関を跨いだ。
 彼は真っ黒な翼で大きく羽ばたいて、足をふわりと地面から離す。
 そのまま振り返ることもせず、広い青に向かって空を進んで行った。
 彼が小さな点になって見えなくなるまで、彼女はその場から離れることができなかった。
 彼女の潤んだ瞳に、太陽の光が静かに反射する。
 一つ、大きな溜息をつく。
 家に戻ろう。
 そう思って回れ右をした彼女の背に、小さく彼の鳴き声が聞こえた気がした。
 夏が過ぎて行く。



 彼との夏が終わって、冬が来て、春が来て、また夏がやってきた。
 彼女は、机の上に忘れられたように置かれた夏みかんを見つけた。
 あいつ、元気でやってるのかな。
 そんなことを考えていたら目頭が少し熱くなって、去年の夏を思い返しながらゆっくり皮をむいた。
 懐かしい香りが部屋の中に広がっていく。
 一房千切って口の中に放り込んだ。
 その夏みかんは少し苦かったけれど、
 甘い、夏の味がした。


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