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Fujikiさん

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おつとめ品

16/04/30 コンテスト(テーマ):第108回 時空モノガタリ文学賞 【 甘夏 】 コメント:0件 Fujiki 閲覧数:508

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 加奈子が自転車で隣町のスーパーに来たのは午後八時を過ぎた頃だった。虫の死骸が溜まった蛍光灯の看板の下をくぐって自動ドアを抜けると、薄暗い売り場が広がっている。作業服姿の男が奥の惣菜コーナーで弁当を漁っている。髪を赤く染めた若い母親が同じ髪色の子どもが乗ったカートを押して漫然と歩いている。四つあるうち唯一開いているレジでは、大学生のアルバイトとおぼしき店員が精算に来る客を退屈そうに待っている。防犯カメラの位置を確認しながら、加奈子は今夜の狙いを絞った。値の張るメロンやマンゴーの棚を素通りし、青野菜の値札に目を配る。リンゴの品定めをするふりをした後、すかすかになった豆腐と納豆の棚を背にして加奈子は足を止めた。
「おつとめ品」という手書きのポップが貼られた木製の二段の棚が通路の脇に無造作に置かれている。その下の段、しなびたアスパラガスの横に一個だけ並ぶ甘夏の黄色が加奈子の目を引いた。搬入の途中で地面に落ちたのか、皮の一部が黒ずんでいる。へたの近くに「\10」のシールが貼られている。ただ同然の投げ売りにもかかわらず、他の客は見向きもしなかったようである。数時間後には間違いなく廃棄されるだろう。手に取ってみると、ずっしりとした確かな重みがあった。加奈子は肩から下げているかばんに甘夏を入れ、まっすぐ出口に向かった。
 全速力で自転車をこぐ間、心臓は高鳴り、アドレナリンが全身の血管を廻った。加奈子が万引きを始めたのは二ヶ月ほど前、高校の帰りに立ち寄ったスーパーで詰め放題のシークヮーサーを一握りポケットに押し込んだのが最初である。自分でもなぜそんなことをしたのか分からないまま、いつの間にか同じようなことを繰り返していた。生活に余裕はなかったが、食費に困るほどではない。捕まって父親や高校に報告されるのが怖くないわけでもない。でも加奈子がいくら想像力を働かせても、警察に呼び出された父親がどんな顔をするのか思い浮かばなかった。
 父親が花束を抱えて勤め先から帰って来た日、加奈子はどう言葉をかけるべきか迷った。一応自主的に早期退職したことになっているが、実際は人員削減で会社から放り出されたようなものだった。五十代の前半で再就職のあてもない。辞めてしばらくはハローワークに通ったり、「顔をつないでくる」などと言ってかつての得意先の知り合いを飲みに誘ったりしていたが、ここ半年ほどは一日じゅう家に引きこもっていることが多い。電話一つかかってこないようだった。
 ある日、父親は加奈子に言った。
「幸い退職金は多めにもらえたし貯金もあるから、俺一人のことなら何とかなる。加奈子も義務教育まではちゃんと受けさせた。これから大学に行きたいなら、自分で奨学金を探して申請するなり今からバイトして学費と生活費を貯めるなりしておいてくれないか。母さんのところに頼みに行けば少しは援助してくれるかもしれない」
 不倫相手と再婚して子どもまで作っている女になんか死んでも頼るものか、と加奈子は思った。だが加奈子の気持ちをかき乱したのは、母親の話題が出たことでも、大学に入ってからの面倒は見ないと宣言されたことでもなかった。今まで自分のことをずっと「父さん」と呼んでいた父親が「俺」という一人称を使い始めたことである。二人の間の距離感が微妙に変わったような、勝手に父親の役目を完了させていい気になっているような、そんな気がして憎らしく思えた。事実、父親は何時間でも黙ってテレビを見ているばかりで、加奈子が何をしようと気にかける様子は一切なかった。
「ただいま」
 加奈子がスーパーから帰宅しても、父親は畳に寝転がって目線をテレビに向けたまま、「ああ」という生返事を発するだけだった。ちょうど九時のニュースを見ているところである。五時のニュース、七時のニュース、九時のニュースと同じ局のニュース番組をはしごするのが毎夕の習慣になっている。食事は既に一人で済ませたらしく、空になったインスタント・ラーメンの容器がちゃぶ台の上に出しっぱなしになっていた。加奈子はかばんから取り出した甘夏をラーメンの容器の脇に置いて言った。
「これ、安く売ってた」
 安売りしていたのは本当のことだ。金を払って買ったとは言っていない。
 視界を遮る黄色い塊を手に取った父親は、皮をむいて中の房を半分に分け、一方を加奈子に向けて差し出した。黒ずんでいたのは外皮だけで、傷んだ部分はまったく見られない。加奈子はその場に腰を下ろし、ちゃぶ台を囲んで二人で甘夏を食べた。小袋をめくって出てくるオレンジの粒を頬張ると、熟した甘い罪の味が口の中に広がった。
「うまいな、これ」と、父親が言った。
「うん、おいしい」
 父親の満足そうな顔を見るだけで、加奈子は先ほどまでの緊張が解けていくのを感じた。甘夏のさわやかな香りが胸に満ち、心を静めていった。


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