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結城 希さん

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魂のリレー

12/09/11 コンテスト(テーマ):第十三回 時空モノガタリ文学賞【 格闘技 】 コメント:0件 結城 希 閲覧数:1397

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 仙台駅の東口から外へ出たとき、ナムホンは日本に来たのだという実感をいっそう強く持った。
 初めて彼女に出逢ってから、ずっと憧れていた国だ。十二年前、彼女がナムホンの母国で、幼い彼らにカラテを教えてくれた、あのときから。
 仲川薫というのが、彼女の名だった。諸国を旅して子どもたちに空手を教えている、と彼女は言った。有名な空手家だったのかどうか、その当時、テレビも新聞も見たことがないナムホンにはわからなかった。
「決して自分から人を傷つけては駄目よ。でも、理由のない暴力から、身を守れるだけの強さを持って」
 そう彼女は言った。その言葉はナムホンの胸を打った。国軍に銃殺された父も、地雷を踏んでしまった妹も、言われのない暴力の犠牲者だった。胸が張り裂けそうなほどの悔しさが、行き場を失ってさまよっていた。彼女はそんな彼の気持ちを理解し、勇気づけてくれた。
 ほんの三週間ほどの後、彼女が去っても、ナムホンは空手をやめなかった。何度も何度も、教わった数通りの型を練習した。いつからか空手は、彼の心の拠り所になっていた。

 日本での最初の三ヶ月は、慌ただしく過ぎ去った。日本語が読めなかったため、何をするにも苦労した。ようやく身の回りの物を買えるようになってきた頃、ナムホンは仙台市内にある大きな空手道場を訪ねた。もちろん、幼い頃自分に空手を教えた日本人女性の消息を掴むためだった。
 仲川薫という名の空手家はいない、というのがそこでの回答だった。ナムホンはこのときまで、空手が多数の流派や団体に分かれていることを知らなかった。ならば、全ての団体、流派を尋ねれば、彼女の消息は掴めるだろう。彼はそう信じた。
 それから更に、四ヶ月が経った。
 ナムホンは熊本にいた。彼女の氏名や年齢を手がかりに、「仲川薫がいる可能性がある道場」のリストを作成し、それらを一軒ずつ訪ねながら、九州を南から北へ縦断していた。手がかりはほとんどなかったが、ある道場の女将が気になることを言った。
「そう言えば、間宮さんのところの薫ちゃん、結婚して仲川っていう苗字になったんじゃなかったかしら」
 ナムホンは女将から住所を聞くと、礼を言ってその場を後にした。
 仲川家はそこからバスと徒歩で二時間ほどの場所に、小じんまりと建っていた。道場などではなかった。
「ごめんください。仲川薫さんはいますか」
 ナムホンは家の中にも聞こえるように大声を出した。
 間もなく、玄関から一人の男性が姿を現した。ナムホンを目にすると、小さく会釈をした。
「家内は、昨年亡くなりましたが……」
 と、男性は申し訳なさそうに告げた。
「そんな……」
 ナムホンは言葉を失った。そして、足元から崩れ落ちるように、その場に座り込んでしまった。

「あなたも、薫の教え子の一人なんですね」
 仲川薫の夫、良一はナムホンを家中に招き入れてくれた。
 ナムホンは俯いていた。まだ、彼女が亡くなっていたことのショックから抜けだせずにいた。
「……やっと、病気を克服したときだったんですよ」
 ぽつりと、言葉をこぼすように良一は言った。その言葉が、自失していたナムホンにゆっくりと染み渡った。
 彼女――仲川薫は、娘を産んで約一年後、鈍い体の痛みを訴えて入院した。検査の結果、大腸とリンパ節から腫瘍が発見された。進行はかなり深かったが、彼女は驚異的な回復力を見せ、二年後にはほぼ全快した。しかし、その直後に、大型車両を含む自動車四台の交通事故に巻き込まれ、帰らぬ人になってしまった。
 ナムホンは顔を上げた。目の前にいる男性が、自分よりも遥かに深い悲しみの中にいることを知った。
「彼女はいつも、命を一生懸命に燃やしているようでした」
 良一の言葉に、ナムホンは頷いた。
 彼女が世界を旅して空手を教えるきっかけとなったのは、ある一通の手紙だったそうだ。その手紙の差出人は、かつて薫が空手を教えた少女で、当時リオデジャネイロに住んでいた。空手がきっかけで、スラムの子どもとも仲良くなれたと書いてあった。『薫さんが来て教えてくれたら、みんなもっと笑顔になれるのに』その一文を見た時には、薫の決意は固まっていたらしい。
「『そのとき、出来ると思ったことをないがしろになんてできない』なんて、あの頃はよく言ってましたよ」
 そう言って良一は微笑んだ。
「でも、あなたを見てると、なんだかそんな彼女の姿を思い出します」
 その言葉はナムホンを驚かせた。長旅、大変だったでしょう、と良一は続けた。
 ナムホンは一つの決意を口にした。
「私も、一生懸命に生きます。そしていつの日か薫さんみたいに、世界を旅して子どもたちに何か伝えられるようになります」
 良一は、大きく頷いた。


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