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らんかさん

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あおい

16/05/05 コンテスト(テーマ):第107回 時空モノガタリ文学賞 【 色彩 】 コメント:0件 らんか 閲覧数:563

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 昔見た顔だった。頬の一番高いところに散らばるそばかす。その上にオレンジのチーク。目元は何色にも染めず、好印象。なのに唇が薄いピンクのグロスでごてごてと鈍く光っていて、気分が悪かった。
 青いふかふかのシート、暖かい木製の四人掛けの席。窓の外、遠く足下に広がる知らない海。ねえ、どこまで行くの。そばかすの彼女はぱさぱさの茶色くてみつあみなお下げに手を伸ばして、首を傾げた。顔は見たことがあるが、知らない女。多分、よくある顔なんだろう。さあ、どこまで行こうかね。女はぱしぱしと瞬きをして僕を見る。長い睫毛だ。上睫毛と下睫毛が出会う度に、星屑が弾けそう。
 だけど僕は、星屑の色を知らない。
 色がそろそろ失われる。そういうシナリオだ。海はもう青くない。それはもう残酷なほどモノトーンで。あの海の先で流行った地球の病は、ついにこんな島国まで来てしまったんだ。だから余計に彼女の唇に腹が立った。外の国じゃ色は貴重で、ここだってもうじきそうなるのに、そんな媚びた色をつけなくったっていいじゃないか。もったいない。
 窓の外の景色が緑に霞む。やがて海は見えなくなって、林の中を電車は進んでいく。僕は海から離れようと思った。離れて、さいごにたくさんの色を見ようと思ったんだ。
 視界が少し開けて電気の箱は止まる。暫く停車すると、男の声がアナウンスした。薄い碧のワンピースを翻して、知らない彼女は席を立つ。彼女は誰だろう? 僕と同じ駅から乗ってきた。この号車には僕ら以外に誰もいないのに、わざわざ僕の向かいに座った好き者女。もうどこかにいったのかな、君に幸あれ。光もあれ。色もあるといいけど、期待はしちゃいけない。あれ、帰ってきた。白いワンピース。百五十円と言って差し出されたのは、ペットボトル。中身は赤でも紫でもない、普通の茶色。この、ばか女。
 電車は夕暮れの街中を走る。人が乗ってきては降りていく。降りていくのは色のない人。悲しそうに降りていく。この電車、どこまで行くんだろうね。彼女が囁く。僕は思い出す。この子、僕の彼女だ。
 境界線があやふやになる。思い出は文字通り色を失う。色彩の区別がつかなくなって、人は、記憶障害を発症した。あの新しいウイルスは、頭を壊して喜んでいるんだ。みんなそうやってばかになっていって、色がどんなものだったかも忘れていくんだろう。君に幸あれ、僕に記憶あれ。僕の世界はもうほとんどが白か黒で決められているのに、君のその汚い唇だけが色になってるよ。ねえ。
 ねえ、もう降りなきゃ。だって僕、君のことももう分からないんだ。
 悲しそうに降りてみた。色を忘れてしまったから。君はどのくらい見えてるの? 彼女は切符を探している。もう大分、見えなくなってきてるよ。うん。でも私、まだあなたが誰だか分かってるよ。
 彼女は癖で、下唇を指で撫でる。だからごてごては磨り減って、ところどころが白くなって。白の肌よりは少しだけ濃い斑点。すぐに白くなるのかな。でも彼女はグロスを塗り直した。それで、べたべたピンクは元通り。
 駅の外、残り僅かなお祭りの痕跡。人間は全部諦めたせいで、ある意味前向きになった。時期通りに夏祭りを決行するくらいには。モノクロな人波に流されて彼女が指差す。飴を一つ、九十円。あと六十円だねって笑う彼女。棒付きキャンディは、僕の唯一の色を擦りとっていく。やがて彼女の唇が完全に白くなって、僕は虚しくなった。空っぽだ、空っぽだ。駅から遠ざかり屋台が疎らになっても、僕らは黙って歩いていた。空っぽだ、何ということだ。僕はもう色を失った。
 ねえ、あとどれくらいで私たち、だめになっちゃうかな。僕はもうだめになってるよ。まだ、だめになったらだめだよ。面白いね、でもなんで? ろくじゅう円、私にきっちり返してね。
 暗くなった。夜空はない。深い紺色はもう二度とこの目に焼き付かない。ねえ、見て、まだ見えるかな? 彼女はスマホのライトを付けて、自分の顔を照らした。それからべろりと舌を伸ばす。あっ、と声が出た。
 青色だ。
 さっきの何色かも分からなかった飴で青くなった彼女の舌が、ライトの舌で美しく瞬く。星屑の色。彼女は言う。あなたの名前だよ、と。途端に青色が僕の脳に舞い戻って、星空をより高く遠くさせた。僕はああ、という感嘆以外が口から出てこなくて、ぼろぼろ泣く彼女が落とす涙ですら、青く見えていた。
 それでもやっぱり、これがさいごの色だった。

 ばかなウイルスはいつの間にか僕らから消えていて、世界を騒然とさせた記憶障害病はなくなった。だけど、僕らの地球とやらが青いかなんてことは、みんなもうどうでもよくなっていた。


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