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城島うさよさん

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甘夏empty

16/05/13 コンテスト(テーマ):第108回 時空モノガタリ文学賞 【 甘夏 】 コメント:0件 城島うさよ 閲覧数:768

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甘夏の香りは、私の青春そのものだった。


封鎖された屋上に続く階段の踊り場が、昼休みの集合場所。
あの頃は毎日が退屈で新鮮で、そばにいるだけでどきどきと胸が高鳴り、五感のすべてが彼をすきだといっていた。
その中でも特に、彼の香りが好きだった。
彼からはいつもいい香りがしていたのだ。
柑橘系の香りで、特別に作った香水だという。

「みかん?」
「うん、甘夏」
小さく伸びをした彼は、鼻にかかる声で言った。
「じいちゃんが作った甘夏。もう畑やる人いなくて作れないの。全部食べちゃうの寂しいけど、腐らすのはもっと嫌だし」

数か月前のお葬式では、ふだんの様子からは想像もできない、幼児のような泣き方をする彼を見た。
それほど、彼はおじいちゃんを愛していた。
何度かおうちにお邪魔した時、彼のおじいちゃんと会った。
笑うと目じりにしわが入るところが、彼によく似ていた。

「一つやろうか?いっぱい作った」
彼は、ポケットから使いかけの香水が入った小さなオレンジの瓶を出した。
「そんなとこに入れてるの?瓶割れたらにおいすごいことになるよ」
「思った。でも肌身離さず持っておきたいの」
「それをくれるの?」
「あげる」

なんで、とは聞けなかった。
本当は、なんで、と聞いて、好きだから、と言ってほしかった。
でも、できなかった。

彼には恋人がいる。一学年の上の先輩で、歩くたびに長い艶やかな髪がさらさらと揺れていた。長い手足を滑らかに動かす、大和撫子という名を体で表した人。実際、彼女の名字は大和だった。
私とはなにもかもが正反対で、とても素敵な人。
その素敵な人から告白された彼に、私はきっと釣り合わない。

「先輩とかにも、あげたの」
「あげないよ」
「ふーん」
右手の親指と人差し指で前髪ををいじるのが、彼の癖だった。
「彼氏、作んないの」
何でもないように尋ねる彼の意図はわからなかった。
「なんで」
「なんでって、べつに。好きな人、とかいんの」
「なんで」
「だから、別に」
「いるけど、好きな人」
少し驚いたように息を吸った彼は、「あっ、そ」とまた前髪をいじりはじめた。

それから彼は少しずつ私から距離を置くようになり、そのまま夏休みにはいってしまった。
携帯電話もない時代の、大層な田舎。
連絡手段は家に行くか、電話するかしかなかったけれど、私にはそれができなかった。
そっけない相手に自分から話しかけられる性格ではなかった。

9月1日。
先生が、彼は遠い町に引っ越しをした、といった。
今までは祖父とともに住んでいたが、これからはおじおばと一緒に暮らすからだそうだ。
彼がそっけなくなったのは、私に好きな人がいることが原因ではなかった。
私に引っ越しのことをいいだせなくて、秘密にしたまま笑っていられることもできないから、という彼らしい理由だった。

しかし、先輩には、伝えていたらしい。
引っ越すこと、あまり会えなくなるから別れたいこと。
そうして、本当は先輩よりも好きな人がいること。
その好きな人が誰なのかはいまだにわからない。
しかし、それが私ならいいのに、と大人になった今でも思ってしまう。

ほとんど空になった甘夏の香水の瓶は、今でも持っている。
甘夏のように爽やかな甘ずっぱい思い出も、ずっと心の中にある。
どちらも、他には代えられない、私の宝物だ。





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