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黒谷丹鵺さん

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甘夏の思い出

16/05/07 コンテスト(テーマ):第108回 時空モノガタリ文学賞 【 甘夏 】 コメント:4件 黒谷丹鵺 閲覧数:946

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「にゃああん」
 一声そう鳴いて、僕の手の中できみは儚くなった。
 呼吸を止めた小さな体に顔をうずめて、僕はどれだけ泣いたことか。
 この悲しみを忘れることは一生ないと思った。


「猫って柑橘系だめなんだよね?」
 三重の祖母から毎年送られてくる甘夏を手に取りながら、姉はふと思い出したように言った。
「毒なの?」
 僕は拾ったばかりの子猫とじゃれて遊んでいた。
「毒ってことはないかもだけど、だぶん嫌いなはず」
 姉は香りを楽しむように甘夏を鼻元に寄せ、それから子猫と見比べて笑った。
「おんなじ形」
「え?」
「その子の頭、甘夏みたい」
 言われてみれば、まるい子猫の頭は甘夏そっくりだ。明るい茶トラ模様もどことなくミカンっぽい気がした。
「名前、甘夏にしようかな」
「いいじゃん、可愛いよ」
 姉は子猫をのぞきこみ、甘夏と呼びかけた。
 子猫は目を細め、ミュウと短く鳴いた。
「返事した!」
「気に入ったんだね、甘夏」
 ミュウとまた鳴く子猫が、たまらなく愛しく感じた瞬間だった。

 子猫の甘夏はスクスク成長した。
 姉は祖母の甘夏が届くと猫と並べて写真を撮りたがったが、やはり柑橘類が苦手らしい甘夏はするっと逃げて、高い神棚の上に乗って僕たちを見下ろした。
「そんな所に上ったらバチが当たるんだからね!」
 今年も写真を取り損ねた姉が脅しても、甘夏は澄ました顔で降りようとはしなかった。

 そんな甘夏の食欲が急になくなったのは、夏の終わり頃だった。
 二日なにも口にしなかったので獣医に診てもらうと、不治の病にかかっていることが判った。
「先週まであんなに元気だったのに」
 僕はネットで調べたり別の獣医に電話して、なにか食べられそうなものはないかと必死であれこれ試してみたが、甘夏は頑として口を開かなかった。
 日に日にやせ細って弱っていく姿を目の当たりにし、どうしても甘夏との永の別れが避けられない事を悟った。僕も姉も泣いた。
「甘夏ごめんね」
 姉は真っ赤な目をして甘夏を撫でた。
「神棚に上がったらバチが当たるなんて言ってごめんね」
 もし本当にバチが当たったのなら、それは神棚に上がらないように躾けられなかった僕の責任だと思った。バチを当てるなら甘夏じゃなくて僕に当てたらいいのに……

 甘夏を喪うという事を想像すると胸がつぶれそうな気持ちになり、とても耐えられそうになかった。
 それでも「その時」は容赦なくやってきて、馬鹿馬鹿しいおまじないのようなものまで試したが奇跡は起きなかった。
 発病から二週間で息を引き取った甘夏。
「大好きなあんたに抱かれて逝ったんだね」
 姉がポツリとつぶやいた言葉に、僕は号泣した。

 甘夏が我が家に居たのはほんの三年足らずだったのに、共に暮らす前の生活に戻るだけというわけにはいかなかった。
 朝起きて隣にいない事、いつもの座布団に姿がない事、帰宅しても出迎える姿がない事……何気ない日常の中に甘夏がいない事がつらくて、いちいち涙ぐんでしまう。
 その悲しみは秋が終わり冬が過ぎて春が来ても色あせなかった。


「今年も届いたよ」
 やや汗ばむような陽気のその日、帰宅した僕に姉が甘夏を差しだした。
 ふっと甘酸っぱい香りが漂い、懐かしい記憶が脳裏に浮かぶ。
「思い出しちゃうね」
 姉は目尻にたまった涙を指で拭いながら笑った。
「うん」
 僕は甘夏を受け取ってじっと見る。
 明るい色の果実は太陽を連想させ、日なたで昼寝していた猫の姿とどこか重なる。鼻に近づけると甘く爽やかに香った。
 日なたの匂い。
 まったく違う種類の香りだが、猫の甘夏からしていた日なたの匂いと、やはりどこか通じる気がした。
「いい名前だったよね」
 姉も同じ事を思ったのだろうか。
「うん」
 僕は素直にうなずいた。

 今まで、甘夏の形にぽっかり空いた心の穴は、癒えない悲しみで満たされているとばかり思っていた。
 しかし、その悲しみは少しずつ甘夏と幸せに過ごした思い出と入れ替わりつつある。
 祖母が育てた甘夏を見た時、それに気が付いた。
 甘夏と甘夏を並べて撮影しようとした記憶が浮かび上がった時、僕は悲しみより温かさを感じたのだ。

「遊びにおいでって手紙入ってたよ」
「お祖母ちゃん家しばらく行ってなかったっけ」
 母とよく似た丸顔を思い出し、あと何回会えるだろうかと僕は思った。
「夏休み、行きたいね」
 姉もたぶん同じ思いなのだろう。僕は三度うなずいた。
 祖母の年齢や物理的距離を考えれば、一緒に過ごせる時間はもう多くないはずだ。だからこそ楽しい時を共にしたい。
 いずれ悲しい別れがやってきても、幸せな時間を思い出す度にまた会えるはずだから。
 甘夏が教えてくれたこと。
「にゃああん」
 得意げな猫の顔が目に浮かんだ。

 


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このストーリーに関するコメント

16/05/07 風月 暇

読みやすくて入っていきやすい、さらっとした文で切なくて……
哀しくも優しいお話ありがとうございます。

16/05/18 黒谷丹鵺

緒方さんm(*_ _)m
コメントありがとうございました!
お褒めに預かり、励みになります。

16/05/18 天野ゆうり

思わず涙腺が緩みました。
鳥肌がたつくらい、切なくてハートフル……
心が締め付けられて、なんて表現したらよいのか……
素敵なストーリーをありがとうございます!!

16/05/21 黒谷丹鵺

天野さんm(*_ _)m
コメントありがとうございました!
涙腺ゆるませてごめんなさい。褒めすぎです(////)ありがとうございます。

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